生きてます。かろうじて。
しかし1日中りほりほのことを考えていて、もうなにがなんだか。
これからまた女々しいことを書いていきますが、せっかくポジティブな気持ちになったんだからやめろや、という方は読まぬが賢明やもしれませぬ。
もちろん自分も、ポジティブなことを考えていないわけではなく。
なんていうか、ポジティブとネガティブがDNA螺旋のように組み合わさってグルグルしてる感じを想像してもらえれば。
昨日りほりほ卒業の報を知った瞬間を思い出してたんですが、真っ先に思ったのが「モーニング娘。はどうなる」だったのが、自分でもやや意外です。
それは「自分にとって」と「モーニング娘。にとって」というふたつの意味で。
後者はまぁ、「これからモーニング娘。はどうなるのか」的なことですが、前者は(昨日も書きましたが)「自分はこれからもモーニング娘。を応援していけるのか」ということです。
これが自分でもビックリで、ショックを受けながらも「おいおいこんなこと初めて思ったぞ」と驚いたのでした。
かつてプラチナ期の娘。が大好きだった自分が、亀ちゃんジュンジュンリンリンの卒業後、愛ちゃんが、がきさんと愛佳が、れいなが、そしてさゆが卒業してもそんなことを思わなかった理由は、りほりほがいたからなんですよ。
りほりほがモーニング娘。にいたから、誰が卒業しても最終的には前を向いていられた。
“モーニング娘。”というグループを、応援していられた。
しかし今回はそのりほりほがいなくなるというじゃないですか。
こりゃまいった。
いつかは来るであろうその日が、まさかこんなに早く来るとは。
りほりほのいないモーニング娘。になんの意味がある?
もちろんある。
りほりほは偉大なメンバーだけど、りほりほだけでモーニング娘。が出来ているわけではない。他にも素晴らしいメンバーがいて、そうやってモーニング娘。は成り立っているのだから。
これからもモーニング娘。は続くし、自分もきっと応援していくでしょう。
でもそれはもう、別物です。
鞘師里保のいない、新しいモーニング娘。なんです。
良い悪いではなく、厳然たる事実として。
メンバーの卒業というのは、卒業するメンバーのことと、卒業したあとのグループのこと、そのふたつを考えます。
気力を振り絞って、「りほりほ本人のこと」については前向きに考えられたとしても、「りほりほのいないモーニング娘。」を想像したときに、どうしても喪失感をおぼえてしまう。
半端じゃない喪失感。
これまでに感じたことのないような、凄まじい喪失感をです。
自分はこんなにも鞘師里保に依存していたんだなぁと、改めて思いました。
りほりほはきっと、留学してもっともっと凄いアーティストになって帰ってきて、いつかはこの決断を「良かった」と誰もが思えるような、新たな活躍を見せてくれるのだと思います。
でもその代り、いまの“モーニング娘。鞘師里保”はいなくなってしまう。
見納めです。もう見ることができないんです。
そんなこと、考えもしなかった。
まさかこんなに早く、それが見納めになるなんて。
りほりほ本人については前向きに捉えられても、その寂しさが尋常じゃなくて困ってます。
自分はりほりほのことが好きだけど、同じくらいモーニング娘。のことも好き。
「りほりほがいるモーニング娘。」が好き好き大好き超愛してるだったから、それの見納めが寂しいです。痛みで言えば激痛です。いや爆痛です。寂しさで、心が爆痛。
こうやってとりとめのないことをとっかえひっかえ考えまくっていると、なんだかもうSEKAI NO……いや世界の終わりのように感じてくるんですよね。
そこで正気を取り戻して、ほんの一瞬だけ「なんだ、好きなアイドルがグループを卒業するというだけの話じゃないか。別に誰かが死ぬわけでもないし、ましてや世界が終わるわけでもない」と思って楽になり、その数秒後、それは自分にとってほとんど世界の終わりに等しいことなのだと思い知らされるわけです。
