先日も書いたように、日々りほりほのことしか考えてないのでブログのネタに困ります。


他のことに関心が持てるようになるまでしばらく何も書かないほうがいいのかなと思ったりもしましたが、果たしてそれはいつなんだ?w




りほりほは誰もが驚く突然の卒業を決めたことによって、我々の心に強烈な楔を残していってしまわれる。


10年以上活動した上で満を持しての卒業ならばこちらもしばらくすれば納得と共に新たなヲタ道を歩んでいけるものの、こうも突然にいなくなられると、いつまでもその影を引きずってしまうのは必至。


だから突然は困るんだよりほりほぉぉぉぉ……。


残されるほうの身にもなっとくれ。
中島みゆきも歌ってたじゃないか。「恋の終わりはいつもいつも 立ち去る者だけが美しい 残されて戸惑う者たちは 追いかけて焦がれて泣き狂う」と。


美しく颯爽と去っていくあなたを、オレたちゃみじめったらしく泣き喚いて惜しみ、あとはもうひたすら信じて待つしかないというこの辛苦。


こんなときに松浦あややの『想いあふれて』を聴くとより切なくなってしまうので、おススメはしません。




なにをしても、なにを見ても、りほりほに重ねてしまう病気。


本を読んでも音楽を聴いても、テレビを見てもそう。(昨日また『another sky』を見てしまった。もちろん見るつもりはなかったけど偶然に。篠原ともえさんがニューヨークの街を案内していて、そこでデザイナーとしての夢を掴んだと語っていた。オレはまたりほりほのことを考えてしまった)


なにかで「2009年」という表記を見れば「まだこのときは一般の小学生だったんだなぁ」と思い、「2012年」という表記を見れば「2年目かぁ。14歳のときだなぁ」と思う。


小学生を見れば「この年齢のりほりほはどんな子だったんだろう」と思い、高校生を見れば「この子らと同じ年齢でりほりほは重い決断を下したんだよなぁ。凄いなぁ」と思う。


あらゆるものに“過去の”、“未来の”、“想像の”鞘師里保を当てはめて考えてしまい、頭のなかは妙に騒がしい。


完全に、りほりほに囚われている。


でも本人はそんなことお構いなしなんだろうなぁ。というか知る由もないか。こんにゃろめ。



去りゆく者はなぜいつも、こんなに愛おしいのでしょうか。







さて、気力を振り絞って他のネタを……と思ったものの、マジで書くことが思いつかない。


他グループの動向も一応チェックはしてるんですが、ブログに改めて書くほどネタとして消化/昇華できてません。


もうすぐ卒業するまろについてもなにかしら書きたいと思ってたんですが、まだ難しくて……ごめんよまろ。29日までにはなんかしら書く。



娘。について言えば、まずわたくしごとではFCのクリスマスイベントの一回目が当選しておりました。


全三回のなかの、一回目だけ。


本当は全公演入りたかったですが、りほりほの卒業特需で落選祭りになってたようなので、一回入れるだけでも大いに感謝せねばなりますまい。


ありがたいことです。


(福生……遠い……早起き……)


ありがたいことです。


でも残り二回公演残ってるのに早々に帰らなければならないというのは、ちょっと後ろ髪を引かれそうですね。


もっと大きい会場でできたんじゃないかなぁ。
まぁりほりほの卒業が急っぽかったからしょうがないのか。





そして娘。は、来月16日の『FNS歌謡祭』に出演が決まった模様。


今年は2日、放送があるらしいですが、娘。が出るのは16日「THE LIVE」の回。


公式HP


これまたありがたいことです。


歌う曲には正直あまり期待してないですが←、りほりほが最後に出演できるのは本当に嬉しい。



願わくば、年末のあの番組にも出てくれたら嬉しいんですが……。






これくらいです、書けるのは。


あ、あとれいなが何気に作詞作曲してたという話はビックリした。


作詞はともかく作曲まで。
鼻歌から作ったらしいけど、作り方なんてなんでもいいのよ。最終的に形になれば。


そういうのやる気ないように見えてちゃっかりやっちゃうんだから侮れんわぁ。





そんな感じです。