あーりーが急性扁桃炎になってしまわれたと……。


こちら


おぅ……。


220公演という謎の激務の最中ですからねぇ。
基本的にはウイルス性のものらしいですが、とにかくなってしまったものは仕方がないので、どうか安静に。そして早く治りますように。








さて今日もこれといって書くべきネタがないので、いま巷で話題?のとあるブログ記事を紹介してみましょう。


こちら


昨日Twitterでいろいろ言ったのでもういいかなと思ってたんですが、なんか結構、賛否両論話題になってる雰囲気なのでここでも取り上げてみようかなと。



でもこうやって拡散してしまうのもちょっと気が引けるんですけどね……という心情からもわかるように、個人的にはどちらかというと「否」の割合が多い記事だなという印象。


もちろん読むべきところが皆無なわけではなく、2~3割くらいは賛同できる部分もありますけども。




まずこの記事タイトルの一部に「モーニング娘。'15が再ブレイクできない理由」とあるわけですが、記事を読んでいくと(ツッコミどころが多すぎてなかなか読み進まないけど頑張ろう)この人の言う“ブレイク”、そしてその逆の“暗黒期”というのは非常に俗っぽい意味で書いてらっしゃるのかなと感じます。


推察するに、ブレイク=テレビにたくさん出る、暗黒期=テレビにあんまり出なくなる、的な。


まぁ間違いではないのかもしれませんが、やや違和感が残るところではありますね。


そもそもいきなり「現在の娘。('15)に、'14の頃のような人気はない」と断言してしまっているところからして「ん?」と思わずにはいられません。
たしかに去年と比べるとメディア露出度はやや減少したように思えますが、露出度=人気と断言されてしまうと、なんだかステレオタイプというか旧弊な価値観だなぁと感じてしまいます。


全体的に、もっともらしい批判と提案を論理的に書いているようでいて、ちょいと浅薄かなと



そう、もっともらしい口調なのが一番の問題なんだと思うんですよねぇ。



一見客観的に分析してるようだけど、その実、主観バリバリの願望吐露な側面がほとんど。
そうならそうと「こうしてほしい」「こうしたほうがいいんじゃない?」「こうしたら俺は楽しいのに」と一歩引いた視点から主張すべきなのに、どうも「なんでこうしないんだよこうすりゃ間違いないのにあいつら(事務所)わかってねえなぁ」みたいな言い方をしてしまうからいけない。




さっきも言ったように、賛同できる部分もそれなりにあるんですよ。


たとえばガールズライブをどうにかしたまえという意見。
これは自分もこのブログで散々不満を書いてますけど、おそらくハロヲタの8~9割が似たような不満を抱えているのではないかと思います。


両A面あるいはトリプルA面の曲を分けてリリースしたほうが(良曲が埋もれなくて)良かったのではないかという意見。


MVがダンスとリップばかりで変わり映えしないという意見。



それぞれ意見そのものはまぁ頷けるのに、そこへ余計な自己主張がやたら出てくるからまた素直に賛同できないのがモヤモヤ……。
まぁ賛同といっても、分析の精確性というよりはただ「それわかるわー」というヲタとしての共感に過ぎないんですけどね。



「EDMやフォーメーションダンスへの移行はファンを飽きさせていく原因にしかならなかった」という主張。
同じく黄金期の似た曲調の連発や5期の増員によって人気低迷に拍車をかけて暗黒期がはじまる、というやや首を傾げざるを得ない主張。
『A B C D~』をA面にしろというのもあまり賛同できかねますが、まぁそれは趣味の問題か。
でもこういった「趣味の問題」をいかにもマジョリティな正論であるという風に書かいてしまうと、一気に説得力がガタ落ちしてしまうことは理解しておいたほうがいいかもしれません。


『青春小僧~』に対する主張も単なる個人の好みの範疇を出ず、いきなり『笑えない話』を持ち上げるのもまた個人の好み。
そしてまた、青春小僧を「売り上げがー」と言うわりに、売り上げがいまいちだった『ピョコピョコ ウルトラ』を持ち上げ始めるあたり、読む人に「やっぱりそれってただの趣味なんじゃ……」と思わせてしまう要因になっているのかなと。



MVに関しては、言いたいことはわかるんですが、曲やダンスの性質、人数の多さなどなかなか難しいところもあるのは素人でもある程度察することはできるはず。(だから諦めろ、という意味ではないですが)
そしてMVのアイデア⑤で主張していることはすでに『青春小僧』でやっているのでは?と思ったんですが、それについてはスルーされているようで……。




批判だけでなく代案を書いているのは立派だと思いますが、そのどれもが結局は「昔みたいにやれ」でしかないのがまたモヤモヤ……。


ガールズライブをおもしろくするために「これを見ろ」と言って出したのが古いテレビ番組であるあたり、全体に蔓延る懐古主義と、「ぼくのかんがえたさいきょうのほにゃらら」という趣味の主張でしかないという印象に拍をかけてしまってるのではないかと感じました。




一番違和感を持ったのは、「今のモーニング娘。'15のコンサートは「与えられたことをこなすだけ」の面白みのないものになってしまっている」の部分。


曰く、昔みたいにアドリブ入れたり客を煽ったり、自由にやれとおっしゃる。


うんー??
今の娘。のコンサートが、与えられたことをこなす“だけ”? 面白みがない?


ほほー。
なんていうかこれも趣味の問題なんでしょうが、そういう、本質とズレズレのことをいかにも正論風に書いてしまうと、「こいつさてはコンサート見てないな?」と思われてしまいますよ?


ってゆうか本当に見てるんだろうか、今の娘。のコンサートを……。


こう言っちゃなんですが、昔(主に黄金期あたり)のほうがよっぽど「与えられたことをこなす」コンサートだったし、MCは台本だったし、自由と呼ぶには程遠い代物だったと思うんですが……。



なによりも、今のモーニング娘。のコンサートを「面白みがない」と言ってしまっている時点で、「この人は単に黄金期~プラチナ期以前のようなパフォーマンスをやってほしいだけなんだろうなぁ」としか思えなくなるわけですよ。


いや、それが悪いと言ってるわけではありません。
でもそういう“願望”を主張するのなら、ああいった記事の書き方は適していないと思います。




結局は、そこ。


ヲタなんだから、ああしてほしいこうしてほしいと主張するのは別にいいと思うんですよ。


でもこういう風に客観的な分析として記事を書くのなら、もう少し配慮が必要だったかもしれません。


主観の先に客観はあり、主観を主観として捉えることができないと客観性は得られません。


この方は、主観を客観と思い込んでしまったか、あるいは主観を主観として主張するのがあまり上手ではない(主観なのに客観風に書いてしまう)かのどちらかでしょう。


「実はヲタでもない人間が古参を装って書いてるのでは?」という疑いもちょっとありますが、まぁそれでこれだけ書いたのであれば、それに乗っかってあげるのもやぶさかではないかなとw





とりあえず、こうしてヲタの間でそこそこ話題になるだけの価値はあったのでしょうねw


自分としても、分析めいた内容を書くときはいろいろと気をつけなきゃいかんなぁと改めて思わされました。



完全な客観性なんてこの世には存在しないと思いますが、意識的にそちらへ寄せていく努力はやはり必要なのだと思います。






というわけで、いいネタの提供ありがとうございました←