前回からちょっと間が空いてしまってすみません。
忘れてたわけではないんですが、どうにも書く時間がなくて。
というわけで、さゆのモーニング娘。人生をテキトーに振り返っていくコーナーの四回目。
ちなみに前回まではこちら。
その①
その②
その➂
前回は吉澤リーダー時代のさゆまで書いたので、今回はプラチナ期でいきましょう。
とはいえ何から語ればよいやら。
プラチナ期。
いわゆる愛ちゃんがリーダーになった時期からのモーニング娘。は、五期の2人(高橋・新垣)が一番上で、その次に六期の3人がいたわけですが、年齢も近いこの5人にはあまり先輩後輩の垣根はなくて、関係性もわりと緩やかだったように思えます。もちろん最低限の礼儀はありましたが。
そんな中で六期3人はおいしいポジションにいたと言いますか、かなり自由な感じだったのもこの時期でしょう。
一番自然体な個性を出せていた頃かなーと思います。
しかしみなさんご存知の通り、この時期はパフォーマンス力がグイグイ向上していった時期でもありました。
となると必然的に?歌に関するさゆの出番は減ってくるわけで、人知れず焦燥感を抱いていた時期でもあったようです。
そして歌はもちろんのこと、2008年に行われたミュージカル『シンデレラ』ではついにセリフすらない役をあてがわれ、以後何度もこの話をするくらい苦々しい思い出になってしまった模様。
しかしそれを打開したきっかけとなるのが、あの『小学校教科書クイズ』ですよ。

ここではいわゆる「おバカ解答」を連発し、司会の上田さんに「君はこれから忙しくなるよ」とまで言わしめたほどでした。
確かにこれは凄かった。
こんうさピーなどのラジオでさゆのおバカっぷりは承知してましたが、ここまでテレビ受けする珍解答を連発でき、その他受け答えもちゃんとバラエティをわかってるあの感じ。
間違いなく、この日の出演者のMVPだったでしょう。
この頃は『ヘキサゴン』から始まったおバカキャラブームが下火になってきた時期でもありまして、もう少し早かったならさゆもおバカ枠でブレイクできてのに……なんて思ってましたね当時は。
ここから道重さゆみのソロバラエティ列伝が順当に始まった……わけではなく、さゆが本当にブレイクしたのはやはり『ロンドンハーツ』からでしょうな。


これですよこれ。
でも正直に白状しようか……この番組、ちゃんと最初から最後まで見てなかったんですよ自分……神よ許したまえorz
どんな内容なのかは、なんとなくわかってた。
予告映像とか、放送中/放送後の評判とかで。
しかし元々この番組が好きじゃない上に、大好きなメンバーがああだこうだイジられるのを見るのがどうにも耐え難かったのです。
あの頃まだ、そういう耐性ができてなかった。自分に。
まぁしかしオレが見ようが見まいが全国に放送されたわけで、その反響が結構なものだということは肌で感じておりました。
ナルシスト+毒舌。
この2つ、我が日本ではどう考えても好意的に受け止められる要素ではありませんよねw
J-POPの歌詞は「自分を好きになれ」としきりに主張するものの、本当に自分のことを好きだとか言うやつは白い目で見られるのが現実。
ましてやさゆは、本当に可愛いのである。
どう見ても可愛くないやつが「わたし可愛い♡」とか言う分には冗談になるけど、リアルに可愛い女の子がそんなことを堂々と言おうものなら全国津々浦々から嫉妬と憎悪の炎がメラメラと燃え上がり、たちまちネットは炎上、実際可愛いか可愛くないかなぞ関係なしに「なんだアイツ」「全然可愛くねーし」「調子乗ってんな」「勘違い女」などなど、人間の根幹はやはり醜い悪意なのですねと悟るに充分なだけの声声声が沸き上がったのでした。
つまり、道重さゆみブレイク。
わからないものです。
芸能界というのは、良いことだけでなく、悪いこと(悪い印象)でもとにかく有名になれば勝ち組なのです。
まぁキャラ抜きにしてもさゆはトークも達者だし、ブレイクする前から一定数の固定ファンはいたわけで、テレビ側としても使いやすかったんだろうなとは思います。
以後、このときファンだった人もファンじゃなかった人もある程度なら知ってたであろうくらいに道重さゆみという人が有名になっていくわけですね。
ファンとして、もちろん嬉しい。
世間がモーニング娘。に飽き始め、新しく台頭してきたAKBにまんまと乗せられてる中で、久々にメンバー個人がこうして有名になるのはもちろん嬉しかったですよ。
