こういうときのために、ブログやっていてよかった、と思いました。
でも考えてみれば、初めて「ブログやりたい」と思ったのは、小春の卒業を聞いたときだったのを思い出しました。
なんでもいいから、自分の思ったことを発信したかった。
そうじゃないと、この気持ちをどこへ持っていけばいいのかわからなかったからです。
モーニング娘。'15のエース、りほりほこと鞘師里保ちゃんが今年の12/31を持ってグループを卒業することを発表しました。
公式ニュース
りほりほブログ
細かい文面とか内容はあまり頭に入ってこなくて、もうすぐりほりほがモーニング娘。でなくなるという事実だけが心を蝕んできます。
自分が勝手に思い描いていた“これからのモーニング娘。像”には必ずりほりほがいて、この発表を見たとき、それがガラガラと崩れていく音が聞こえました。
想像ができない。りほりほがいないモーニング娘。なんて。
こう言っちゃなんですが、「モーニング娘。解散」って言われるのと同じくらいの衝撃です。
他のメンバーを軽視してるわけではもちろんない。
でもそれくらい、りほりほがいなくちゃ意味がないとさえ思えるほどの存在なんですよ。
約15年ずっとモーニング娘。を応援してきて、初めて心が揺らぎました。
自分はこれからもモーニング娘。を、変わらず応援していけるだろうか。
いままで一度も、さゆのときも愛ちゃんのときも亀ジュンリンのときも、ファンになったきっかけであるなっちの卒業を聞いたときでさえ思わなかったのに、揺らぎました。
だって早すぎるだろうよ。
プラチナ期が終わって、久しぶりに新メンバーとして加入してきた9期の鞘師里保。
風のようにやってきて、風のように去っていくのかよ。
「好きにさせといて 急にいなくならないで」とはよく言ったもんだ。(『悲しみトワイライト』より)
来年の舞台では、もうりほりほの演技を見ることはできないのかぁ。
楽しみだったんだけどなぁ。
12/31で卒業ってことは、これまでのような卒業公演というのはないのだろうか。
次の春ツアーじゃダメだったの?
せめて、今回の秋ツアーが最後じゃダメだったの?
ダメだったんだろうなぁ。だからこう決断したんだろうし。鞘師里保だもんなぁ。
いつものような卒コンではない(と思われる)ことに、なぜか少し安心します。
だって、去年のさゆのときみたいに、心からおめでとうさようならなんて思えないですよ。
まだまだモーニング娘。でいてほしかった。
ヲタのわがままだけど、それが本音です。
まいったまいった。
とんでもない人を好きになってしまった。
りほりほがもっと、子供で、才能がなくて、臆病な人ならよかったのに。
そうすれば、もっとモーニング娘。のあなたを見ていられたかもしれないのに。
でもそうじゃないからこそ惚れたのだと、自分でもわかってます。
そうじゃなければ、鞘師里保ではない。
あぁ。推しになるメンバーを間違えたかなぁ?w
弱い弱い自分には、りほりほはちょっと強すぎるみたいです。
なにが哀しいって、どれだけ好きになっても、たとえどれだけ近づいても、所詮は他人なんだというのを思い知らされることですよ。
それはヲタとしてだけではなく、メンバーでも同じこと。
家族でも友達でも同じ。
本人以外は、みんな他人。
りほりほになることはできないし、本当に心から他人を理解することなんてできない。
その当たり前すぎる事実をいまさらのように思い知らされて、勝手に哀しくなるのが「好きになる」ということの正体。
もしかしたら一番哀しいのは卒業することじゃなくて、どれだけその人のことを想っても、本当に理解することなんてできないということなのかもしれない、なんて思いました。
もっと気持ち悪い言い方をすると、どれだけ好きになっても、鞘師里保になることはできない、ということ。
意味が分かりませんよね。ええ。動揺している証拠ですw
ダメだなー。少しは前向きなことを言うべきなんだろうけど、いまはちょっと辛い。
りほりほの凄さとか、これまでの活動への感謝とか、そういうのを素直に言えるまではもう少し時間がかかりそうです。
「りほりほの卒業」なんて、自分で書いてて笑えてくる。
人間は、どんなことがあっても生きていけるんですね。それが哀しいわ。いっそのことショック死してしまいたかったよ。
でも本当の哀しみは、あとからやってくるんだと思います。
これまでの経験上、そう。
いまはショックを受け止め切れずに、こんな風に無駄に長いブログも書けるけど、明日からじわじわと、蛇の生殺しのように少しずつ、魂が削られていくのを感じることでしょう。
こんな内容ですみません。
今日届いた娘。のDマガvol.76。
