まーちゃんは劇薬である。



というのが、先日ハロショで行われたまーちゃんのトークイベントのレポを読んでの感想。


レポってくださったみなさまありがとうございます。
見てない方は、こちらにまとめられてますのでご覧あれ。




文字だけでさえ、濃ーい中身だったなぁ。


ヲタの質問に答える企画だったようですが、何気ない回答も、我々にとっては「ふぁっ!?お、おうよ……!はぁ~……」みたいなものばかりでね。


レポ読んでまーちゃんについてうんうん考えすぎて知恵熱出てきたよ。


現場で聴いてたら終電逃してたかもしれない。




なんでしょう……、もし自分が娘。のメンバーだったと仮定して(妄想は自由)、まーちゃんと一緒に活動していくのは精神力がいるだろうなぁと心底思いました。


「自由奔放で手がかかるから」とかじゃないですよ。
それは例えば嫉妬とか忌避とか、逆に愛情とか羨望とか、とにかく心を乱されるという意味で。



まーちゃんの発言というか思考に触れていると、自分が物凄くつまらなくて無価値な、鼻くそについてる鼻毛くらいの存在でしかないような気分になってきます。


基本的にハロメンに対しては、それこそ偶像のように敬い崇める(要約すると“応援する”)対象として認識している自分ですが、たまーに、恐れ多くもおこがましくも、自分と比べてみるという行為をしてしまうことがなきにしもあらずで。


しかしまーちゃんに対してそんなことをしてしまった日には、人間的敗北をこれでもかというほどに思い知らされるのだと悟りました。


もちろんまーちゃん本人にそんな意図はなく、こっちが勝手に「かなわねぇ……orz」と思ってるだけなんですが、もうオレのライフはゼロよ状態になってしまうんですよね。



そんな感じなので、もし自分がまーちゃんと同じグループのメンバーだったとしたら、たぶん耐えられない。


ちっぽけなプライドをズタズタの滅多切りにされた上にゴマのようにすり潰されて粉になって風に乗って消えていくだけでしょう。


なにが辛いって、さっきも言ったようにまーちゃん本人にそんなつもりは微塵もないであろうことが辛い。


むしろまーちゃん自身も同じように、他のメンバーに嫉妬したり羨んだり自分はまだまだだと悔しがったりしてるみたいです。


でもじゃあ、そんなことを思っているまーちゃんにすら追いつけてない自分ってなんなの?となるのは目に見えてる。



なので、メンバーみんな凄いなと思いました。


まーちゃんと一緒によく活動してますよ、ホントに。


一応言っておきますが、めちゃくちゃ褒めてますからね。








さて、ちょっと個人的で抽象的すぎる話で意味わからんかったと思うので、もうちょい具体的なことを書いてみましょう。



試しに某まとめサイトを覗いてみたところ、「まーちゃんがいなくなってる気がする」というテーマと、「卒業する歳はもう決めている」というテーマのスレがありました。



まずは前者から。


まーちゃんがこう思う気持ちはわからんでもないです。というか自分も同じくらいの年頃に、同じようなことを考えました。


高校生の自分は、小学生や中学生のころの自分にかなわない。あのころのほうがずっと天才的だったと思ってました。(あくまで自分の中での比較)
もっと小さいころならば、もっと天才だったでしょう。あんま覚えてないけど。


それは世間的なイメージの“天才”という意味ではもちろんなくて、ざっくり言えば「発想力」の話。
なにものにも(というのは言い過ぎだけど)捉われず、自由な発想で物事を考えていられたなと思うわけです。


たぶん人が一生で一番天才的なのって、子供のころなんですよね。


まーちゃんもそれを本能的に悟っていて、成長するにつれてそんな自分が薄れていくのを憂いているんじゃないかと察せられます。


でも、それが成長というものです。
どんどん鈍化していく代わりに、それを制御し、自分なりに表現できるようになっていくのです。


子供の天才的な発想というのは、言うなれば自分の中だけで完結しており、それを他者に伝えるのは難しい代物。
たまーに本当の天才がいて、なんらかの方法(主に絵画や音楽などの芸術であることが多い)で表現できたりする人もいますが、まぁ普通はそうもいかない。


