いまだに、この期に及んでいまだに、すべてをスッキリ受け止めて卒業公演に臨める、といった精神状態には至っておりません。


ここ最近、アホみたいにたくさん出た(娘。が載ってる)雑誌のインタビューと、ネット記事やラジオや動画などなど、とにかくりほりほの想いを一気に接種して、そのたびに「いいかいりほりほ、人生というのは……」と先輩ぶったことを言いたくなったり、逆に「うん、わかったよ。心のままに生きなさい」と素直に受け入れられたり、気持ちがあっちこっちに行ったり来たりで定まらない状態です。


とはいえ、自分がどう思おうが、その日はもう目の前に来てしまいました。


受け入れられるも受け入れられないもなく、女王様の天のお告げは絶対で、それはもう受け入れるしかないのです。(←昨夜トライアングル見た)







なんかさ、りほりほに限らず、卒業するハロメンはよく「もっと一般常識を身につけたい」とか「大人として恥ずかしくない自分になりたい」的なことを言うじゃないですか。自分は小さい頃からずっと芸能界にいたから、普通の感覚や社会常識を知らないんじゃないかという不安が……みたいな。


やはりそういう環境にいると、そういうものを切望したくなるんでしょうかねぇ。


まぁベリキューくらい小さい頃からこの世界にいて、二十代になってそう考えるのはわからんでもないよ。


でもりほりほはまだ17歳。
17歳といえば、一般人だろうが芸能人だろうが、“世間知らず”が服を着て歩いてるようなものです。というか、世間知らずのことを、人は17歳と呼ぶのです←


冗談はさておき、インタビューを聞いてると、りほりほの考える「一般常識」とか「普通の大人」って、物凄くレベルの高い超人のような気がしてならないんですよねw


だってオレから見れば、すでにいまのりほりほがもう普通じゃないくらいしっかりしてる人だと思うので。


そんな人が、「私は社会常識がないんじゃないか……」なんて言ってるのを見ると、一般人をなんだと思ってるんだとツッコミたくなりますw


こう言っちゃなんだけど、大抵の人はそんなに凄いもんじゃないよ。いまのあなたのほうがずっと凄いですよ、と言いたい。


なにか、大企業の社長とか一流アーティストみたいな人を「普通の大人」だと思ってるんじゃないだろうか彼女はw



ついでに勝手なことを言わせてもらえば、そういった「普通」とは違った感覚を持ってるからこそ芸能人は魅力的である部分もあると思うので、あんまり「普通」や「世間一般」に染まりすぎてほしくないなぁなんて思ったりもします。


まぁ卒業とはいえ留学するわけだし、ダンスやその他“表現すること”をやめることはないと思うので、まったくもってつまらん普通の人になってしまう心配はいらないのでしょうけども。


ただ、そんな「普通の人」からすると、せっかく普通じゃなくても許される環境にいるのにわざわざ普通を求めるなんてもったいないよなぁと思うわけです。
それは、望んでも手に入れられない人のほうが圧倒的に多いものだから。


ま、どちらにしても、ないものねだりなんでしょうけどね。



難しいものです。
自分としては、彼女たちはハロプロ/モーニング娘。という、ある意味で閉鎖的な空間にいるからこそ惹かれる部分があるもの事実で。


異世界なんですよね。
前にも言いましたが、ファンタジーに近い。


でも本人たちにはそれが現実なわけで、そこから飛び出したいと思うメンバーが出てくるのも仕方ないことではある。


難しいものです。
需要と供給の利害が一致し続けるというのは。










さっきも書いたように、いろんなインタビューを見て聞いて読んで、それらひとつひとつに触れながらの感想でも書いていこうと思ってたんですが、あまりに数が多くて無理そうです。おまけに時間もない。