だがしかし、それは反面、悔しさや憤りとの闘いでもあったのでした。
ちょっとこの部分だけ長くなるけど、お付き合いくださいw
なんせブレイクしたのがナルシスト+毒舌キャラですよ。
最初はとにかく、批判や反感が多かった多かった。
ヲタの中からもなかったわけではないですが、その大半はやはり非ヲタの一般人から。
それはつまり、これまで道重さゆみなんて知らなかった層にも知ってもらえたということで、どんな理由でも喜ぶべきことではあると思います。
でもファンとしてはさ、やはり好きな人が悪く言われるのは気持ちよくないですよ。
ああ……思い出すだけでも辛い。(ちょっと大げさ)
でもホントに、あのときは複雑な心境だったなぁ。
それでも変わらず応援し続けたのは、さゆ本人が本当に頑張ってるのがわかったから。
ヲタが弱音を吐いてる場合じゃない、的な。
まぁその辺は人それぞれで感じ方も違うのでしょうけどね。
全然気にならなかった人もいたかもしれません。
自分の場合、さっきも言ったようにまだそういう悪意への耐性ができてなかったので辛かったのですw
さゆ自身は、悪口も全然平気とは言ってました。
モーニング娘。としての自分が知られていない状況よりはマシだったのでしょう。
一番良くないのは、良いことも悪いことも言われないということ。それが人気商売のさだめ。
まぁそれはわからんでもない。
得てしてこういうのって、当の本人は意外と何も感じなかったりしますよね。
周りの友人知人のほうが過剰に反応しちゃってたりとか。
しかし自分はその「周りの人」なわけで、そりゃもう過剰に反応しましたよ。
だってどの番組出てもさ、当然「わたしが一番可愛い」的なことを言う流れになって、そうなると必ず「いやそうでもないよ?」とか「可愛くないからw」とか返されるわけです。
バラエティの流れだとは承知しつつも、ファンとしては苦笑いな展開。
笑いながらも、心の底ではムカついてた。そんな感じよね。
でまた、テレビの中では自分のこと可愛いとか言ってしかも毒舌吐いて生意気な小娘みたいな立ち位置にいるわけで、そうなるとテレビ見てる世間一般もそう思って批判しまくりな構図になる。
でもこちとらデビュー当初から道重さゆみを応援してきて、オマエラが思ってるような娘じゃないんだよ本当はもっとずっと良い娘なんだよでもそれを言っちゃうとさゆのキャラ潰しになっちゃうんだよねもうどうしたらいいのさ……な心境になってました。
ももちも自分のキャラ(と言ったら怒られるけど)を貫くことに頑なですが、当時のさゆもそれはそれは頑なでした。
というかまぁ、確かにナルシストも毒舌も別に作ってるわけではなく、最初からそういう人ではあったんですけど、やはりテレビってなるとその部分だけを誇張して前に出さなきゃいけなくて。
結果、それだけの人、そういう人だと思われるようになったわけです。
つまり、『女が嫌いな女ランキング』にランクインするような人に。
そんな日々が続いた中で、娘。としては小春ちゃんの卒業があり、8人体制のモーニング娘。がスタートしていきました。
で、2010年2月10日にリリースした『女が目立って なぜイケナイ』の発売日と同じ日に、ようやくブログを始めることになったのです。
ご存知と思いますが、GREEでね。
さゆがソロでバラエティに出始めてから、なんであの事務所はブログをやらせないんだと常々思っていたのですよ。
せっかくテレビでさゆを知って検索した人をみすみす逃すことになるやろがい、と。
当時はまだOGのみなさん方しかブログをやっておらず、現役ハロメンは皆無でした。
そこをさゆは事務所にお願いし続けて(というのは後から聞いた話ですが)、ようやく個人ブログを開設するに至ったのでした。
ラジオでも、いつも「ブログやりたい」と言ってましたからねぇ。
まだ見ぬブログのタイトルまで妄想してたほどやりたがってましたw
最初は確か、「道重さゆみの、口だけ達者です」が有力候補だったような。(GREEブログはタイトルなかったので結局採用されず)
これはファンとしてもホントに嬉しかったんですが、このブログもまた頭痛の種になりました。ファン(つーかオレ)にとっても、さゆ本人にとっても。
ブログにはコメント欄があり、GREEは基本的にどんなコメでも承認なしで書き込めます。
この当時、さゆは世間一般からは嫌われてる頃ですよ。
想像はつくでしょう。そういった類の悪辣なコメントが絶えませんでした。
