素晴らしくも華々しい卒業公演を見事成功させ、その翌日にもうTwitterを始めるという、セカンドライフも順風満帆な出だしの福田まろさん。
それなぁ。いいなぁ。羨ましいなぁ。
まさに、りほりほにやってほしいことだよ。
華々しい卒業公演→Twitter開始。
夢だよね。夢でしかない確率が高いけどね。
そんななか、『月刊エンタメ』に載っていたりほりほのインタビュー記事を読みましたよ。
それで改めて思ったのは、りほりほというのは上昇志向と自立精神がとても強い人なんだなということ。
まぁいますよね、そういう人って。
そういう人っていうのは、まさにりほりほのように海外とか行っちゃったりするのが常。
そもそも日本とか海外とかの垣根をあまり感じてない人なのかもしれません。自分が良いと思うもの、素晴らしいと感じるものは、日本も海外もない、その価値だけをまっすぐに受け止める。
だから、より良いものを求めていけば、必然的に日本から飛び出すこともなんら特別なことではない。そういうことなのかな、と。
りほりほと、たとえばさゆとか先日卒業したばかりのまろとか、メンバーでありながらもファンに近い視点を持つ、そんな子たちとの一番の違いというのは、モーニング娘。/ハロプロというものに対する思い入れの違いなのかもしれません。
「モーニング娘。になるために生まれてきた」と言ったさゆや、「アイドルに(ハロプロに)なることが夢だった」と言ったまろ。
他にもフクちゃんとか、「ハロプロに憧れて、ハロプロになることが目標だった」というメンバーとの違い。
りほりほは、モーニング娘。で5年間活動してきた中で、自分の夢が更新されていったと言います。
かつて某ラジオで、小春が「モーニング娘。は踏み台」と言ったとか言わなかったとかで騒動になりましたが(実際は「踏み台」という言葉は使ってない)、りほりほにとっては真実、モーニング娘。は踏み台だったと言えるでしょう。
踏み台という言葉が悪いなら、ジャンプ台。あるいは通過点。
モーニング娘。に憧れた幼き日の心は、憧れたままではいられず、今度はさらにその先の目標を目指すようになった。
ちょっと意地悪い言い方をするならば、りほりほにとってモーニング娘。はもう、役不足になってしまったのかもしれませんね。
留まって頑張る場所ではなく、次の目標のために通過する場所になった。
娘。のファンにとっては、なって“しまった”と感じるところではあるんですが……。
結局、「モーニング娘。のファン」たる人々がこの卒業を悲しんでいるのも、そこなんですよ。
我々はモーニング娘。というグループを愛していて、それをいつまでも、できればいまのかたち(メンバー)のままで長く応援していきたいと思っていたけど、りほりほにとってモーニング娘。は夢の通り道になってしまった。それは決して悲観的なことではなくむしろ前向きな将来への布石ではあるけれど、結果としては「卒業」という選択をするわけで、そのふたつ、「りほりほの決断」と「その意味するところ」が、ファンのなかでの齟齬を生み出すというわけです。
ジレンマですよね。
鞘師里保という個人のことを考えれば、これはとても喜ぶべきことなのに、モーニング娘。というグループのことを考えると、焦りとか不安とか哀しみとかが湧いてくるというこの状況は。
インタビューのなかで、「モーニング娘。はいつかは卒業しなくちゃいけないグループだと思うんです。そもそもメンバーの入れ替わりが前提になっていますし」と言うりほりほ。
その通り。まさにその通りなんだけど、うーん……。
なんなんでしょうね、モーニング娘。って。
いつかは卒業しなくちゃいけないグループ。
入れ替わりが前提になっているグループ。
いつからそうなった?いつからそれが当たり前の、是も非もなく受け入れなければいけないルールみたいになった?
そして、いまでも変わらず、これからもきっと変わらずそうであらねばならない理由はなんだ?
毎年のようにメンバーの入れ替えをしないと続けていけないほど魅力のないグループなのか?オレはそうは思えないんだけどな。
最近、そんなことを考えてしまう自分がいます。
確かに、そういうシステムだったからこそ、いまの13人にも出会えたわけです。
でも、いつまでこうでなくてはいけないのでしょう。
モーニング娘。のファンとして、なんだかそろそろむなしくなってきました。
どうせ何を言ったところでシステムそのものが変わることはないと重々わかってはいるけど、このそこはかとないむなしさはなんなのか。
いくら愛したって、こうして「モーニング娘。はそういうものだから」という、理由になってるのかなってないのかよくわからない理由によって、みんな去っていく。
どうしてモーニング娘。は通過点でなくてはいけないのでしょうね。
同じハロプロでも、℃-uteなどは(過去に卒業したメンバーはいるけど)5人になってからはずっと変わらず活動してきて、これからも活動していきそうな気配があるのに、モーニング娘。はどうやらそうはなってくれないらしい。
そういう約束でしたっけ?
