誰も覚えてないと思うけど、ちょっと前に「最近のハロプロやモーニング娘。について、あまり楽しくはない話を3更新くらい書く予定」と書いたやつ、それの一つ目をようやく。


実はこれ、娘。武道館公演の数日前に書いてあったもので、アップするタイミングがなくて今になった。


自分のなかでは密かに《Frustration三部作》と呼んでいたけど、明らかにそんな大層なものではないので、ひとりのヲタの愚痴めいた小言としてお読みください。


先述の通りあまり楽しい話ではないし、主に娘。ヲタ目線で書いてるのでご了承あれ。






今回は、卒業と加入を繰り返すモーニング娘。が被っていると思われる労苦について。


なぜいまさらそんなことを書くかといえば、なんとなくそれが「当たり前のもの」として捉えられてないか?と感じたので。






新年になると、毎年「去年〇〇ちゃんが卒業したから今年はさすがに誰も卒業しないだろう」と予測して、見事に外れることになる。今年も見事に二人のメンバーがハローから卒業した(する)し、脱退も一人いた。


いい加減学ぼうと思う。
来年もきっと誰かが卒業する。覚悟しておいたほうがいい。


誰かはわからない。
今年まさかりほりほが卒業するなんて思ってもいなかったわけだから、また「まさか」と思うような娘かもしれない。もちろん娘。からとは限らない。どのグループからだって充分ありうることだ。(なんだか脅しみたいだけど、実際そうだから参る)




それはともかく、このアイドルという職業に付きものの“卒業”とやらがグループに及ぼす影響について、憂慮の念を禁じ得ないなと思うこの頃。


メンバーがグループから卒業するというのは、仕方がないこととはいえ、やはり影響はでかい。「良くも悪くも」というのは間違ってないにせよ、比率としては「悪くも」のほうが高いというのが正直なところ。


当然といえば当然のことで、いままでいたメンバーがいなくなるわけだから、百歩譲って「悪く」はならないとしても、そのことで即座に「良く」もならないだろう。卒業した途端グループが「良く」なったとしたら、そいつはどんな問題児だったのかという話になってしまう。


誰かの卒業後にグループが良くなったとしても、それは残ったメンバーたちの努力によるものだ。(あと事務所の頑張りも)




とにかくこの“卒業”という変化は、グループにとってなかなかのダメージとなる。


娘。だけでなく、かつての℃-uteや初期スマイレージを見ればそれがよくわかる。


また、グループによっては“加入”という変化もあって、そのほとんどは「良く」なるものではあるにせよ、いきなりなにもかもプラスになるかと言えばそれもまた違う。新人が加入したばかりの頃は、誰にとってもいろんな意味で苦労が絶えないだろう。


そういった変化というもののなにが問題かといえば、まさしく“変化すること”であり、度重なる変化は、ファンにとっては新鮮な魅力である反面、「愛着が湧きにくい」という弊害をもたらす。


グループのかたちが長く同じであればあるほど、ファンとしては愛着が湧く。メンバーたち自身もそうかもしれない。


そしてメンバーたち自身としては、愛着だけではなく、パフォーマンスの精度も向上していく要因となるだろう。何年も同じメンバーで歌って踊っていれば、自然、個人だけでなくグループ全体としての技も磨かれていく。



これらを逆に言えば、かたちが変化すればするほど愛着は湧きにくくなり(というより、せっかく湧いた愛着がそのつど変化を強いられる)、パフォーマンスの精度も磨かれにくくなってくるということだ。


そういった変化が一番激しいモーニング娘。を例にして見てみよう。


卒業や加入があるたびに、歌割りは変わり、ダンスの場位置も変わっていく。


「加入」ならば先輩は新人の面倒を見なくてはいけないし、「卒業」ならば先輩/後輩/同期、気心の知れた仲間がいなくなってしまうという精神的な負担も大きい。


メンバー間の絆を強くし、パフォーマンスの精度を上げ、ファンに愛着を持たせるには、同じかたちで長く続けるということが好条件となるのは自明である。


しかしアイドルという仕事はそれがなかなか難しく、なかでもモーニング娘。はむしろ「そうしない」ことをモットーとしているようなグループだったりする。



そのスタイルでこんなにも長くグループが続いているのは驚異的なことだ。


しかし個人的に不満に思うのは、なんだかあまりにもそれが「当たり前」であるかのように、ファンもメンバーも事務所も感じているのではないかということ。


どんなに変化しようが、そのことでどれだけ苦労を強いられようが「モーニング娘。はそういうものだから」で片づけられてしまってないか?という疑問。


自分はたまに、その手の変化があまりない他のグループを羨ましく想うことがあったりする。


多少の変化はあれど、そこからまた同じかたちで数年間活動できるようなグループが羨ましい。


モーニング娘。ときたら、毎年のように誰かが卒業していき、誰かが加入してくる。
そしてそのたびに、さっき言ったような実際的な/精神的な苦労を負うことになるわりに、その辺のことについては「そういうものだから」で流されてしまうのだ。