この楽しそうなDVD、どんな顔して見ればいいんですかね……。
でも考えてみれば、初めて「ブログやりたい」と思ったのは、小春の卒業を聞いたときだったのを思い出しました。
なんでもいいから、自分の思ったことを発信したかった。
そうじゃないと、この気持ちをどこへ持っていけばいいのかわからなかったからです。
モーニング娘。'15のエース、りほりほこと鞘師里保ちゃんが今年の12/31を持ってグループを卒業することを発表しました。
公式ニュース
りほりほブログ
細かい文面とか内容はあまり頭に入ってこなくて、もうすぐりほりほがモーニング娘。でなくなるという事実だけが心を蝕んできます。
自分が勝手に思い描いていた“これからのモーニング娘。像”には必ずりほりほがいて、この発表を見たとき、それがガラガラと崩れていく音が聞こえました。
想像ができない。りほりほがいないモーニング娘。なんて。
こう言っちゃなんですが、「モーニング娘。解散」って言われるのと同じくらいの衝撃です。
他のメンバーを軽視してるわけではもちろんない。
でもそれくらい、りほりほがいなくちゃ意味がないとさえ思えるほどの存在なんですよ。
約15年ずっとモーニング娘。を応援してきて、初めて心が揺らぎました。
自分はこれからもモーニング娘。を、変わらず応援していけるだろうか。
いままで一度も、さゆのときも愛ちゃんのときも亀ジュンリンのときも、ファンになったきっかけであるなっちの卒業を聞いたときでさえ思わなかったのに、揺らぎました。
だって早すぎるだろうよ。
プラチナ期が終わって、久しぶりに新メンバーとして加入してきた9期の鞘師里保。
風のようにやってきて、風のように去っていくのかよ。
「好きにさせといて 急にいなくならないで」とはよく言ったもんだ。(『悲しみトワイライト』より)
来年の舞台では、もうりほりほの演技を見ることはできないのかぁ。
楽しみだったんだけどなぁ。
12/31で卒業ってことは、これまでのような卒業公演というのはないのだろうか。
次の春ツアーじゃダメだったの?
せめて、今回の秋ツアーが最後じゃダメだったの?
ダメだったんだろうなぁ。だからこう決断したんだろうし。鞘師里保だもんなぁ。
いつものような卒コンではない(と思われる)ことに、なぜか少し安心します。
だって、去年のさゆのときみたいに、心からおめでとうさようならなんて思えないですよ。
まだまだモーニング娘。でいてほしかった。
ヲタのわがままだけど、それが本音です。
まいったまいった。
とんでもない人を好きになってしまった。
りほりほがもっと、子供で、才能がなくて、臆病な人ならよかったのに。
そうすれば、もっとモーニング娘。のあなたを見ていられたかもしれないのに。
でもそうじゃないからこそ惚れたのだと、自分でもわかってます。
そうじゃなければ、鞘師里保ではない。
あぁ。推しになるメンバーを間違えたかなぁ?w
弱い弱い自分には、りほりほはちょっと強すぎるみたいです。
なにが哀しいって、どれだけ好きになっても、たとえどれだけ近づいても、所詮は他人なんだというのを思い知らされることですよ。
それはヲタとしてだけではなく、メンバーでも同じこと。
家族でも友達でも同じ。
本人以外は、みんな他人。
りほりほになることはできないし、本当に心から他人を理解することなんてできない。
その当たり前すぎる事実をいまさらのように思い知らされて、勝手に哀しくなるのが「好きになる」ということの正体。
もしかしたら一番哀しいのは卒業することじゃなくて、どれだけその人のことを想っても、本当に理解することなんてできないということなのかもしれない、なんて思いました。
もっと気持ち悪い言い方をすると、どれだけ好きになっても、鞘師里保になることはできない、ということ。
意味が分かりませんよね。ええ。動揺している証拠ですw
ダメだなー。少しは前向きなことを言うべきなんだろうけど、いまはちょっと辛い。
りほりほの凄さとか、これまでの活動への感謝とか、そういうのを素直に言えるまではもう少し時間がかかりそうです。
「りほりほの卒業」なんて、自分で書いてて笑えてくる。
人間は、どんなことがあっても生きていけるんですね。それが哀しいわ。いっそのことショック死してしまいたかったよ。
でも本当の哀しみは、あとからやってくるんだと思います。
これまでの経験上、そう。
いまはショックを受け止め切れずに、こんな風に無駄に長いブログも書けるけど、明日からじわじわと、蛇の生殺しのように少しずつ、魂が削られていくのを感じることでしょう。
こんな内容ですみません。
今日届いた娘。のDマガvol.76。
この楽しそうなDVD、どんな顔して見ればいいんですかね……。