上田早夕里 『華竜の宮』


華竜の宮(上) (ハヤカワ文庫JA)/上田 早夕里

¥777
Amazon.co.jp




2010年のベストSF第1位に輝き、第32回日本SF大賞も受賞した大作。



結論から言えば、十年に一度の大傑作である。




まず設定からして物凄い。



ホットプルームの活性化による大規模な海底隆起で、陸地の大半が海の底に沈んだ世界。
《リ・クリテイシャス(白亜紀頃の海底隆起という意味)》と呼ばれるその大災厄は、これまでの人類文明のほとんどを沈没させてしまった。
人類はわずかに残された領土をめぐり、人間、そして人口知性体による血みどろの虐殺を繰り返してきた。
滅亡一歩手前で過ちに気付いた人類は、科学技術をもってして人類の形態そのものを作りかえる処置を(一部に)行う。
海上民と呼ばれるその新しい人類は、海に適応し、誕生の際に「魚舟」という魚と共に生まれてくる。
魚舟を一生の〈朋〉とする海上民は、巨大に成長した魚舟の中で生活し、陸上民の政治的戦略に時には利用されながらも独自の生活様式を確立して生きていた。


一方、陸上民の外交官であり、本編の主人公でもある青澄誠司は日々陸上民と海上民、あるいは海上民同士の諍いを中立したり、新たなネットワーク作りに奔走していた。
その中で出会った海上民の魚舟船団のオサである女性ツキソメとお互いを理解しつつ、外交官として取引を持ちかける。


しかし政治的な謀略が渦巻き、青澄とツキソメの仕事は妨害され、なかなか着手できずにいた。


そんな中、IERA(国際環境研究連合)が、かつての災厄《リ・クリテイシャス》すらをも上回る、人類滅亡必至の大異変の予兆を掴み、極秘の計画を発案していた……。





というのが大枠のあらすじ。



世界のほとんどが海底に沈んだ世界で、陸上民と海上民に分かれた人類。
そして魚舟という存在は、朋となる人間がいなくなってしまった際に「獣舟」という危険な害獣に変化して人類を脅かす。(しかし害獣というのはあくまで陸上民の価値観であり、海上民は魚舟も獣舟も同等な親しみを持っているのだ)


そんな諸々のSF的設定だけでお腹いっぱいな本作の主軸は、外交官の主人公青澄が、右へ左へ世界を駆け回って繰り広げる「お仕事小説」の部分。


この青澄くんがまた正義感と平等精神溢れるワーカホリックで、陸上民でありながら海上民についての文化や知識に詳しいから仕事の成果は上々なものの、その性格はおよそ政治向きではないために地位的には下っ端の便利屋扱いだが本人はそれを悪くは思っていなかった。



基本的には三人称多視点で進む本作。
しかし青澄のパートだけは、アシスタント知性体という、陸上民のほとんどが脳経由で繋がっている人工知能の一人称で綴られる。


陸上民は生まれて数年経つと、アシスタント知性体とほぼ一生を共にするのだ。


これがまた上手い。
ツキソメや他人物のパートは三人称でありながら、青澄だけは、青澄のパートナーである人工知能視点での一人称という記述。


感情的にならない冷静な人工知性体からの視点なので、一人称でありながらも出来事を適度な距離感で俯瞰できる。
主人公に一番近いところから、しかし主人公ではない視点で語られる物語は読者の視点に沿いやすい。






そんなこんなで繰り広げられる物語は、海洋SFであり、終末SFであり、政治謀略小説であり、人類の黙示録でもある。


並の小説5冊分の濃密な世界に於ける人類の行く末……。




とにかく面白い。
こんな至福の読書体験は久しぶり。


もうただただ圧倒されました。いや凄いわ。



SFだけど、ジャンル問わずあらゆる人間に読んでほしい傑作。


この先何十年か経っても読み継がれていくであろう作品です。






ちなみに本作は《オーシャン・クロニクル》と呼ばれるシリーズで、本作の姉妹編である大長編『深紅の碑文』はつい最近刊行されたばかり。


そちらは、『華竜の宮』の最終章からエピローグまでの〈空白の40年〉を描いたものらしい。


他には短編で「魚舟・獣舟」「完全なる脳髄」「リリエンタールの末裔」が書かれている。


長編は『華竜の宮』と『深紅の碑文』で完結らしいが、中短編はこれからもいくつか書かれていくようなので期待したい。








ジャンル関係なく、「何か物凄いものを」「とにかく面白い本を」求めている人は、ぜひ本作を読むべし。