「そういうものだから」じゃないんだよ。流すな、そこを。


あまりに長いことそのスタイルでやってきたからそうなってしまうのもわからんではないが、だからといってそれをまるでなかったことのように捉えてしまうのはいくらなんでもメンバーたちが気の毒すぎる。


卒業加入の連続で様々な苦労があるにも関わらず、ファンの安易な比較によって「〇〇に負けてる」「〇〇のほうがレベル高い」だのと叩かれることもある。


そういう比較をしたいのならば、両者の条件を限りなく近付けてからにしたまえ。


他のグループも毎年のように卒業と加入を繰り返してからにしたまえ。できればグループの総人数も近いほうが条件としては望ましい。



いや、別にそういった比較厨に文句を言いたいわけではない。


そんな些末なことはどうでもよくて、とにかくこのモーニング娘。が負った宿命とも言うべき壁を、どうか当たり前だと思わず、存在しないもののように扱うのはやめようぜという話だ。



いまのハロプロは実力重視で、パフォーマンスレベルが上がるほどファンのウケもよくなる。


にも関わらずモーニング娘。がやってることといえば、その逆を行くかのような矛盾したスタイルだ。


これは無茶ぶりというやつではないだろうか。
愛着もあり、実力もついてきたメンバーが次々と抜けていく代わりに、まだ未熟な新人が次々に加入してくる。
こんな環境で「パフォーマンスレベルを上げろ」と言われても、それはなかなか理不尽な要求と言わざるを得ない。
そんな中で、あの娘たちは本当によくやってると思う。


かといってファンは評価の目を緩めてはくれず、ちょっとでも至らない点があれば容赦なく糾弾していく。“変化”による労苦などなかったかのように。


そのことを時折り、不満に感じる。


そんなに言うんだったら、娘。も卒業加入制度なくしてくれよ。せめて数年間はまったく変化なしで活動させてくれよ、と。


プラチナ期のパフォーマンスレベルが高かったのだって、そういった変化が少なかったからという面も大きいはずだ。


℃-uteもそう。
最初からいまほど凄かったわけではない。5人になってから長く、変化なしに活動してきたからこそいまがあるわけで。


つまり、本気でモーニング娘。のパフォーマンスレベルを上げたいと思うのならば、まずはしばらくメンバーを固定して、卒業も加入もなく、おなじかたちで続けることだ。


でももくそもない。毎年のように繰り返す新陳代謝はグループにとって負担が多すぎて、レベルアップどころではない。しつこいようだけど、このスタイルでパフォーマンスのレベルアップを求めるというのは明らかに矛盾している。そこに目をつぶってはいけない。



もちろん現実的には、そうならないとはわかってる。


あの事務所はそうしない。将来有望な研修生もたくさんいるし、いまだって随時募集中だ。まだ見ぬ原石の一般人確保を夢見る気持ちもあるだろう。


これからも「変化し続けるモーニング娘。」として、誰かが卒業し、誰かが加入してくるのだろう。


そう、それはわかってるから、だったらあまりゴタゴタ言ってくれるな、と思う。


もはやハロプロにおいて、モーニング娘。は特異な位置にいる。いや、最初からそうだったわけだが。


毎年毎年呆れるほどメンバーの入れ替えを繰り返し、それでいてパフォーマンスの向上を求められるというカオスな環境にいるのだ。


もう少しあたたかい目で、長い目で見守ってあげよう。


だって「それがモーニング娘。」なんでしょう?こうしてメンバーが卒業加入を繰り返していくのが。それでもレベルの高いパフォーマンスを求めるのが。


無茶な要求をするのであれば、ファン側ももう少し落ち着いて、そして誠実に応援する必要があるのではと思う。







“娘。に顕著な労苦”について、ついでだからもうひとつ。


モーニング娘。を縛る呪いとして、「モーニング娘。は恵まれてるから」というものがある。


メンバー当人たちが自ら言うこともあるし、ファンが言うこともあるし、他グループのメンバーはさすがにズバリそう言うことはないにしても、どこか言外そうに匂わす発言をすることが、1ミリもないとは言えない。


