一気に更新。《Frustration三部作》の第三回目。
というか、まとめのようなもの。
三つのうちどれから読んでも問題はないですが、できれば更新順に(二つ前から)読んで頂けるとありがたいです。
長いので、お時間のあるときにでも。
2015年、これは個人的に、2007年以来の「モヤモヤする年」だったなという印象です。
まだ終わってないですが、ここまででも充分に。
2007年も、もう8年も前のことなのでハッキリ具体的にどうとは言い難いんですが、なんとなく良い印象が少ない年でした。思いっきり主観で申し訳ないですが。
去年、2014年までは、なんとかまだつんく♂さんの影というか存在感はハローにあって、個人的にもとても楽しい充実した年だったなと思ってます。
それが今年になって、少なくともモーニング娘。に関して言えば、去年と同じように楽しく充実していたとはちょっと言い難いのが正直なところ。
確かにひとつひとつ見ていけば、曲にしろコンサートにしろ舞台にしろその他諸々、素晴らしいものだったとは思えるんです。
でも全体的な印象として、年の暮れに思い返す2015年のモーニング娘。は、受難の年だったなと。
ハロプロから、つんく♂さんの影がほとんど消えてしまった年。
まるでそれに呼応するかのように、一番最初の教え子であるモーニング娘。を取り巻く環境も、地味ではあるけれど、確実に変化していったように思えます。どちらかというと、あまり良くない方向に。
グループのエースは、今年になってから卒業を考え始めたと言います。
ラジオや握手会のレポなどを聞くと、(どこまで本気なのかはさておき)他にも何人か“卒業”というものを意識するようになった(そしてそれを口に出すようになった)メンバーがいる様子。
この“受難”というのは「モーニング娘。にとって」なのか、それとも「モーニング娘。のファンにとって」なのかはわかりません。
自分はファンの側なのでどうしてもファン目線が基本になってしまいますが、一度メンバーたちの本当の本音というものも訊いてみたい気がします。今年はどうだった?と。
――いっそ、モーニング娘。だけハロプロを卒業し、ひとつのアーティストとして活動していくのはどうだろう。そしてまたつんく♂さんに、今度はハロプロとかアイドルとか気にせずプロデュースしてもらえたらいいんじゃないか――
暴論だし、もし本当にそうなったら自分も戸惑うであろうことは目に見えているのに、そんなことを考えたりもしました。
これもまた、メンバーたちに本音を訊いてみたい事柄でもあります。
まぁ大概のメンバーは“No”と言うかなとは思いますが、もしかして一人くらい「そうしたいですね」と言う娘がいたりして……いや、いないかなぁ……。
そんなことを考えてしまうほど、今年になってからのハロプロには、個人的にモヤモヤした想いを抱えることが多かったということです。それはなにもモーニング娘。に限ったことではなく。
少し前、コメントで「最近のハロプロはルーチン化していませんか」と問われたことがありました。
それが良いか悪いかはともかく、そうなってるなと自分も思います。
恐らく、事務所としてはそのほうが楽なのでしょう。
スケジュールの把握や調整もしやすいですし、そもそもルーチン化のメリットはそういった単純化による容易性の確保なわけなので。
ハロプロは1年中コンサートをしていますが、夏と冬はハロコンを、春と秋は単独コンを、合間にひなフェスをやるのも恒例化しましたし、娘。の場合は6月に舞台があるのも恒例です。
2011年の舞台『リボーン』は10月に行われていましたが、その次の『ステーシーズ』から6月が舞台の月ということになったんですよね。
そうやってあらかじめ時期を決めてしまえば、それ以降はある程度楽というか、予定が立てやすいというのは確か。
そういったルーチン化はしかし、ファンのみならずメンバー自身にとっても「飽き」を生む要素にもなりうる危険性があります。
毎年、ひとつひとつの中身は違えど、やる時期とやることは同じ。
そこから、コンテンツが前よりも面白いものになることへの期待や、メンバーたちの成長などの変化を受け取って楽しむことは可能ですが、やはりルーチン化による飽きからは逃れられない。
ファンはまだいい。いま言ったような変化を期待して、楽しむことができるから。
ではメンバーはどうか。
この毎年のルーチンワークに、「自分はこのままでいいのだろうか」と疑問を持つことはないのか。
ある。あった。りほりほがまさにそれでした。
なにも一足飛びに「ルーチン化のせいでりほりほが卒業した」と言いたいわけではありません。
