先日のパシフィコ横浜公演で見たりほりほのダンスを、ことあるごとに思い出す。


レポにも書いたけど、これまで以上に惚れ惚れと眺めてしまった。


卒業すると知って見たからか、ここにきてまたレベルが上がっていたのか、自分がようやくまっさらな気持ちで見ることができたからか。


とにかく、凄い凄いと思っていた以上に凄いと、理屈ではなく感覚で理解した瞬間だった。



これまた繰り言になるけども、ダンスに興味なんてほとんどなかった自分のような人間を釘付けにしてしまうダンス。もっともっと見ていたいと思わせるダンス。


それは踊りでありながら、歌のようでもあり、戦いのようでもあり。


ただ振り付け通りに躰を動かしているという次元ではまったくなくて、それはなによりも雄弁な自己の表現で。



「推しだからそう思うんだろ」という皮肉も無意味なくらい、圧倒的なダンスだった。




以前ハロステで流れたダンス部の練習風景や本番の様子も、繰り返し見ている。


そこでもまた惚れ惚れする。
例えが悪いが、なんとも一流の暗殺者のように怜悧に完璧に踊るじゃないか。


このダンス部での本格的なダンスもまた、さらに飛躍したいという、卒業を決めるきっかけのひとつになったのかもしれないなと思う。



才能と努力。
簡単に言ってしまえばこのふたつを極限まで高めた成果が、あのダンスだ。


振り返れば、かつてハローチャンネル(懐かしい)の企画でいろんなダンスを習っていたときも、その先生たちからお世辞抜きで「この短時間でここまでできるのは凄い」と絶賛されていたっけ。「これで終わらず、今後もぜひ続けてほしいです」と。


自分は素人なので細かいところまではわかりませんが、やはりプロから見ても凄いのだなぁ。





それだけに、惜しい。


りほりほ個人としての将来はともかく、あれだけの才能がモーニング娘。に還元されなくなることが、とてもとても惜しいと感じる。


この決断が本人の意志であるにせよ、モーニング娘。のファンとして見れば、やはり惜しい。



そしてそれはなにもダンスだけではなく、歌、演技、ビジュアル、キャラクター、その他諸々あらゆる面で感じること。


この先りほりほを超える逸材は二度と現れないかもしれない。
モーニング娘。とは、鞘師里保を見出すために生まれたグループなのだとすら言いたくなる。


これがたとえ推しの戯言でも、一抹の真実を含んでいるのは否定できまい。


少なくとも、「鞘師里保だけでは無理でも、鞘師里保がいなければいまのモーニング娘。はなかった」とは断言できる。




それほどまでに稀有なメンバーを、グループのなかで5年しか活かせなかったのは痛恨の極みと云えよう。


「1」でも書いたように、最低でも10年は戦えた。


卒業の理由が前向きにしろ後ろ向きにしろその両方にしろ、彼女にとっては、未来は“ここ”ではないのだ。


鞘師里保の今後数年間の未来を“モーニング娘。”とすることができなかったことは、事務所ならびにファンも、遅すぎる後悔をするのがせめてもの償いである。


事務所に限って言うならば、完全なる力不足。
彼女にとってここは、物足りないフィールドになってしまった。


まぁ仕方ないといえば仕方ない。
モーニング娘。はグループだし、りほりほひとりに合わせるわけにもいくまい。(本人もそれをわかってるから、これまで5年間グループのために頑張ってくれたわけだ)


それに、たとえ事務所が持てる力を掻き集めて尽力しても、結局は遠からず同じところに行きついたのかもしれない。



ただ、どうあれ才能も人気もあるエースを真っ先に卒業させる状況になってしまったことは、会社のプロデュースによる帰結としては、およそ成功とは言えまい。


一言でいえば、「あ~あ」である。


みすみす逃げられてやんの、でもいい。


まぁ別に逃げられたわけではないだろうが、「モーニング娘。から早くもエースが卒業する」という事実は変わらない。


内情を知らないので責めはしないけど、嫌みのひとつくらいは言ってやりたいところだ。


どうか今後、才能あるメンバーにホイホイ去っていかれないようなプロデュースをお願いしたい。





しかし、彼女のなかでいったいどんな“変化”があったのだろう。それがすごく気になる。


十代の若者にとって、5年というのは変化するに充分過ぎるくらいの年月だ。


たいした人生でもない我が身を振り返ってみてさえ、あの頃の時間はとても濃い密度だった。ピークだったと言ってもいい。あそこでもう人生終わってたと言ってもいいけどさすがにそれはむなしい。


とにかく、十代の5年。中学生から高校生になる時間。ましてやモーニング娘。という、普通では経験できない時間を過ごした5年。


5年かけてじわじわと変わっていったものもあるだろうし、ほんの1年……いや半年程度の間に急速に変わったものもあるはず。


疲れ果てて起き上がれなかったというあの期間は、彼女の変化の一端だったのだろうか。


「最初は3月だった説」が流れるなか、どうして12月いっぱいという急な決定を下したのか。


わからないことは多いが、ともかくこの5年間で彼女は変わったのだろうし、今年2015年だけでも大いに変わったのかもしれない。


若者はそれくらい貪欲に、変化する。



そして、これからも変化するだろう。


卒業して、留学して、さらに変わっていくだろう。


惜しむらくは、その変化を見守ることができないことだ。


贅沢で傲慢な願いと知りつつ、ファンとして見守っていたかった。


きっと、いろんなものが変わる。


この5年で変わったように、今後の数年で、彼女のなかのいろんなものが変わっていくだろう。


それが少し、寂しい。


変わること。
それを知り得ないことが。




こんなことを言うようになってしまったとあっては、自分ももう歳だなと思う。凹む。


でも、得てして人は自分の変化よりも他人の変化に敏感なものでしょう。


それが愛するものであるならなおさら、「変わらないでいて」と願ってしまい、その答えはもう知っている。だから寂しくなる。




“子供”を通り越して“孫”のように見ていた子が、いつのまにかこんなに大きくなっていた。


精神的御老体としては、嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちである。




でもそんな変化や成長の唯一の希望は、本人にまだステージに立つ意思があるということだ。


いや、それはまた願望が入り込んだ表現かもしれない。
正確には、「留学して英語とダンスを学ぶことと、ハロプロには残るという意思があること」だ。


鞘師里保に魅せられた人間としては、これは不幸中の幸いとも言うべき朗報である。


これで表舞台からおサラバなんて言われたら、もうこの先生きていく理由がないと絶望するところだった。


だからどうか、戻ってきてほしい。
ステージに立ち続けてほしい。


そのあふれる才能で、また夢を見させてほしい。


ずっと待ってます。


先のことはわからないけど、どうかこの卒業を「あのとき決断してよかったよね」と心から思えるような未来を見せておくれ。






そんな、とりとめのない話。