ブログを書いてリハビリ、というのは半分くらいは冗談のつもりだったんですが、あながち冗談でもないんじゃないか自分?、と感じる真夜中。
こうしてなにか書いてからでないと、感情と言葉がぐるぐる、壊れたタイプライター(古っ)のように延々と戯言を垂れ流して眠れそうにありません。
ブログは一応、そういった感情を言葉に可視化できるので、多少は落ち着くみたいです。
読まされるほうはたまったもんじゃないだろうな、と反省はするんですが、どうせ他のことを書いてもたいしたものは書けないと思うので、諦めてください←
なにを見てもなにをしていても、りほりほのことを考えてしまう。
テレビで“しめじとホウレン草のお浸し”を見てさえりほりほのことを連想してしまったときには、さすがにヤバいなと思いました。(りほりほはこういう食べ物が似合いそうだなぁ、留学しても和食とか食べるのかなぁ、精進料理とか食べてたら似合うんだけどそれじゃただの坊さんだよな、などなど)
おかげで、昨日放送だったBS朝日の『テイバンタイムズ』えりぽん出演回をまんまと録画し忘れるという失態。
えりぽんマジごめん。
11/1に放送なのは覚えてたんだけど、昨日が11/1だということに気付かなかったんだよ。
再放送とかないのかな……。
さて、ですます調のリハビリブログにも飽きたと思うので、試しに小説っぽい文章でダーッと書いてみましょう。実験実験。
考えてみれば、鞘師里保という人は小さい頃から意欲的に、自分を試していたのだった。ネットをちょちょいと調べれば、かつての幼き“こどもさやし”が子供ながらにステージで踊っている写真が何枚も見つかる。モーニング娘。になる前から、彼女はそういった「人前に出てパフォーマンスをする」ことに躊躇いがなかった。どちらかといえば口数も少なく人見知りで不器用な彼女の印象としては、意外なほどに積極的な活動といえる。だがそれもこれも、ダンスという人生最良の相棒に出会ったからなんだろう。ダンスに魅了されたりほりほは、幼くして地元のダンススクールに通い、そこでめきめきと頭角を現すこととなった。つべを漁れば、当時の映像もわらわら出てくる。あんな小さい頃からステージに立ち、大勢の観客の前でパフォーマンスをしていただなんて、オレには漫画の世界のようにしか思えないが、まだちっちゃな子供がダイナミックに踊るその姿は、モーニング娘。のオーディションで見るまで鞘師里保なんて知りもしなかったハロヲタ一同に「もっと早くこの子を知りたかった」という後悔を植え付けるに充分な輝きを放っていたのだった。そんな彼女が『Go Girl ~恋のヴィクトリー~』がきっかけでモーニング娘。という存在を知り、手始めに舞台『ファッショナブル』のオーディションを受けたのも当然といえば当然のことだ。もちろん結果は合格。囲み取材でプラチナ期の8人と並んではにかむ小学生りほりほの写真はまるで昨日のことのように思い出せる。やがてプラチナ期が亀ジュンリンの卒業によって結果的に終焉を迎え、モーニング娘。は久しぶりにオーディションを開催することとなる。そこで満を持して加入してきたのが鞘師里保だ。あの衝撃のオーディション映像。小さい体でバキバキに踊り狂う小学生の姿に、我々は度肝を抜かれた。それまでの娘。オーデは基本的に素人のちょっと野暮ったい女の子が緊張しまくりながらも精一杯自分をアピールしている微笑ましいものがほとんどだったのに、彼女はオーデ会場を間違えたんじゃないかと思うほどのパフォーマンスをやってのけた。しかし我々にとっては「新星あらわる」だったその登場も、本人にとっては着々と狙い続けてきた目標であり、娘。加入は半ば必然の運命だったのかもしれない。誰もが予想した通りりほりほは合格し、9期メンバーとして活動し始め、ここでもそう間をおかずに頭角を現した。その卓越したダンススキルは自身の初ツアーから遺憾なく発揮され、愛ちゃんがきさんと共に歌い踊った『Moonlight night ~月夜の晩だよ~』はもはや伝説といっても過言ではない。そこからの日々もまた、必然だった。新人にしてセンターに立ち始め、愛ちゃん卒業後はれいなと共にダブルセンターとして活躍し、いつしかモーニング娘。に鞘師ありと誰もが認める“エース”となったのだった。
そんなりほりほだから、わずか5年にして早々と次のステージを選択してしまったのも仕方がないと言える。