しかし、ルーチン化が、メンバーにとってある種の物足りなさを感じさせる要因になってしまっているのは、そう的外れな見解とは言えないのではと思うところです。
りほりほの卒業は……というか、人がなにか大きな決断に至る理由あるいは原因というのは、得てしてひとつではないと思っています。
きっかけとなる大きな理由はあっても、それだけで決めたわけではなく、それまで蓄積された様々な経験や想いがいくつも重なって、最後にそれを決定付けるなにかがあって決めるのだ、と。
総合プロデューサーつんく♂がいなくなったこと。
ハロプロにおけるモーニング娘。という存在の変化。(まぁこれについては主観の部分が多いのでなんとも言えませんが)
毎年のルーチン化、その他諸々……それらが近い時期に重なったという事実が、モーニング娘。のメンバーたちの意識の変化を、なによりファンの(というか自分の)このモヤモヤを生んだのでは、などと考えてしまうこの頃です。
なーんてことばかりを考えていると、そのとき読んでいた本の、こんなフレーズが目に留まりました。
“そう、愛したものが変わってしまったわけじゃない。要はこっちの気持ちの問題であって、そこにあると思っていたものを、こっちがただ見つけられなくなっただけのことだ。”
ああ、そうなのかもね。
変わったのはハロプロじゃなく、自分のほうなのかもしれない。
りほりほの卒業はショックだけど、それはたぶんきっかけに過ぎない。
変わってしまった自分を直視するきっかけに。
それまでは、大好きなハロプロに疑問を持つということを無意識に避けていた。
でももう、そうもいかなくなってしまった。
とはいえ、変わったのが自分のほうだったにせよ、ハロプロ自体も確実に変わった部分はある。
「つんく♂さんが総合プロデューサーではなくなった」というのはその最たるもので、それによる変化は、ハロプロにもそのファンにも影響を及ぼす。それが良い影響か悪い影響かはわからないけども。
さて、3回の更新を通して、近頃……というより今年になってチリチリと感じていたことを長々と書いてみました。
なぜこんな、あまり前向きとは言い難いことをブログに書いたのかといえば、少なくとも自分はそういったことを感じてしまっていて、一度それとしっかり向き合わないとこれからもずっとこのモヤモヤを抱えていきそうだなと思ったからなのでした。
確かに、『青春コレクション』の歌詞にもありますよ。「ネガティブ言ってても 良いことなんてないし」と。
不満を叫ぶより、いかにそれが楽しいものかを叫んだほうが有益だ、という意見もよく耳にします。
これまでは自分もそう思っていました。
しかし時にはネガティブと向き合わねばならないこともあるのです。
楽しい話じゃないからといって、なあなあのまま流してしまってはいけないことも。
そんなのたいしたことじゃない、と思えるのならそれでもいいと思います。
でも今年になってからのハロプロの(あるいは自分自身の)変化というものは、自分にとっては「たいしたこと」でした。
りほりほの卒業発表を知ったあの瞬間、「自分は今後もモーニング娘。を応援していけるだろうか……」と思ったのは、あのときは単にりほりほがいないということに対しての不安だったと自分でも思っていましたが、実のところ、2015年以降のハロプロへの疑念をどうにか防いでいた要素がなくなってしまうことへの懸念だったのかもしれません。
これまでは、たとえハローに疑問を抱いても「応援したい大好きなメンバー(推し)がいるから……」とあまり考えないようにしていた。でもその娘がいなくなることによって、いよいよ目を背けてはいられなくなってしまった。
箍(たが)が外れた、と云ったらおおげさでしょうか。
自分にとっての「箍」はりほりほでした。でもそのりほりほは、ハロプロに残るとはいえ、モーニング娘。を卒業して留学してしまうと云います。
だからでしょうか。
こんなにも、現在のハロプロについて、ひとりよがりとも聞こえる不満や不安をぶちまけてしまっているのは。
いずれにしても、これらは自分が感じた/思ったことです。
そう、ハロプロの話をしていると見せかけて、実は自分のことばかり話していたのです。アッハッハッハ。
実際、客観的に見ていまのハロプロが/モーニング娘。がどうなのか、というのはよくわからない。
ファンそれぞれに意見はあるでしょうが、ファンである時点でそれはもう主観が強く入り込んでしまっているのでね。
もちろん主観が悪いわけではないので、いろんな意見を聞きたいなとも思います。
自分のこの主張は、的外れでしょうか?悲観的に過ぎるでしょうか?ただの被害妄想なのでしょうか?
