物語(フィクション)は良い。


たとえ終わりを迎えても、また何度でもその世界に還っていける。


「だけど、また本を最初から読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ」と書いたのは、SF/幻想文学界の巨匠ジーン・ウルフだが、それは現代文明の利器、DVDにも同じことが言える。



そんなわけで、卒業発表以降初めて『LILIUM』を見返しました。


まろやりほりほやめいめいが卒業しようとも、DVDを再生すれば、紫蘭やリリーやマリーゴールドはそこにいる。これからもずっと。


当たり前のことではあるけれど、それはなんとも素晴らしいことじゃないか。





31日までに、りほりほが加入してから上演されたモーニング娘。出演の舞台を見返すプロジェクト。


『リボーン』『ステーシーズ』『ごがくゆう』ときて、『LILIUM』。


いざメンバーの卒業が発表されてからこの物語を見ると、いろいろと照らし合わせて考えてしまう部分が多いですね。



つい先日、「ハロプロとはある種の共同幻想体なのかもしれない」なんて考えていたところでした。


メンバーとファンの、共同幻想体。


リリウムのクランもまた、共同幻想ユートピアです。


ここにきて、ファルスの気持ちが痛いほどわかる。
というか、勝手に感情移入してしまう。


ファルスだけじゃない。或る庭師、紫蘭、竜胆、そしてスノウ。


永遠に枯れない花園を求め、それに縋った者たち。


「ずっとこの幸せが続けばいい」「終わりなんて来なければいい」「美しい少女たちよ永遠なれ」


そんな幻想を打ち破ったのは、なんの因果か、現実でも物語でも同じ人物でした。


りほりほ。リリー。


永遠に咲き続ける花はないってさ。
突きつけてくれちゃってまぁ。なんともシビアなお人だ。どっちもね。




長年かけて築き上げた花園を崩壊させられてしまったファルス。気の毒に。


たぶんオレも、リリーよりはファルスを選ぶ。
庭師に共感し、紫蘭と竜胆とスノウと共に、ファルスに賛同するだろう。


そしてリリーに現実を突きつけられて、絶望の果てに沈むだろう。


おおファルス、いまならよりその悲しみが理解できる気がするよ。
不老不死でなくとも、これは辛い。






Twitterで、チラッと「『TRUE OF VAMP』を歌った3人のうち2人がいなくなり、『ひとりぼっちのスノウ』になる」的なツイートを見かけましたが、なかなか上手いことをおっしゃる。


スノウ。いや、あやちょ。


リリウムを見返して思ったのは、あやちょにとってハロプロは居心地のいい場所なんだろうなということ。


りほりほもめいめいも、年若い決断と旅立ちを称賛されることが多いけど、だからといってハロプロに長く居続けることが悪いことではないのは言わずもがなで。


きっとあやちょは、こうやって次々とハロプロから去っていくメンバーを、忸怩たる想いで見つめているのではないだろうか。


どうしてそんなに早く、ここから離れる必要がある?
ハロプロにいれば、歌にしろダンスにしろ芝居にしろ水準以上のものを用意してもらえるし、だからと言って楽チンなわけじゃなく、辛いことも多いけどやりがいも大きい。ハロプロであるが故の魅力や、ハロプロであるが故に注目されることだってあるだろう。いったい何が不満だと言うのか。


と、あやちょが思ったかどうかはわかりませんが、ハロプロというのはそれなりに恵まれた環境です。わざわざ自分からそこを離れるなんて、ちょっと素直に賛同しかねる……という葛藤はゼロとは言えないのかな、とは感じます。


あやちょはいまでもハロプロが大好きで、できる限りここで歌を唄い、ダンスを踊り、芝居をしたいと思っているのではないかと。


そう、それはなにも悪いことではない。
むしろファンからすれば、超絶ありがたい。


だけど、りほりほやめいめいなど、そう思うメンバーばかりではないのも事実。


ハロプロを愛する者(メンバーもファンも)にとって、そういったメンバーの意思というものは、尊重したいと思う反面、残念でもあります。


あやちょがめいめい卒業に関するブログで見せた本音(もう少しアンジュルムに居れないのか……)は、そういった気持ちの表れなのかななんて思いますね。



ハロヲタにとってもそう。
我々が彼女たちに惹かれる理由のひとつとして、「ハロプロだからこそ」という側面があるのは否定できません。


不思議なもので、ハロプロでなければ興味のない人やものも、ハロプロであるというだけで好きになったりするんですよね。


ハロプロがある種の共同幻想体だというのは、そういう意味です。


“ここにいること”に意義がある。



りほりほやめいめいのように、ハロプロが早くも「通過する場所」になってしまったメンバーを見るのは、文句などもちろんありゃしませんが、そこはかとないむなしさはあります。


仮にそんなメンバーばかりになってしまったら、ハロプロの存在意義って、そしてそれを夢中で応援している我々ってなんなのさ?という気持ちになってしまうのも正直なところ。


なので、どうか「早々に旅立つことが良し」みたいな風潮が蔓延してほしくはないですね。


どうしてもここじゃ駄目なんだというのなら仕方ないですが、ここで長く続けるということも、旅立つことと同じくらい勇敢で尊いことなんだよ、ということを現ハロメンに伝えたいです。





そんなことを思いました。



まぁファルスの疑似クランも、そしてハロプロも、完璧なわけではありません。


前者は言わずもがなですが、ハロプロだって、メンバーにとって最良かと言われれば、そうでない場合もあるのは卒業を決めたメンバーが証明しています。


恵まれた環境で、いろんなものを用意してもらえる反面、用意してもらったこと以外はなかなか挑戦する機会がない。


歌やダンスや芝居以外にも、アイドルとしてやらねばならない仕事も山ほどある。


そういえば今日のモーニング娘。は、東京でイベントラッシュなんですよね。
特にりほりほはずっと出ずっぱりで。


どれかひとつくらい行きたかったですが、どうも無理そうです。泣きたい。


それはともかく、いくら恵まれてるとはいえこういった環境では、「ここを離れなければやりたいことはやれない」と思うメンバーがいても不思議ではないでしょう。


今回はりほりほ自らの希望でたくさんイベントをやってるらしいですが、普段だってCDのリリース間近となれば嵐のようなイベントラッシュなのは同じこと。


ハロプロはステージでのパフォーマンスに力を入れているわりに、こういったアイドル的な接触イベントも逃してなるものかと躍起になっている節があって、何度も言ってますがそれらの両立というのは負担が大きいのではと思うところです。


どっちか片方にしろとまでは言いませんが、二兎を追う者は一兎をも得ずという使い古されたことわざを今一度熟考する必要があるのではと思いますね。


でないと、また有能なメンバーが次々に早々と去っていくなんて事態になりかねませんので。








と、リリウムからだいぶ話がズレました。


たしか末満さんは、リリウムを「アイドルという要素を無視して作ったわけじゃない」みたいなことを言ってた気がするんですが、そのとおり、この物語とアイドルという世界はどこか共通するものがあるなと感じますね。


リリーとファルスの行く末。
いつになろうと、この目で見られる日を待ってます。









最後に全然違う話になりますが、亀ちゃん誕生日おめでとうクラッカー


いまは一般人なのでささやかにお祝いしますが、もう27歳になったんですねぇ。感慨深い。


元気でいるでしょうか。
さゆとは会ったりしてるのかな?


どうか幸せでありますように。


それだけがファンの願いです。