鞘師里保は止まらなかった。オレにとっては「まだ17歳」なのに、りほりほにとっては「もう17歳」だったのかもしれない。才能あふれるその努力家は、小さい頃から着々と自分を磨き続け、“夢”であったモーニング娘。に加入し、エースとして活躍。そしてその“夢”はいつしか“通り道”になったのだ。止まれない鞘師里保は、自分を偽れなかった。このままモーニング娘。として活動してくことに対する葛藤に、真摯に向き合って、勇敢な答えを出した。出してしまった。これはもう運命だ。普段そんなものは信じてないくせに、彼女に関してはなぜかそう思える。戯言を言わせてもらうなら、それは本人の意思すら超越して、自身を上へ上へと飛翔させる魂の躍動なのかもしれない。本人だって、まさか加入当時は、丸5年まであと一歩というところで卒業して留学するなんて思ってもいなかっただろう。それどころかつい最近だって(ラジオで)「二十歳くらいまでは(娘。で)頑張りたい」なんて言っていたくらいだ。それが本心だったのかどうかはともかく、こんな展開は本人にとってさえ驚きのことに違いない。しかしそれでも魂には逆らえない。悩んで悩んで悩み抜いた末に、彼女は決断してしまった。魂の躍動に従ったのだ。魂なんてのは結局のところ“衝動”という程度の意味しかないのだけれど、才能あふれる努力家であるところの若き17歳にとっては充分な動機となり得た。安寧の場所を手放して、未知の暗闇に突き進む決意を固めた。もちろん本音を言わせてもらえば、その情熱を燃やす場所が“モーニング娘。”でなかったのは至極残念に思うし、りほりほにそう思わせてやれなかった事務所のやり方やファンの応援にも責任はあるのかもしれない。いや、あってほしいだけだ。オレたちは誰かを、何かを責め、後悔したいのだ。後悔して、「もしかしてあったかもしれない、鞘師里保がいるモーニング娘。という未来」を思い描きたいのだ。でもそれはなんの慰めにもならない。もはやサイコロは振られてしまった。未来は変えられるかもしれないが、たぶん鞘師里保の決意は変えられない。だからこそこうなったのだから。そしてそれが、小さい頃からステージに立って輝き続けてきた、鞘師里保という人間の、抗い切れない魂の行き先なのだった。
だからまぁ、それはいい。
なにが辛いって、こんなふうに去っていかれたら、この卒業はファンの心にいつまでも“寂しさ”という永遠の烙印として残ってしまうことだ。少なくとも自分にとっては。かつて、偉大な先輩たちが次々に卒業していっても最終的に受け入れられたのは、その多くがモーニング娘。としてやり切ったと誰もが思える時間を過ごしていたからだった。当人も思い残すことはないだろうと、ファンも思えていたからだった。だから卒業の寂しさを乗り越えて、次なる新生モーニング娘。を心置きなく応援することができたのだ。しかし今回は違う。オレはこれからも、りほりほがいなくなってからもモーニング娘。を応援していくつもりではあるけれど、そこにはどうしたって「鞘師里保の不在」という影を見てしまう自分がいるなと予測できる。12人のモーニング娘。を愛したいのに、オレというやつはきっと、そこにいないもう一人の影ばかり追ってしまうだろう。突然の別れは、どんな形であれ人の心に消えない傷を残していく。その痛みは、相手のことを憎んでいるのであればただの忌々しい痛みでしかないが、相手のことを愛している場合には甘美な痛みとなってそいつ(自分)を縛りつける。要するに、いなくなることによって、よりその人から離れられなくなるというわけだ。りほりほはあまりに急に、あまりにカッコよく去ってしまうことによって、ファンの心を縛りつけることになる。オレたちは「鞘師里保」に対して、「鞘師里保のいるモーニング娘。」に対して、その残影を見続けてしまう呪いを、自分で自分にかけてしまうのだ。そしてそれは、そうしたいからする。さっきの後悔の話と同じで、不在でも残影でもいいからりほりほを感じていたいという半ば無意識の欲求に、心は従う。――いつか忘れられるかもしれない。人によっては、すぐに気持ちが切り替えられるかもしれない。あるいはいつの日かりほりほが帰ってきたら、そんな女々しい未練も立ち消えるのかもしれない。でもそれはいつだろう。本当にそうなれるだろうか。自分は果たして、2016年からのモーニング娘。を心置きなく応援することができるのだろうか。もちろん応援はする。応援はするしファンで居続けるけど、いったいいつまで、鞘師里保の残影……いや幻影を追ってしまうのだろう。そんな想いが拭えない。「やってくれるねまったく……」と呟きながら、寂しく微笑むしかない。
ってさ。
半分くらいは創作(フィクション)ですよ。ええ。たぶん。
なんでもいいから書かないと眠れない病になってるのでね。
頭から言葉を絞り出すことによって余計なことを考えなくさせて寝る作戦。
これを読むことで、7分くらいは時間が潰せるでしょう。