その瞬間の、あの心臓をギューっと握りつぶされたような感覚。
あれヤダよね~。
このまま心臓止まるんじゃないかとヒヤヒヤするわ。
それを1日に何度も繰り返す。
確実に健康に悪い。
そんななか、渦中のさやっさんがブログを更新しましたよ。
りほりほブログ
足りない。言葉が足りないよ。
最近のりほりほは、圧倒的に言葉が足りないんだからもう。
でもしょうがないよね。
愛理ちゃんのブログにもあったけど、言えないことだってある。
NGとか言っちゃマズいとかそういうことじゃなくて、誰にも言えない、言葉にはできない、自分だけが秘めている想いというものがあるはず。
“言えない”というより、“言わない”のでしょう。
まったく。いつからそんなハードボイルドな女になったんだ。
想いは尽きません。
最初にも言いましたが、ポジティブとネガティブが交互にぐるんぐるん。
「さすがだ。それでこそ鞘師里保だ」と思ったり、「いなくなるいなくなるりほりほがいなくなるもーにんぐむすめ。じゃなくなるいなくなるいなくなる……」と思ったり、忙しいです。
本当はこの10倍くらい色んなことをぐるぐる考えててそれを全部書いてスッキリしようと思ってたんですが、さすがになんか情けないのでこのくらいにしておきます。
とかいってまた書くと思いますけどね。
そうでもしないと、正気じゃいられない。
でも普通に他人と会話できるし、こうしてブログだって書けるし、インフルエンザの予防接種にだって行ってこられるのです。
これまでの人生で身につけた、自己防衛機能。
人は大人になるほど、これを身につけます。
泣きたいときに、笑うことだってできるでしょう。
そうやって鈍感になっていく(あるいはその“ふり”ができるようになる)のが、大人になるということです。なんか最近も似たようなこと書いた気が……。
それにしたって今回のは衝撃強すぎですけどね。
もう限界よ。寝るわ。
寝ることができるのも、自己防衛機能でしょうね。寝るわ。
こんな内容ですいません……。
いまはどうか、お許しを。
しかし1日中りほりほのことを考えていて、もうなにがなんだか。
これからまた女々しいことを書いていきますが、せっかくポジティブな気持ちになったんだからやめろや、という方は読まぬが賢明やもしれませぬ。
もちろん自分も、ポジティブなことを考えていないわけではなく。
なんていうか、ポジティブとネガティブがDNA螺旋のように組み合わさってグルグルしてる感じを想像してもらえれば。
昨日りほりほ卒業の報を知った瞬間を思い出してたんですが、真っ先に思ったのが「モーニング娘。はどうなる」だったのが、自分でもやや意外です。
それは「自分にとって」と「モーニング娘。にとって」というふたつの意味で。
後者はまぁ、「これからモーニング娘。はどうなるのか」的なことですが、前者は(昨日も書きましたが)「自分はこれからもモーニング娘。を応援していけるのか」ということです。
これが自分でもビックリで、ショックを受けながらも「おいおいこんなこと初めて思ったぞ」と驚いたのでした。
かつてプラチナ期の娘。が大好きだった自分が、亀ちゃんジュンジュンリンリンの卒業後、愛ちゃんが、がきさんと愛佳が、れいなが、そしてさゆが卒業してもそんなことを思わなかった理由は、りほりほがいたからなんですよ。
りほりほがモーニング娘。にいたから、誰が卒業しても最終的には前を向いていられた。
“モーニング娘。”というグループを、応援していられた。
しかし今回はそのりほりほがいなくなるというじゃないですか。
こりゃまいった。
いつかは来るであろうその日が、まさかこんなに早く来るとは。
りほりほのいないモーニング娘。になんの意味がある?