いやーあれはホントに嫌だった。
しつこいようだけどそういうものへの耐性ができてなかった自分は、テレビ出演後のブログコメ欄とか見ると本気でムカついたもんですよ。
もしこの批判(ならまだいいけど、ほとんどがただの誹謗中傷)コメを書き込んだやつが目の前にいたら、全力でぶん殴っていたと思う。
ケータイ開いてコメ欄を見ると、五臓六腑がおかしくなるんですよ。これが「はらわた煮えくりかえる」ってやつかと勉強になりました。
出る杭は打たれるとは聞いてたけど、よくまぁあんなにもdisってくれたもんじゃい。
人間というのは、生来的に悪意の塊なんだなと思いました。きっと自分もそうなんでしょうけど。
たぶん、今の自分ならもっと冷静に受け止められる。
しかしあのときは無理だった。さゆが誹謗中傷されることが耐え難かった。
アイドル界としても、娘。はオワコンだとか言われ、時代はAKBだみたいな風潮になってましたからね。
さゆのことも娘。のことも、ロクに知らないような連中が知ったかぶって評価してやがる。そんな時期ですよ。
まだまだ言える……この頃の怨嗟ならいくらでも出てくるぞ……w
しかしこのくらいにしときましょう。もはや昔の話です。
でも、もうああいうのは嫌かなぁ。
たとえば現メンの誰かがものすっごい嫌われながら悪口言われながら誹謗中傷されまくりながらブレイクしたとして、嬉しいですかね?
あのときはそれも必要でした。
だからさゆはホント凄いと思うし、感謝すべきだと思います。さゆの頑張りに。
でも今は……うん、できればやめてほしいかもなぁ。
仮にそういうメンバーで出てきて、その娘がそれで本気で頑張るというのならもちろん全力で応援しますけどね。
ああ気付いたら過去の恨みつらみばかり書いてしまったじゃないかw
もちろん楽しいこともたくさんありましたよ。
今でもプラチナ期は大切な思い出です。
しかし同じくらい嫌なことや悔しいこともあった時期で、今回はその負の部分を書いてみましたw
⑤ではもうちょい楽しかったことを書こうかなw
でもさゆ個人の話となると……思い返してみよう。
そんな感じで、そのうち書くであろう⑤に続く~。
今回、道重さゆみ遍歴っていうかただの自分語りになっちゃってないかな?w
まあいっか(・∀・)←
忘れてたわけではないんですが、どうにも書く時間がなくて。
というわけで、さゆのモーニング娘。人生をテキトーに振り返っていくコーナーの四回目。
ちなみに前回まではこちら。
その①
その②
その➂
前回は吉澤リーダー時代のさゆまで書いたので、今回はプラチナ期でいきましょう。
とはいえ何から語ればよいやら。
プラチナ期。
いわゆる愛ちゃんがリーダーになった時期からのモーニング娘。は、五期の2人(高橋・新垣)が一番上で、その次に六期の3人がいたわけですが、年齢も近いこの5人にはあまり先輩後輩の垣根はなくて、関係性もわりと緩やかだったように思えます。もちろん最低限の礼儀はありましたが。
そんな中で六期3人はおいしいポジションにいたと言いますか、かなり自由な感じだったのもこの時期でしょう。
一番自然体な個性を出せていた頃かなーと思います。
しかしみなさんご存知の通り、この時期はパフォーマンス力がグイグイ向上していった時期でもありました。
となると必然的に?歌に関するさゆの出番は減ってくるわけで、人知れず焦燥感を抱いていた時期でもあったようです。
そして歌はもちろんのこと、2008年に行われたミュージカル『シンデレラ』ではついにセリフすらない役をあてがわれ、以後何度もこの話をするくらい苦々しい思い出になってしまった模様。
しかしそれを打開したきっかけとなるのが、あの『小学校教科書クイズ』ですよ。

ここではいわゆる「おバカ解答」を連発し、司会の上田さんに「君はこれから忙しくなるよ」とまで言わしめたほどでした。
確かにこれは凄かった。
こんうさピーなどのラジオでさゆのおバカっぷりは承知してましたが、ここまでテレビ受けする珍解答を連発でき、その他受け答えもちゃんとバラエティをわかってるあの感じ。
間違いなく、この日の出演者のMVPだったでしょう。
この頃は『ヘキサゴン』から始まったおバカキャラブームが下火になってきた時期でもありまして、もう少し早かったならさゆもおバカ枠でブレイクできてのに……なんて思ってましたね当時は。
ここから道重さゆみのソロバラエティ列伝が順当に始まった……わけではなく、さゆが本当にブレイクしたのはやはり『ロンドンハーツ』からでしょうな。