お暇なときにどうぞ。ってそれは最初に書いておくべきか。
それでは明日早いので、寝ます。
こうしてなにか書いてからでないと、感情と言葉がぐるぐる、壊れたタイプライター(古っ)のように延々と戯言を垂れ流して眠れそうにありません。
ブログは一応、そういった感情を言葉に可視化できるので、多少は落ち着くみたいです。
読まされるほうはたまったもんじゃないだろうな、と反省はするんですが、どうせ他のことを書いてもたいしたものは書けないと思うので、諦めてください←
なにを見てもなにをしていても、りほりほのことを考えてしまう。
テレビで“しめじとホウレン草のお浸し”を見てさえりほりほのことを連想してしまったときには、さすがにヤバいなと思いました。(りほりほはこういう食べ物が似合いそうだなぁ、留学しても和食とか食べるのかなぁ、精進料理とか食べてたら似合うんだけどそれじゃただの坊さんだよな、などなど)
おかげで、昨日放送だったBS朝日の『テイバンタイムズ』えりぽん出演回をまんまと録画し忘れるという失態。
えりぽんマジごめん。
11/1に放送なのは覚えてたんだけど、昨日が11/1だということに気付かなかったんだよ。
再放送とかないのかな……。
さて、ですます調のリハビリブログにも飽きたと思うので、試しに小説っぽい文章でダーッと書いてみましょう。実験実験。
考えてみれば、鞘師里保という人は小さい頃から意欲的に、自分を試していたのだった。ネットをちょちょいと調べれば、かつての幼き“こどもさやし”が子供ながらにステージで踊っている写真が何枚も見つかる。モーニング娘。になる前から、彼女はそういった「人前に出てパフォーマンスをする」ことに躊躇いがなかった。どちらかといえば口数も少なく人見知りで不器用な彼女の印象としては、意外なほどに積極的な活動といえる。だがそれもこれも、ダンスという人生最良の相棒に出会ったからなんだろう。ダンスに魅了されたりほりほは、幼くして地元のダンススクールに通い、そこでめきめきと頭角を現すこととなった。つべを漁れば、当時の映像もわらわら出てくる。あんな小さい頃からステージに立ち、大勢の観客の前でパフォーマンスをしていただなんて、オレには漫画の世界のようにしか思えないが、まだちっちゃな子供がダイナミックに踊るその姿は、モーニング娘。のオーディションで見るまで鞘師里保なんて知りもしなかったハロヲタ一同に「もっと早くこの子を知りたかった」という後悔を植え付けるに充分な輝きを放っていたのだった。そんな彼女が『Go Girl ~恋のヴィクトリー~』がきっかけでモーニング娘。という存在を知り、手始めに舞台『ファッショナブル』のオーディションを受けたのも当然といえば当然のことだ。もちろん結果は合格。囲み取材でプラチナ期の8人と並んではにかむ小学生りほりほの写真はまるで昨日のことのように思い出せる。やがてプラチナ期が亀ジュンリンの卒業によって結果的に終焉を迎え、モーニング娘。は久しぶりにオーディションを開催することとなる。そこで満を持して加入してきたのが鞘師里保だ。あの衝撃のオーディション映像。小さい体でバキバキに踊り狂う小学生の姿に、我々は度肝を抜かれた。それまでの娘。オーデは基本的に素人のちょっと野暮ったい女の子が緊張しまくりながらも精一杯自分をアピールしている微笑ましいものがほとんどだったのに、彼女はオーデ会場を間違えたんじゃないかと思うほどのパフォーマンスをやってのけた。しかし我々にとっては「新星あらわる」だったその登場も、本人にとっては着々と狙い続けてきた目標であり、娘。加入は半ば必然の運命だったのかもしれない。誰もが予想した通りりほりほは合格し、9期メンバーとして活動し始め、ここでもそう間をおかずに頭角を現した。その卓越したダンススキルは自身の初ツアーから遺憾なく発揮され、愛ちゃんがきさんと共に歌い踊った『Moonlight night ~月夜の晩だよ~』はもはや伝説といっても過言ではない。そこからの日々もまた、必然だった。新人にしてセンターに立ち始め、愛ちゃん卒業後はれいなと共にダブルセンターとして活躍し、いつしかモーニング娘。に鞘師ありと誰もが認める“エース”となったのだった。
そんなりほりほだから、わずか5年にして早々と次のステージを選択してしまったのも仕方がないと言える。