でも、りほりほの中で、この決断は真に前向きなものなのだということは重々わかりました。


もちろんあっさり決めたわけじゃなくて、卒業することによって失うものもちゃんと理解して、それでもこの選択をしたのだ、ということも。


本人がここまで腹をくくってしまったら、もはや他人が口を出す余地はない。





ところでりほりほは、「でもハロプロには残るんですよね?」と聞かれたときに、(事実だから)「はい」とは言うものの、だからまた戻ってきますとか、これからもハロプロの一員ですみたいなハッキリとした未来像は一切言わないんですよね。


ハローに残るのも、「居場所を残してもらえてありがたいです」と答えることが多いですし、最初はフリーでやっていこうかと思ってたらしいですし。


個人的には、ハローには残るものの、本人としてはフリーになったような感覚で(今後)いるんだろうなぁという印象です。


ハロプロ在籍というのは本当に「一応居場所を残してもらえた」という受動的な認識で、「また戻ってくるために在籍させてもらいました」という能動的な感じではなさそう。


そこまで極端に自分を追い込まなくても……なんて思ってしまうんですが、それが彼女の性格なんでしょうねぇ。


ブログはやらない(というか31日まで)というのも、そう考えれば頷けます。


なにもかも、いままでの世界から切り離した生活を送りたいのかなと。


どうせやるならとことん……というその気持ちは立派なんだけど、これまでの人生で手にしてきた大事なものをそう簡単に捨ててしまわないほうがいいよ、とはアドバイスしたいですね。いつなにが役に立つかわかりませんし。
そういう意味では、ハロプロには在籍させた事務所グッジョブといったところでしょうか。賢明な大人の判断。


まぁブログは最初から期待してませんでしたよw
「フリーになるつもりもあった」という話を聞いた瞬間に、ああこれは留学中にファンといかなる繋がりも持つ気はなさそうだな、と思っていたので。



まったく、くそ真面目なんだから。
少しはファンとの繋がりに未練を持ってほしいもんだよw



「また会えるよね?」とか「戻ってくるよね?」みたいな質問にも、絶対に「はい」とは明言しないんだからもう。


わかるよ。これから先どうなるのか自分でもわからない(決めてない)から、軽はずみな約束をして期待させることはできない、とか思ってるんでしょう?


まったく、くそ真面目なんだから。
そういうときは嘘でも「きっと会えます」とか「戻ってくると思います」とか絶妙にボカシながら答えとけばいいんだよ。それだけでヲタは救われるんだから。


でも、そんなくそ真面目で責任感が強いところが好きなんですけどね。



この決断。これこそが鞘師里保“らしさ”なのだとすれば、そこまで含めて、愛したいです。






まぁとにかく、君がいてくれて、よかった。







自分は、りほりほはどんな場所でも活躍できる才能の持ち主なのにモーニング娘。を選んでくれてありがたい、と思ってたんですよ。


でもこの動画やインタビューなどを見ると、モーニング娘。になったこともまた必然のような気がしてきました。


モーニング娘。に憧れて始めたダンス。
モーニング娘。になって成長したパフォーマンス。
モーニング娘。になったからこそ芽生えた新しい夢。


すべてはモーニング娘。に始まり、モーニング娘。を経て、未来へと繋がっていく。


いまの彼女があるのは、モーニング娘。があったから。
そう思うと、モーニング娘。ファンとして、とても誇らしい。


類稀なる才能と、その何倍もの努力によって“エース”であり続けた5年間。


鞘師里保。


モーニング娘。に吹き抜けた、風よ。


またいつか、その風を感じさせておくれ。









想いはあふれて、上手く言葉になりません。


でもこうして「鞘師里保がいるモーニング娘。」が終わってしまうのは、それが確かに“在った”証拠でもあります。


終わりがあるのは、始まりがあったから。
そして始まりと終わりの間には、確かな時間がありました。


そのことを、幸せに思います。
終わりの寂しさを凌駕するくらい、その時間があったことの幸福を噛み締めたい。


そして終わりは、新たな始まりでもある。


変わりゆくものの、その先を――。