グループ結成にあたって、そういう絶対的な条件とか作りましたっけ?
もしそうならしょうがないかと思えるんですが、実際のところ、結構あいまいな感じで遂行されてることのような気がしないでもないです。つまり、「まぁ、なんとなくそういうことになってるし」という。
まるで、モーニング娘。ではなにも目指せないと言われてるかのようで。
モーニング娘。はあくまで通過点であって、短い青春時代をアイドルとして謳歌するだけの場所であって、勉強の場所であって、今後の将来を考えるための場所であって、決してこのまま高みを目指すような場所ではない、と言われてるようで。
実際そうなのだ、と言われれば、たしかにその通りかもね。
そんなこととっくにわかってるはずなのに、どうしていまさらそれがこんなにもむなしく感じるのか、自分でもよくわからんよ。
こんなこと書いたって、自分にとってもこれを読んでくれる人にとってもマイナスな感情しか生まないとわかってるのに、今回ばかりはどうしても考えるのをやめられない。
まぁりほりほの卒業はそれほど衝撃的だったのだということで、どうかご容赦くださいm(_ _ )m
きっとそのうちまた慣れるでしょう。いや、慣れたフリができるようになるでしょう。
いまだけ、ネガティブなことを言わせてちょ。
そう、最近のモーニング娘。とハロプロについて、あんまり楽しくはない話をあと3更新分くらい書く予定なのでね←
話をりほりほに戻して。
去年ニューヨークにライブで行った際、そこでやっぱり目覚めちゃってたんですね。海外に行くということについて。
まったく、こうなると海外進出も考えものだな……w
まぁそれがなくてもいずれはそちらを目指していた可能性は高いし、つんく♂さんがずっと準備してきた「大きな仕事」であるNY公演がきっかけでそういう自分に気付いたというのも、巡り合わせ、運命ってやつなのかもしれません。
もうひとつ。
りほりほは、自分が自分に後悔しないっていう人生を送りたいんです、と言います。
「あのときやっておけばよかった」と思っても、もう遅い、そういうふうに人生を終えるのが嫌なので、と。
奇しくもこのインタビューを読む数日前、Twitterで自分も似たようなつぶやきをしておりました。
セルフ引用↓
『何年か経って「あのときやっていれば……」と後悔することは誰でもできるんだけど、りほりほはそうしないためにいま決断して動いたんだな、と改めて思う。“決断”して“動く”。簡単そうで、いかに難しいことか』
なんだ、わかってるじゃないかオレ。
とにかくりほりほは後悔することが嫌で、そのためならなんでも行動に移せる強さがある人なのですね。
これまたちょっと意地悪な言い方になってしまうけど、りほりほは自分の能力でモーニング娘。を大きくしていくことよりも、そこを離れて自分自身をさらに向上させるほうを選んだ。
ファンのために(そしてある意味会社のために)来年の春まで待つこともせず、年の区切りとして、そして留学の準備に早く取り掛かるためとして、2015年12月31日までという急な卒業を決めた。
責めてるわけじゃないよ。
りほりほがファン想いなのは知ってる。でもそれでもこうして自分の望みのほうを優先するくらい、この卒業は必然なのだということはわかった。
最近は↑に書いたように、ハロプロを愛してやまないメンバーとか、10年以上在籍するメンバーのほうが多かったから、りほりほみたいな娘もいるのだということをちょっと忘れてました。
現在配信中の『アイドルもういっちょ』であゆみんが言ってたみたいに、「モーニング娘。以外にやってて楽しいことがない」「モーニング娘。じゃなくなったら何もすることがなくなってしまう」というメンバーもいて、ファンとしてはそれこそ望むところであり、メンバーみんなそうであってほしいと思っていた。
でもそうね。
なんか、なるべく長く在籍してグループに貢献することがメンバーの使命、みたいに思ってしまってる節があったけど、もちろんそんなことはないんですよね。
ハロプロが、モーニング娘。がすべてじゃない。
仮にファンにとってはそれがすべてでも、メンバーにとっては、少なくともいまの鞘師里保にとってはそうじゃない。
そんな単純なことに、ようやく気付いた気がします。
人生は有限だし、道はひとつじゃない。
あまりにモーニング娘。というオアシスに浸り過ぎていた自分は、そんなことすっかり忘れていましたよ。