我こそは公正なる審美眼の持ち主、という人がいればぜひご意見を伺いたい。
これからのモーニング娘。は、そしてハロプロは、どうなるのでしょう。
つんく♂さんのいない、りほりほのいないモーニング娘。/ハロプロを、自分はどれだけ愛していけるのでしょう。
いやそれはお前の問題やんけ、という指摘は正しい。
でもみなさん、それぞれそういったことをまったく感じていないのでしょうか?
いまのハロプロにもなんの不満もなく、これからもなんの疑念もなく応援していけると確信しているのでしょうか?
「考えたって仕方ない」
結局は、その諦めによって受け流すしかないのでしょうか。
ファンはただそれを受け入れるだけ。
それが嫌なら、ファンを辞めるしかない。
そういうことなのでしょうか。
考えすぎて少々疲れたので、せめて今年いっぱいはあまり考えず、りほりほのいるモーニング娘。を楽しみたいなと思います。
来年以降のハロプロがどうなるか、いや、それを自分がどう思うのか。
まだよくわかりませんが、これまでほど無邪気には楽しめないかもね、とは感じている次第です。
以上。
2015年のハロプロ及びモーニング娘。について思ったことの戯言でした。
というか、まとめのようなもの。
三つのうちどれから読んでも問題はないですが、できれば更新順に(二つ前から)読んで頂けるとありがたいです。
長いので、お時間のあるときにでも。
2015年、これは個人的に、2007年以来の「モヤモヤする年」だったなという印象です。
まだ終わってないですが、ここまででも充分に。
2007年も、もう8年も前のことなのでハッキリ具体的にどうとは言い難いんですが、なんとなく良い印象が少ない年でした。思いっきり主観で申し訳ないですが。
去年、2014年までは、なんとかまだつんく♂さんの影というか存在感はハローにあって、個人的にもとても楽しい充実した年だったなと思ってます。
それが今年になって、少なくともモーニング娘。に関して言えば、去年と同じように楽しく充実していたとはちょっと言い難いのが正直なところ。
確かにひとつひとつ見ていけば、曲にしろコンサートにしろ舞台にしろその他諸々、素晴らしいものだったとは思えるんです。
でも全体的な印象として、年の暮れに思い返す2015年のモーニング娘。は、受難の年だったなと。
ハロプロから、つんく♂さんの影がほとんど消えてしまった年。
まるでそれに呼応するかのように、一番最初の教え子であるモーニング娘。を取り巻く環境も、地味ではあるけれど、確実に変化していったように思えます。どちらかというと、あまり良くない方向に。
グループのエースは、今年になってから卒業を考え始めたと言います。
ラジオや握手会のレポなどを聞くと、(どこまで本気なのかはさておき)他にも何人か“卒業”というものを意識するようになった(そしてそれを口に出すようになった)メンバーがいる様子。
この“受難”というのは「モーニング娘。にとって」なのか、それとも「モーニング娘。のファンにとって」なのかはわかりません。
自分はファンの側なのでどうしてもファン目線が基本になってしまいますが、一度メンバーたちの本当の本音というものも訊いてみたい気がします。今年はどうだった?と。
――いっそ、モーニング娘。だけハロプロを卒業し、ひとつのアーティストとして活動していくのはどうだろう。そしてまたつんく♂さんに、今度はハロプロとかアイドルとか気にせずプロデュースしてもらえたらいいんじゃないか――
暴論だし、もし本当にそうなったら自分も戸惑うであろうことは目に見えているのに、そんなことを考えたりもしました。
これもまた、メンバーたちに本音を訊いてみたい事柄でもあります。
まぁ大概のメンバーは“No”と言うかなとは思いますが、もしかして一人くらい「そうしたいですね」と言う娘がいたりして……いや、いないかなぁ……。