これですよこれ。
でも正直に白状しようか……この番組、ちゃんと最初から最後まで見てなかったんですよ自分……神よ許したまえorz
どんな内容なのかは、なんとなくわかってた。
予告映像とか、放送中/放送後の評判とかで。
しかし元々この番組が好きじゃない上に、大好きなメンバーがああだこうだイジられるのを見るのがどうにも耐え難かったのです。
あの頃まだ、そういう耐性ができてなかった。自分に。
まぁしかしオレが見ようが見まいが全国に放送されたわけで、その反響が結構なものだということは肌で感じておりました。
ナルシスト+毒舌。
この2つ、我が日本ではどう考えても好意的に受け止められる要素ではありませんよねw
J-POPの歌詞は「自分を好きになれ」としきりに主張するものの、本当に自分のことを好きだとか言うやつは白い目で見られるのが現実。
ましてやさゆは、本当に可愛いのである。
どう見ても可愛くないやつが「わたし可愛い♡」とか言う分には冗談になるけど、リアルに可愛い女の子がそんなことを堂々と言おうものなら全国津々浦々から嫉妬と憎悪の炎がメラメラと燃え上がり、たちまちネットは炎上、実際可愛いか可愛くないかなぞ関係なしに「なんだアイツ」「全然可愛くねーし」「調子乗ってんな」「勘違い女」などなど、人間の根幹はやはり醜い悪意なのですねと悟るに充分なだけの声声声が沸き上がったのでした。
つまり、道重さゆみブレイク。
わからないものです。
芸能界というのは、良いことだけでなく、悪いこと(悪い印象)でもとにかく有名になれば勝ち組なのです。
まぁキャラ抜きにしてもさゆはトークも達者だし、ブレイクする前から一定数の固定ファンはいたわけで、テレビ側としても使いやすかったんだろうなとは思います。
以後、このときファンだった人もファンじゃなかった人もある程度なら知ってたであろうくらいに道重さゆみという人が有名になっていくわけですね。
ファンとして、もちろん嬉しい。
世間がモーニング娘。に飽き始め、新しく台頭してきたAKBにまんまと乗せられてる中で、久々にメンバー個人がこうして有名になるのはもちろん嬉しかったですよ。
だがしかし、それは反面、悔しさや憤りとの闘いでもあったのでした。
ちょっとこの部分だけ長くなるけど、お付き合いくださいw
なんせブレイクしたのがナルシスト+毒舌キャラですよ。
最初はとにかく、批判や反感が多かった多かった。
ヲタの中からもなかったわけではないですが、その大半はやはり非ヲタの一般人から。
それはつまり、これまで道重さゆみなんて知らなかった層にも知ってもらえたということで、どんな理由でも喜ぶべきことではあると思います。
でもファンとしてはさ、やはり好きな人が悪く言われるのは気持ちよくないですよ。
ああ……思い出すだけでも辛い。(ちょっと大げさ)
でもホントに、あのときは複雑な心境だったなぁ。
それでも変わらず応援し続けたのは、さゆ本人が本当に頑張ってるのがわかったから。
ヲタが弱音を吐いてる場合じゃない、的な。
まぁその辺は人それぞれで感じ方も違うのでしょうけどね。
全然気にならなかった人もいたかもしれません。
自分の場合、さっきも言ったようにまだそういう悪意への耐性ができてなかったので辛かったのですw
さゆ自身は、悪口も全然平気とは言ってました。
モーニング娘。としての自分が知られていない状況よりはマシだったのでしょう。
一番良くないのは、良いことも悪いことも言われないということ。それが人気商売のさだめ。
まぁそれはわからんでもない。
得てしてこういうのって、当の本人は意外と何も感じなかったりしますよね。
周りの友人知人のほうが過剰に反応しちゃってたりとか。
しかし自分はその「周りの人」なわけで、そりゃもう過剰に反応しましたよ。
だってどの番組出てもさ、当然「わたしが一番可愛い」的なことを言う流れになって、そうなると必ず「いやそうでもないよ?」とか「可愛くないからw」とか返されるわけです。
バラエティの流れだとは承知しつつも、ファンとしては苦笑いな展開。
笑いながらも、心の底ではムカついてた。そんな感じよね。
でまた、テレビの中では自分のこと可愛いとか言ってしかも毒舌吐いて生意気な小娘みたいな立ち位置にいるわけで、そうなるとテレビ見てる世間一般もそう思って批判しまくりな構図になる。