みんな、ここを目指してきた娘たちは、それこそ目指してやって来たわけだし、せっかく来たからには長居していくもんだと思ってた。誰もがここを思う存分楽しんで、さすがにもういいかと思えるくらい謳歌してから去っていくもんだと思ってたのに、そうじゃない人がいた。エースだった。「え、もう行っちゃうの?もう少し居なよ」といくら言っても無駄で、その人はここが終着点だとは全然思っていなかった。ここを目指しては来たけど、また他に行きたい場所ができたのだと言う。まさかそんな人がいまの13人から出てくるなんて思ってなくて、ショックだった。しかもそれが、自分の一番好きな娘だったからなおさら。
そんな心境ですかね。
こうして誰か一人でも「ここは終着点ではない」ということを明示してしまうと、他のメンバーにもそれは伝播するでしょう。
いままでちゃんと考えなかったかもしれない「自分の卒業」というものを意識し出して、遠からずオアシスはまたガラッと様相を変えてしまうのでしょうね。
なんだか恨み節のようになってしまいますが、さっきも書いたように、どうやら「それがモーニング娘。」らしい。
そのことを、衝撃と共に思い出させてくれました、彼女は。
知ってはいたけど、思い出したくなかった“モーニング娘。の現実”ってやつを。
まぁそんな感じで、もうネガティブなんだかポジティブなんだか自分でもよくわからないカオスな精神状態になっております。
りほりほの卒業だけでなく、今年はハロプロにおけるモーニング娘。の立ち位置も何気に大きく変わった年だと感じていて、それらをひたすら、考えすぎなくらい考えているこの頃。
ブログに書くべきじゃないかな……とも思うんですが、どうせ弱小ブログだし、他の人があまり言わなそうなことを言ってこそ価値があるんじゃないか、と都合のいい理由をこしらえて、せっせと書いたり消したりしてます。
もしアップした際は、お暇でしたら読んでやってくださいまし。
それなぁ。いいなぁ。羨ましいなぁ。
まさに、りほりほにやってほしいことだよ。
華々しい卒業公演→Twitter開始。
夢だよね。夢でしかない確率が高いけどね。
そんななか、『月刊エンタメ』に載っていたりほりほのインタビュー記事を読みましたよ。
それで改めて思ったのは、りほりほというのは上昇志向と自立精神がとても強い人なんだなということ。
まぁいますよね、そういう人って。
そういう人っていうのは、まさにりほりほのように海外とか行っちゃったりするのが常。
そもそも日本とか海外とかの垣根をあまり感じてない人なのかもしれません。自分が良いと思うもの、素晴らしいと感じるものは、日本も海外もない、その価値だけをまっすぐに受け止める。
だから、より良いものを求めていけば、必然的に日本から飛び出すこともなんら特別なことではない。そういうことなのかな、と。
りほりほと、たとえばさゆとか先日卒業したばかりのまろとか、メンバーでありながらもファンに近い視点を持つ、そんな子たちとの一番の違いというのは、モーニング娘。/ハロプロというものに対する思い入れの違いなのかもしれません。
「モーニング娘。になるために生まれてきた」と言ったさゆや、「アイドルに(ハロプロに)なることが夢だった」と言ったまろ。
他にもフクちゃんとか、「ハロプロに憧れて、ハロプロになることが目標だった」というメンバーとの違い。
りほりほは、モーニング娘。で5年間活動してきた中で、自分の夢が更新されていったと言います。
かつて某ラジオで、小春が「モーニング娘。は踏み台」と言ったとか言わなかったとかで騒動になりましたが(実際は「踏み台」という言葉は使ってない)、りほりほにとっては真実、モーニング娘。は踏み台だったと言えるでしょう。
踏み台という言葉が悪いなら、ジャンプ台。あるいは通過点。
モーニング娘。に憧れた幼き日の心は、憧れたままではいられず、今度はさらにその先の目標を目指すようになった。
ちょっと意地悪い言い方をするならば、りほりほにとってモーニング娘。はもう、役不足になってしまったのかもしれませんね。
留まって頑張る場所ではなく、次の目標のために通過する場所になった。
娘。のファンにとっては、なって“しまった”と感じるところではあるんですが……。
結局、「モーニング娘。のファン」たる人々がこの卒業を悲しんでいるのも、そこなんですよ。