そんなことを考えてしまうほど、今年になってからのハロプロには、個人的にモヤモヤした想いを抱えることが多かったということです。それはなにもモーニング娘。に限ったことではなく。
少し前、コメントで「最近のハロプロはルーチン化していませんか」と問われたことがありました。
それが良いか悪いかはともかく、そうなってるなと自分も思います。
恐らく、事務所としてはそのほうが楽なのでしょう。
スケジュールの把握や調整もしやすいですし、そもそもルーチン化のメリットはそういった単純化による容易性の確保なわけなので。
ハロプロは1年中コンサートをしていますが、夏と冬はハロコンを、春と秋は単独コンを、合間にひなフェスをやるのも恒例化しましたし、娘。の場合は6月に舞台があるのも恒例です。
2011年の舞台『リボーン』は10月に行われていましたが、その次の『ステーシーズ』から6月が舞台の月ということになったんですよね。
そうやってあらかじめ時期を決めてしまえば、それ以降はある程度楽というか、予定が立てやすいというのは確か。
そういったルーチン化はしかし、ファンのみならずメンバー自身にとっても「飽き」を生む要素にもなりうる危険性があります。
毎年、ひとつひとつの中身は違えど、やる時期とやることは同じ。
そこから、コンテンツが前よりも面白いものになることへの期待や、メンバーたちの成長などの変化を受け取って楽しむことは可能ですが、やはりルーチン化による飽きからは逃れられない。
ファンはまだいい。いま言ったような変化を期待して、楽しむことができるから。
ではメンバーはどうか。
この毎年のルーチンワークに、「自分はこのままでいいのだろうか」と疑問を持つことはないのか。
ある。あった。りほりほがまさにそれでした。
なにも一足飛びに「ルーチン化のせいでりほりほが卒業した」と言いたいわけではありません。
しかし、ルーチン化が、メンバーにとってある種の物足りなさを感じさせる要因になってしまっているのは、そう的外れな見解とは言えないのではと思うところです。
りほりほの卒業は……というか、人がなにか大きな決断に至る理由あるいは原因というのは、得てしてひとつではないと思っています。
きっかけとなる大きな理由はあっても、それだけで決めたわけではなく、それまで蓄積された様々な経験や想いがいくつも重なって、最後にそれを決定付けるなにかがあって決めるのだ、と。
総合プロデューサーつんく♂がいなくなったこと。
ハロプロにおけるモーニング娘。という存在の変化。(まぁこれについては主観の部分が多いのでなんとも言えませんが)
毎年のルーチン化、その他諸々……それらが近い時期に重なったという事実が、モーニング娘。のメンバーたちの意識の変化を、なによりファンの(というか自分の)このモヤモヤを生んだのでは、などと考えてしまうこの頃です。
なーんてことばかりを考えていると、そのとき読んでいた本の、こんなフレーズが目に留まりました。
“そう、愛したものが変わってしまったわけじゃない。要はこっちの気持ちの問題であって、そこにあると思っていたものを、こっちがただ見つけられなくなっただけのことだ。”
ああ、そうなのかもね。
変わったのはハロプロじゃなく、自分のほうなのかもしれない。
りほりほの卒業はショックだけど、それはたぶんきっかけに過ぎない。
変わってしまった自分を直視するきっかけに。
それまでは、大好きなハロプロに疑問を持つということを無意識に避けていた。
でももう、そうもいかなくなってしまった。
とはいえ、変わったのが自分のほうだったにせよ、ハロプロ自体も確実に変わった部分はある。
「つんく♂さんが総合プロデューサーではなくなった」というのはその最たるもので、それによる変化は、ハロプロにもそのファンにも影響を及ぼす。それが良い影響か悪い影響かはわからないけども。