でもこちとらデビュー当初から道重さゆみを応援してきて、オマエラが思ってるような娘じゃないんだよ本当はもっとずっと良い娘なんだよでもそれを言っちゃうとさゆのキャラ潰しになっちゃうんだよねもうどうしたらいいのさ……な心境になってました。
ももちも自分のキャラ(と言ったら怒られるけど)を貫くことに頑なですが、当時のさゆもそれはそれは頑なでした。
というかまぁ、確かにナルシストも毒舌も別に作ってるわけではなく、最初からそういう人ではあったんですけど、やはりテレビってなるとその部分だけを誇張して前に出さなきゃいけなくて。
結果、それだけの人、そういう人だと思われるようになったわけです。
つまり、『女が嫌いな女ランキング』にランクインするような人に。
そんな日々が続いた中で、娘。としては小春ちゃんの卒業があり、8人体制のモーニング娘。がスタートしていきました。
で、2010年2月10日にリリースした『女が目立って なぜイケナイ』の発売日と同じ日に、ようやくブログを始めることになったのです。
ご存知と思いますが、GREEでね。
さゆがソロでバラエティに出始めてから、なんであの事務所はブログをやらせないんだと常々思っていたのですよ。
せっかくテレビでさゆを知って検索した人をみすみす逃すことになるやろがい、と。
当時はまだOGのみなさん方しかブログをやっておらず、現役ハロメンは皆無でした。
そこをさゆは事務所にお願いし続けて(というのは後から聞いた話ですが)、ようやく個人ブログを開設するに至ったのでした。
ラジオでも、いつも「ブログやりたい」と言ってましたからねぇ。
まだ見ぬブログのタイトルまで妄想してたほどやりたがってましたw
最初は確か、「道重さゆみの、口だけ達者です」が有力候補だったような。(GREEブログはタイトルなかったので結局採用されず)
これはファンとしてもホントに嬉しかったんですが、このブログもまた頭痛の種になりました。ファン(つーかオレ)にとっても、さゆ本人にとっても。
ブログにはコメント欄があり、GREEは基本的にどんなコメでも承認なしで書き込めます。
この当時、さゆは世間一般からは嫌われてる頃ですよ。
想像はつくでしょう。そういった類の悪辣なコメントが絶えませんでした。
いやーあれはホントに嫌だった。
しつこいようだけどそういうものへの耐性ができてなかった自分は、テレビ出演後のブログコメ欄とか見ると本気でムカついたもんですよ。
もしこの批判(ならまだいいけど、ほとんどがただの誹謗中傷)コメを書き込んだやつが目の前にいたら、全力でぶん殴っていたと思う。
ケータイ開いてコメ欄を見ると、五臓六腑がおかしくなるんですよ。これが「はらわた煮えくりかえる」ってやつかと勉強になりました。
出る杭は打たれるとは聞いてたけど、よくまぁあんなにもdisってくれたもんじゃい。
人間というのは、生来的に悪意の塊なんだなと思いました。きっと自分もそうなんでしょうけど。
たぶん、今の自分ならもっと冷静に受け止められる。
しかしあのときは無理だった。さゆが誹謗中傷されることが耐え難かった。
アイドル界としても、娘。はオワコンだとか言われ、時代はAKBだみたいな風潮になってましたからね。
さゆのことも娘。のことも、ロクに知らないような連中が知ったかぶって評価してやがる。そんな時期ですよ。
まだまだ言える……この頃の怨嗟ならいくらでも出てくるぞ……w
しかしこのくらいにしときましょう。もはや昔の話です。
でも、もうああいうのは嫌かなぁ。
たとえば現メンの誰かがものすっごい嫌われながら悪口言われながら誹謗中傷されまくりながらブレイクしたとして、嬉しいですかね?
あのときはそれも必要でした。
だからさゆはホント凄いと思うし、感謝すべきだと思います。さゆの頑張りに。
でも今は……うん、できればやめてほしいかもなぁ。
仮にそういうメンバーで出てきて、その娘がそれで本気で頑張るというのならもちろん全力で応援しますけどね。
ああ気付いたら過去の恨みつらみばかり書いてしまったじゃないかw
もちろん楽しいこともたくさんありましたよ。
今でもプラチナ期は大切な思い出です。
しかし同じくらい嫌なことや悔しいこともあった時期で、今回はその負の部分を書いてみましたw
⑤ではもうちょい楽しかったことを書こうかなw
でもさゆ個人の話となると……思い返してみよう。
そんな感じで、そのうち書くであろう⑤に続く~。
今回、道重さゆみ遍歴っていうかただの自分語りになっちゃってないかな?w
まあいっか(・∀・)←