我々はモーニング娘。というグループを愛していて、それをいつまでも、できればいまのかたち(メンバー)のままで長く応援していきたいと思っていたけど、りほりほにとってモーニング娘。は夢の通り道になってしまった。それは決して悲観的なことではなくむしろ前向きな将来への布石ではあるけれど、結果としては「卒業」という選択をするわけで、そのふたつ、「りほりほの決断」と「その意味するところ」が、ファンのなかでの齟齬を生み出すというわけです。
ジレンマですよね。
鞘師里保という個人のことを考えれば、これはとても喜ぶべきことなのに、モーニング娘。というグループのことを考えると、焦りとか不安とか哀しみとかが湧いてくるというこの状況は。
インタビューのなかで、「モーニング娘。はいつかは卒業しなくちゃいけないグループだと思うんです。そもそもメンバーの入れ替わりが前提になっていますし」と言うりほりほ。
その通り。まさにその通りなんだけど、うーん……。
なんなんでしょうね、モーニング娘。って。
いつかは卒業しなくちゃいけないグループ。
入れ替わりが前提になっているグループ。
いつからそうなった?いつからそれが当たり前の、是も非もなく受け入れなければいけないルールみたいになった?
そして、いまでも変わらず、これからもきっと変わらずそうであらねばならない理由はなんだ?
毎年のようにメンバーの入れ替えをしないと続けていけないほど魅力のないグループなのか?オレはそうは思えないんだけどな。
最近、そんなことを考えてしまう自分がいます。
確かに、そういうシステムだったからこそ、いまの13人にも出会えたわけです。
でも、いつまでこうでなくてはいけないのでしょう。
モーニング娘。のファンとして、なんだかそろそろむなしくなってきました。
どうせ何を言ったところでシステムそのものが変わることはないと重々わかってはいるけど、このそこはかとないむなしさはなんなのか。
いくら愛したって、こうして「モーニング娘。はそういうものだから」という、理由になってるのかなってないのかよくわからない理由によって、みんな去っていく。
どうしてモーニング娘。は通過点でなくてはいけないのでしょうね。
同じハロプロでも、℃-uteなどは(過去に卒業したメンバーはいるけど)5人になってからはずっと変わらず活動してきて、これからも活動していきそうな気配があるのに、モーニング娘。はどうやらそうはなってくれないらしい。
そういう約束でしたっけ?
グループ結成にあたって、そういう絶対的な条件とか作りましたっけ?
もしそうならしょうがないかと思えるんですが、実際のところ、結構あいまいな感じで遂行されてることのような気がしないでもないです。つまり、「まぁ、なんとなくそういうことになってるし」という。
まるで、モーニング娘。ではなにも目指せないと言われてるかのようで。
モーニング娘。はあくまで通過点であって、短い青春時代をアイドルとして謳歌するだけの場所であって、勉強の場所であって、今後の将来を考えるための場所であって、決してこのまま高みを目指すような場所ではない、と言われてるようで。
実際そうなのだ、と言われれば、たしかにその通りかもね。
そんなこととっくにわかってるはずなのに、どうしていまさらそれがこんなにもむなしく感じるのか、自分でもよくわからんよ。
こんなこと書いたって、自分にとってもこれを読んでくれる人にとってもマイナスな感情しか生まないとわかってるのに、今回ばかりはどうしても考えるのをやめられない。
まぁりほりほの卒業はそれほど衝撃的だったのだということで、どうかご容赦くださいm(_ _ )m
きっとそのうちまた慣れるでしょう。いや、慣れたフリができるようになるでしょう。
いまだけ、ネガティブなことを言わせてちょ。
そう、最近のモーニング娘。とハロプロについて、あんまり楽しくはない話をあと3更新分くらい書く予定なのでね←
話をりほりほに戻して。
去年ニューヨークにライブで行った際、そこでやっぱり目覚めちゃってたんですね。海外に行くということについて。
まったく、こうなると海外進出も考えものだな……w
まぁそれがなくてもいずれはそちらを目指していた可能性は高いし、つんく♂さんがずっと準備してきた「大きな仕事」であるNY公演がきっかけでそういう自分に気付いたというのも、巡り合わせ、運命ってやつなのかもしれません。
もうひとつ。