さて、3回の更新を通して、近頃……というより今年になってチリチリと感じていたことを長々と書いてみました。
なぜこんな、あまり前向きとは言い難いことをブログに書いたのかといえば、少なくとも自分はそういったことを感じてしまっていて、一度それとしっかり向き合わないとこれからもずっとこのモヤモヤを抱えていきそうだなと思ったからなのでした。
確かに、『青春コレクション』の歌詞にもありますよ。「ネガティブ言ってても 良いことなんてないし」と。
不満を叫ぶより、いかにそれが楽しいものかを叫んだほうが有益だ、という意見もよく耳にします。
これまでは自分もそう思っていました。
しかし時にはネガティブと向き合わねばならないこともあるのです。
楽しい話じゃないからといって、なあなあのまま流してしまってはいけないことも。
そんなのたいしたことじゃない、と思えるのならそれでもいいと思います。
でも今年になってからのハロプロの(あるいは自分自身の)変化というものは、自分にとっては「たいしたこと」でした。
りほりほの卒業発表を知ったあの瞬間、「自分は今後もモーニング娘。を応援していけるだろうか……」と思ったのは、あのときは単にりほりほがいないということに対しての不安だったと自分でも思っていましたが、実のところ、2015年以降のハロプロへの疑念をどうにか防いでいた要素がなくなってしまうことへの懸念だったのかもしれません。
これまでは、たとえハローに疑問を抱いても「応援したい大好きなメンバー(推し)がいるから……」とあまり考えないようにしていた。でもその娘がいなくなることによって、いよいよ目を背けてはいられなくなってしまった。
箍(たが)が外れた、と云ったらおおげさでしょうか。
自分にとっての「箍」はりほりほでした。でもそのりほりほは、ハロプロに残るとはいえ、モーニング娘。を卒業して留学してしまうと云います。
だからでしょうか。
こんなにも、現在のハロプロについて、ひとりよがりとも聞こえる不満や不安をぶちまけてしまっているのは。
いずれにしても、これらは自分が感じた/思ったことです。
そう、ハロプロの話をしていると見せかけて、実は自分のことばかり話していたのです。アッハッハッハ。
実際、客観的に見ていまのハロプロが/モーニング娘。がどうなのか、というのはよくわからない。
ファンそれぞれに意見はあるでしょうが、ファンである時点でそれはもう主観が強く入り込んでしまっているのでね。
もちろん主観が悪いわけではないので、いろんな意見を聞きたいなとも思います。
自分のこの主張は、的外れでしょうか?悲観的に過ぎるでしょうか?ただの被害妄想なのでしょうか?
我こそは公正なる審美眼の持ち主、という人がいればぜひご意見を伺いたい。
これからのモーニング娘。は、そしてハロプロは、どうなるのでしょう。
つんく♂さんのいない、りほりほのいないモーニング娘。/ハロプロを、自分はどれだけ愛していけるのでしょう。
いやそれはお前の問題やんけ、という指摘は正しい。
でもみなさん、それぞれそういったことをまったく感じていないのでしょうか?
いまのハロプロにもなんの不満もなく、これからもなんの疑念もなく応援していけると確信しているのでしょうか?
「考えたって仕方ない」
結局は、その諦めによって受け流すしかないのでしょうか。
ファンはただそれを受け入れるだけ。
それが嫌なら、ファンを辞めるしかない。
そういうことなのでしょうか。
考えすぎて少々疲れたので、せめて今年いっぱいはあまり考えず、りほりほのいるモーニング娘。を楽しみたいなと思います。
来年以降のハロプロがどうなるか、いや、それを自分がどう思うのか。
まだよくわかりませんが、これまでほど無邪気には楽しめないかもね、とは感じている次第です。
以上。
2015年のハロプロ及びモーニング娘。について思ったことの戯言でした。