「モーニング娘。は恵まれてるから」


そういえば、りほりほが卒業を考えた理由のひとつでもあったっけ。
まぁ本人が自分に向かって言うそれはまた意味合いが変わってくるんだけども。




アンジュルムのメンバーは、よく一時期の自分たちのことを「どん底」だったと言う。


それについてはここでは深く追及はしないとして、もしモーニング娘。が客観的に見て「どん底」な(あるいはそれに近い)状況になったとき、その後同じように「あの頃はどん底で……」と言えるだろうか。いや、言えまい。言わないだろう。


それがモーニング娘。の矜持でもあり、呪いでもある。


どういうことかというと、モーニング娘。は“恵まれているから”そんなことを言ってはいけないのだ。


モーニング娘。は“恵まれている”んだから、そのくらいの苦労で愚痴めいたことを言ってはいけない。弱音を吐いてはいけない。


誰かがそうハッキリと口にするわけではない。しかし、そういう空気がある、ということだ。


メンバーたち自身も、なんとなくそれは感じてるのではないかと思うときがある。


「わたしたちは恵まれたモーニング娘。なわけだから、大変なときでもそれを口にしてはいけない。この状況をありがたく受け入れなければならない。だって“恵まれている”んだから、文句や愚痴なんて言ったらバチが当たる」


そしてそれはモーニング娘。のファンも同じで、ちょっとでも「娘。が不遇だ」などと言おうものなら総スカンをくらうのは必至。なぜならモーニング娘。は“恵まれている”から。
娘。のファンもメンバーも、現状に対して不満を言う資格などないというわけだ。




どんな努力や苦労も、“恵まれているから”という呪いにある程度はかき消されてしまう。


モーニング娘。がいつもホールツアーをできるのは、恵まれているから。
モーニング娘。が他のグループに比べてたくさんテレビに出られるのは、恵まれているから。
モーニング娘。がハロプロで一番CDが売れるのは、恵まれているから。


「魅力があるから」「頑張っているから」ではなく、「恵まれているから」になる。


「人気があるのは恵まれたグループだからだよね」、そういう空気が一切ないと言い切れるだろうか?



とはいえ誰も、娘。が努力や苦労をまったくしていないと思ってるわけではない。モーニング娘。だってみんな魅力的だし頑張っているんだ、ということはわかってはいるのだろう。だからこそ余計に厄介だ。


わかってはいても尚、その根底には「まぁでも娘。は恵まれてるからなぁ」という意識がある(人もいる)。


そんなことを思ったことは一度もない、という人ももちろんいるとは思う。
しかし、そうじゃない人も少なくないのでは?とも思う。ぶっちゃけ、どうです?



ハイハイわかったよ。じゃあ千歩譲って、いままではそうだった(恵まれていた)としよう。


でも正直、もうモーニング娘。だけが恵まれているという状況ではない。特に今年は。


いまのハロプロにおいて、どのグループも大体横並びではないだろうか。(もちろん、結成して間もないグループにチャンスが少ないのは仕方ないが)



それでもきっと、今後もモーニング娘。は“恵まれている”ことになり続けるのだろうなと思える。


どんな評価の前にも“恵まれている”が前提のように据えられて、メンバーたちは粛々とそれを受け入れなければならないのだ。



それもまた、モーニング娘。という歴史あるグループが背負ったひとつの業なのだろうか。









と、ここにはモーニング娘。の労苦について書いたけど、もちろんどのグループにもそれはあるだろう。


別に娘。だけが特別苦労していると言いたいわけではない。
ただ、自分は娘。推しで、最初に書いたように、最近それが当たり前のように思われてないかと憂慮したので、こうして書いた次第。




ここに書いたことは主観であり、自分が勝手に感じたことであるに過ぎない。


「卒業加入の連続による苦労がある」ことはまぁ客観的事実と言っても差し支えないだろうが、それについて“感じたこと”は自分の主観だ、という意味。


そして、多少おおげさに、極端な書き方をした部分もある。
ただそれは主観部分だけであり、事実を捻じ曲げたわけではないことはご理解頂きたい。


要するに、「いやそこまで言うほどみんな娘。の苦労をスルーしてるわけじゃないって」ということもわかって書いている、ということだ。


わかってるのはわかってる。


それでも一度は言葉にして訴えたかったのだ、という主張を、生温かい目で読んでもらえたら助かります。








来年からまた、エースの抜けたモーニング娘。が始まる。


去年さゆが抜けたあとの苦労もたくさんあったはず。でもそれを本当に理解していたファンがどれだけいただろうか?



現在のハロヲタが要求する条件のなかでは不利な状況で奮闘する彼女たちを、あたたかく見守っていきたい。