りほりほは、自分が自分に後悔しないっていう人生を送りたいんです、と言います。
「あのときやっておけばよかった」と思っても、もう遅い、そういうふうに人生を終えるのが嫌なので、と。
奇しくもこのインタビューを読む数日前、Twitterで自分も似たようなつぶやきをしておりました。
セルフ引用↓
『何年か経って「あのときやっていれば……」と後悔することは誰でもできるんだけど、りほりほはそうしないためにいま決断して動いたんだな、と改めて思う。“決断”して“動く”。簡単そうで、いかに難しいことか』
なんだ、わかってるじゃないかオレ。
とにかくりほりほは後悔することが嫌で、そのためならなんでも行動に移せる強さがある人なのですね。
これまたちょっと意地悪な言い方になってしまうけど、りほりほは自分の能力でモーニング娘。を大きくしていくことよりも、そこを離れて自分自身をさらに向上させるほうを選んだ。
ファンのために(そしてある意味会社のために)来年の春まで待つこともせず、年の区切りとして、そして留学の準備に早く取り掛かるためとして、2015年12月31日までという急な卒業を決めた。
責めてるわけじゃないよ。
りほりほがファン想いなのは知ってる。でもそれでもこうして自分の望みのほうを優先するくらい、この卒業は必然なのだということはわかった。
最近は↑に書いたように、ハロプロを愛してやまないメンバーとか、10年以上在籍するメンバーのほうが多かったから、りほりほみたいな娘もいるのだということをちょっと忘れてました。
現在配信中の『アイドルもういっちょ』であゆみんが言ってたみたいに、「モーニング娘。以外にやってて楽しいことがない」「モーニング娘。じゃなくなったら何もすることがなくなってしまう」というメンバーもいて、ファンとしてはそれこそ望むところであり、メンバーみんなそうであってほしいと思っていた。
でもそうね。
なんか、なるべく長く在籍してグループに貢献することがメンバーの使命、みたいに思ってしまってる節があったけど、もちろんそんなことはないんですよね。
ハロプロが、モーニング娘。がすべてじゃない。
仮にファンにとってはそれがすべてでも、メンバーにとっては、少なくともいまの鞘師里保にとってはそうじゃない。
そんな単純なことに、ようやく気付いた気がします。
人生は有限だし、道はひとつじゃない。
あまりにモーニング娘。というオアシスに浸り過ぎていた自分は、そんなことすっかり忘れていましたよ。
みんな、ここを目指してきた娘たちは、それこそ目指してやって来たわけだし、せっかく来たからには長居していくもんだと思ってた。誰もがここを思う存分楽しんで、さすがにもういいかと思えるくらい謳歌してから去っていくもんだと思ってたのに、そうじゃない人がいた。エースだった。「え、もう行っちゃうの?もう少し居なよ」といくら言っても無駄で、その人はここが終着点だとは全然思っていなかった。ここを目指しては来たけど、また他に行きたい場所ができたのだと言う。まさかそんな人がいまの13人から出てくるなんて思ってなくて、ショックだった。しかもそれが、自分の一番好きな娘だったからなおさら。
そんな心境ですかね。
こうして誰か一人でも「ここは終着点ではない」ということを明示してしまうと、他のメンバーにもそれは伝播するでしょう。
いままでちゃんと考えなかったかもしれない「自分の卒業」というものを意識し出して、遠からずオアシスはまたガラッと様相を変えてしまうのでしょうね。
なんだか恨み節のようになってしまいますが、さっきも書いたように、どうやら「それがモーニング娘。」らしい。
そのことを、衝撃と共に思い出させてくれました、彼女は。
知ってはいたけど、思い出したくなかった“モーニング娘。の現実”ってやつを。
まぁそんな感じで、もうネガティブなんだかポジティブなんだか自分でもよくわからないカオスな精神状態になっております。
りほりほの卒業だけでなく、今年はハロプロにおけるモーニング娘。の立ち位置も何気に大きく変わった年だと感じていて、それらをひたすら、考えすぎなくらい考えているこの頃。
ブログに書くべきじゃないかな……とも思うんですが、どうせ弱小ブログだし、他の人があまり言わなそうなことを言ってこそ価値があるんじゃないか、と都合のいい理由をこしらえて、せっせと書いたり消したりしてます。
もしアップした際は、お暇でしたら読んでやってくださいまし。