もちろんある。
りほりほは偉大なメンバーだけど、りほりほだけでモーニング娘。が出来ているわけではない。他にも素晴らしいメンバーがいて、そうやってモーニング娘。は成り立っているのだから。
これからもモーニング娘。は続くし、自分もきっと応援していくでしょう。
でもそれはもう、別物です。
鞘師里保のいない、新しいモーニング娘。なんです。
良い悪いではなく、厳然たる事実として。
メンバーの卒業というのは、卒業するメンバーのことと、卒業したあとのグループのこと、そのふたつを考えます。
気力を振り絞って、「りほりほ本人のこと」については前向きに考えられたとしても、「りほりほのいないモーニング娘。」を想像したときに、どうしても喪失感をおぼえてしまう。
半端じゃない喪失感。
これまでに感じたことのないような、凄まじい喪失感をです。
自分はこんなにも鞘師里保に依存していたんだなぁと、改めて思いました。
りほりほはきっと、留学してもっともっと凄いアーティストになって帰ってきて、いつかはこの決断を「良かった」と誰もが思えるような、新たな活躍を見せてくれるのだと思います。
でもその代り、いまの“モーニング娘。鞘師里保”はいなくなってしまう。
見納めです。もう見ることができないんです。
そんなこと、考えもしなかった。
まさかこんなに早く、それが見納めになるなんて。
りほりほ本人については前向きに捉えられても、その寂しさが尋常じゃなくて困ってます。
自分はりほりほのことが好きだけど、同じくらいモーニング娘。のことも好き。
「りほりほがいるモーニング娘。」が好き好き大好き超愛してるだったから、それの見納めが寂しいです。痛みで言えば激痛です。いや爆痛です。寂しさで、心が爆痛。
こうやってとりとめのないことをとっかえひっかえ考えまくっていると、なんだかもうSEKAI NO……いや世界の終わりのように感じてくるんですよね。
そこで正気を取り戻して、ほんの一瞬だけ「なんだ、好きなアイドルがグループを卒業するというだけの話じゃないか。別に誰かが死ぬわけでもないし、ましてや世界が終わるわけでもない」と思って楽になり、その数秒後、それは自分にとってほとんど世界の終わりに等しいことなのだと思い知らされるわけです。
その瞬間の、あの心臓をギューっと握りつぶされたような感覚。
あれヤダよね~。
このまま心臓止まるんじゃないかとヒヤヒヤするわ。
それを1日に何度も繰り返す。
確実に健康に悪い。
そんななか、渦中のさやっさんがブログを更新しましたよ。
りほりほブログ
足りない。言葉が足りないよ。
最近のりほりほは、圧倒的に言葉が足りないんだからもう。
でもしょうがないよね。
愛理ちゃんのブログにもあったけど、言えないことだってある。
NGとか言っちゃマズいとかそういうことじゃなくて、誰にも言えない、言葉にはできない、自分だけが秘めている想いというものがあるはず。
“言えない”というより、“言わない”のでしょう。
まったく。いつからそんなハードボイルドな女になったんだ。
想いは尽きません。
最初にも言いましたが、ポジティブとネガティブが交互にぐるんぐるん。
「さすがだ。それでこそ鞘師里保だ」と思ったり、「いなくなるいなくなるりほりほがいなくなるもーにんぐむすめ。じゃなくなるいなくなるいなくなる……」と思ったり、忙しいです。
本当はこの10倍くらい色んなことをぐるぐる考えててそれを全部書いてスッキリしようと思ってたんですが、さすがになんか情けないのでこのくらいにしておきます。
とかいってまた書くと思いますけどね。
そうでもしないと、正気じゃいられない。
でも普通に他人と会話できるし、こうしてブログだって書けるし、インフルエンザの予防接種にだって行ってこられるのです。
これまでの人生で身につけた、自己防衛機能。
人は大人になるほど、これを身につけます。
泣きたいときに、笑うことだってできるでしょう。
そうやって鈍感になっていく(あるいはその“ふり”ができるようになる)のが、大人になるということです。なんか最近も似たようなこと書いた気が……。
それにしたって今回のは衝撃強すぎですけどね。
もう限界よ。寝るわ。
寝ることができるのも、自己防衛機能でしょうね。寝るわ。
こんな内容ですいません……。
いまはどうか、お許しを。