鞘師里保は止まらなかった。オレにとっては「まだ17歳」なのに、りほりほにとっては「もう17歳」だったのかもしれない。才能あふれるその努力家は、小さい頃から着々と自分を磨き続け、“夢”であったモーニング娘。に加入し、エースとして活躍。そしてその“夢”はいつしか“通り道”になったのだ。止まれない鞘師里保は、自分を偽れなかった。このままモーニング娘。として活動してくことに対する葛藤に、真摯に向き合って、勇敢な答えを出した。出してしまった。これはもう運命だ。普段そんなものは信じてないくせに、彼女に関してはなぜかそう思える。戯言を言わせてもらうなら、それは本人の意思すら超越して、自身を上へ上へと飛翔させる魂の躍動なのかもしれない。本人だって、まさか加入当時は、丸5年まであと一歩というところで卒業して留学するなんて思ってもいなかっただろう。それどころかつい最近だって(ラジオで)「二十歳くらいまでは(娘。で)頑張りたい」なんて言っていたくらいだ。それが本心だったのかどうかはともかく、こんな展開は本人にとってさえ驚きのことに違いない。しかしそれでも魂には逆らえない。悩んで悩んで悩み抜いた末に、彼女は決断してしまった。魂の躍動に従ったのだ。魂なんてのは結局のところ“衝動”という程度の意味しかないのだけれど、才能あふれる努力家であるところの若き17歳にとっては充分な動機となり得た。安寧の場所を手放して、未知の暗闇に突き進む決意を固めた。もちろん本音を言わせてもらえば、その情熱を燃やす場所が“モーニング娘。”でなかったのは至極残念に思うし、りほりほにそう思わせてやれなかった事務所のやり方やファンの応援にも責任はあるのかもしれない。いや、あってほしいだけだ。オレたちは誰かを、何かを責め、後悔したいのだ。後悔して、「もしかしてあったかもしれない、鞘師里保がいるモーニング娘。という未来」を思い描きたいのだ。でもそれはなんの慰めにもならない。もはやサイコロは振られてしまった。未来は変えられるかもしれないが、たぶん鞘師里保の決意は変えられない。だからこそこうなったのだから。そしてそれが、小さい頃からステージに立って輝き続けてきた、鞘師里保という人間の、抗い切れない魂の行き先なのだった。
だからまぁ、それはいい。
なにが辛いって、こんなふうに去っていかれたら、この卒業はファンの心にいつまでも“寂しさ”という永遠の烙印として残ってしまうことだ。少なくとも自分にとっては。かつて、偉大な先輩たちが次々に卒業していっても最終的に受け入れられたのは、その多くがモーニング娘。としてやり切ったと誰もが思える時間を過ごしていたからだった。当人も思い残すことはないだろうと、ファンも思えていたからだった。だから卒業の寂しさを乗り越えて、次なる新生モーニング娘。を心置きなく応援することができたのだ。しかし今回は違う。オレはこれからも、りほりほがいなくなってからもモーニング娘。を応援していくつもりではあるけれど、そこにはどうしたって「鞘師里保の不在」という影を見てしまう自分がいるなと予測できる。12人のモーニング娘。を愛したいのに、オレというやつはきっと、そこにいないもう一人の影ばかり追ってしまうだろう。突然の別れは、どんな形であれ人の心に消えない傷を残していく。その痛みは、相手のことを憎んでいるのであればただの忌々しい痛みでしかないが、相手のことを愛している場合には甘美な痛みとなってそいつ(自分)を縛りつける。要するに、いなくなることによって、よりその人から離れられなくなるというわけだ。りほりほはあまりに急に、あまりにカッコよく去ってしまうことによって、ファンの心を縛りつけることになる。オレたちは「鞘師里保」に対して、「鞘師里保のいるモーニング娘。」に対して、その残影を見続けてしまう呪いを、自分で自分にかけてしまうのだ。そしてそれは、そうしたいからする。さっきの後悔の話と同じで、不在でも残影でもいいからりほりほを感じていたいという半ば無意識の欲求に、心は従う。――いつか忘れられるかもしれない。人によっては、すぐに気持ちが切り替えられるかもしれない。あるいはいつの日かりほりほが帰ってきたら、そんな女々しい未練も立ち消えるのかもしれない。でもそれはいつだろう。本当にそうなれるだろうか。自分は果たして、2016年からのモーニング娘。を心置きなく応援することができるのだろうか。もちろん応援はする。応援はするしファンで居続けるけど、いったいいつまで、鞘師里保の残影……いや幻影を追ってしまうのだろう。そんな想いが拭えない。「やってくれるねまったく……」と呟きながら、寂しく微笑むしかない。
ってさ。
半分くらいは創作(フィクション)ですよ。ええ。たぶん。
なんでもいいから書かないと眠れない病になってるのでね。
頭から言葉を絞り出すことによって余計なことを考えなくさせて寝る作戦。
これを読むことで、7分くらいは時間が潰せるでしょう。
お暇なときにどうぞ。ってそれは最初に書いておくべきか。
それでは明日早いので、寝ます。