そこで大人になり成長すると、それらをどうすれば表現できるのか、伝えられるのかと模索することができるようになります。


“思考”を表現するというのはつまり、それを他人にもわかるように鈍化させることなのです。


だから、成長するほど、天才的な発想力は失われていく。それはもう人間、しょうがないことです。


どうしてもそれが嫌ならば、誰も人がいない絶海の孤島にでも住むしかないなと思いますが、たぶんそれでも鈍化はしていくでしょうね。


人間、生きている限り、周囲からなんの影響も受けずにいることは不可能です。


だからまーちゃんが「まーちゃんがいなくなってる気がする」と感じるのは、社会で生きている以上、避けては通れない道。


個人的には、その先のまーちゃんがどれだけ“まーちゃん”でいられるのか、そしてどんな“新しいまーちゃん”になってくれるのかが楽しみ。


どう見てもまーちゃんの発想力は、常人にはないものを持ってますからね。


天才(とあえて言おう)が天才的な時期を過ぎてどう成長してくれるのか、それが見たいです。




……って自分は思ったんですけども、違ってたらごめん。



でもさっき言ったスレなんか、もっと全然違う話になってませんかね。


佐藤の自由にさせろだとか、いや鞘師の言うことが正しいだとか、個性を潰すなとかフォーメーションダンスは飽きただとか、そういう話だったっけ?これ。


ほとんどがただの感情論と願望吐露でしかない気がしますが、まぁヲタなんてそんなもんか。自分も人のことは言えないし。



ヲタというのは大抵の場合“感情”でものを言いますが(そもそも「好き」という感情で応援してるんだからしょうがないけど)、メンバーはそういうわけにはいきません。向こうは仕事なので、時には感情とは無縁のプロフェッショナルな判断における指摘をしなければならないこともあります。


そういったプロのやりとりを、ヲタが感情的に解釈してどうこう言うと、どんどん本質からズレていくように観察されますね。


まーちゃんの奥深い発言から、あまりにも表面的なことしか受け取ってないヲタが多いのはどうなのよと。


まーちゃんはそういうことが言いたかったわけじゃないんじゃね?と思うわけですが、これも自分が勝手にそう解釈してるだけなので偉そうなことを言うのはこのくらいにしておきましょう。





そして後者の、卒業する歳は決めている、というもの。


これは「ぬおお」とは思いましたが、別にショックとかそういうのはないかな。


これもプロとしては当然といえば当然のこと。
「あのまーちゃんがそんなことを考えているとは!」とか「まだ若いのに立派だ……」みたいな驚きはありますが、モーニング娘。は加入した瞬間からいつかは卒業することが定められているので、メンバーがそういうことを考えるのはなにも不思議ではありません。


卒業後も生きていく以上は、早い段階からいろいろと考えるのは大事です。


まぁ人生なにが起こるかわからないので、あまりそれに捉われ過ぎず、自由に生きてほしいなとは思いますけどね。なんてまーちゃんに言うことでもないかw



スレを見ると、“そのとき”をわりと早い時期だと解釈してる人が多いんですね。なんでだろう?


でも、まーちゃんのことだから急にふらっといなくなっちゃいそう、という気持ちはわかる。


卒業することよりも、それがちょっと寂しいなと思うよね。
オレたちにはまーちゃんがいなくちゃダメだけど、まーちゃんにとってはオレたちがいなくても生きていけるんですよ。


まーちゃんにはどこかそういう雰囲気があって、それがちょっと(勝手に)寂しい。



いずれにせよ、卒業のことはあんまり考えたくはないですけどね、ファンとしてはw


ファンは常に“いま”の彼女たちを見ていたいんだけど、メンバー本人たちは将来のことも考えなくちゃならない。その差かな。







なんてことを、昨日からずっと考えていました。


すっかりまーちゃんのてのひらの上です。まーはお釈迦様なのか。



まーちゃんについては、「考えるな、感じろ」の精神が正しいのかもしれませんけどねぇ。


来年30になろうという男が16歳の女の子にこうも翻弄されているのが、我ながら情けない。


でもアレよ、年齢じゃないのよ年齢じゃ。
むしろ若いからこその輝き、とも言える。


それはもしかして、若さのなかにしか芽生えないものなのかもしれない。
大人になっても変わらずにいられたら、それこそ本当に奇跡のようだなと思います。



あれは、自分が欲しかったものだ……。


と思うものを、まーちゃんは持ってる。それが羨ましいです。





おわり。1日中これ考えて疲れました。