また愛ちゃんの話ですいませんね。
非難とか不満とかではないんだけど、なんとなく思っていたことがあって、他のブロガーさんやTwitterでの反応を見るとやっぱりみんな少なからず思っていたんだなぁということがあるので書いてみましょう。
愛ちゃんて、モーニング娘。時代から歌手(あるいは女優)として、エンターテイナーとして、パフォーマーとして舞台に立っているときは文句のつけようがないくらい完璧な人だったと思うんだけど、《アイドル》(広い意味で、「人気商売をする人」の意)としては足りない部分が結構あったんですよね。
でもアイドルというのは定義が曖昧だし、受け取る側(ファン)も広範囲にアンテナを張り巡らせるものだから、それでもちゃんと成立はしていた。
アイドルのプロがどういうものかというと、つまりは道重さゆみさんのような人ですよ。(ファンならこの一言でわかるはず)
アイドルの自覚。
その上で自分を見せて/魅せて、どう見られるかを考える人。
愛ちゃんは、その点がやや欠けていた印象。
愛ちゃんは、あんなに恵まれた容姿と才能を持っていながらどうしてそこまで……と思うくらいに謙虚な人です。
その謙虚さは良いところでもあると同時に悪いところでもあって、今まで何度、その謙虚すぎるほどの謙虚さにもどかしい想いを抱いたことか。
別の言い方で言うと、自己評価が低すぎる。
他人から「可愛い」と褒められようものなら、即座に否定するような人。
それは人としては(日本人としては?)美しい姿勢なのかもしれないけれど、アイドルとしてはやはり瑕疵だったと言わざるを得ないんじゃないだろうかと改めて思った次第です。
己の資質や才能、周りからの評価を冷静に受け止めることもプロとして大事なはずなのに、愛ちゃんは度が過ぎる謙遜でそれを受け流してしまうのが常でした。
要するに(10年もアイドルやってきた人にこんなこと言うのは不遜だと思いますが)「アイドルとしてどう見られているかの自覚が足りない」ということであり、それはきっと「アイドルの観点からファンを受け止められていない」ということにも繋がる気がするのです。
今回の結婚のことで、ファンの多くが素直に祝福できないのもそのせいなんじゃないかと思いました。
恋愛発覚から結婚報告に至るまでの過程やその対応に不満を持つファンがいるのも、遠慮なしに言ってしまえば「ファンへの配慮が足りなかった」ということなのでしょう。
「元」であれなんであれ、アイドルとしての自覚が欠けていたから、アイドルファンへの真摯な対応もわからなかった……のかもしれません。
愛ちゃんは、アイドルだったにも関わらず、娘。時代から今までずっと、本当の意味でのアイドルになることができなかった。
天然な部分ではアイドルとして成立していたけど、自覚的な部分では欠けていた。
それは決して傲慢なわけではなくて、やはり自己評価の低さからくる遠慮だったんだとは思います。
「アイドルとして愛される自分」を最後まで受け止められず、ずっと照れ隠しをしたまま今に至ってしまった。
それでもファンはファンだから、ファンとしての視線で愛ちゃんを見てしまう。
でも愛ちゃん本人は、そんな視線を受け止めてはくれない。
「一個人の高橋愛として」しか、ファンによる評価を受け止めてくれないのです。
実際に愛ちゃんは、モーニング娘。を卒業して「アイドル」から解放されたのかもしれませんが、ファンというのはそう簡単に「今までのアイドル高橋愛」の呪縛から逃れられるものではありません。
比べるわけではないですけど、さゆだったらその点にも自覚的で、真摯な対応をしてくれるでしょう。
れいなも何気にアイドルとしての自覚が高いし、ファン想いでもありますよね。
でも愛ちゃんは、そこから一刻も早く逃れようとしてしまった(ように見える)。
現役時代ですら真正面から向き合えなかった「アイドルとしての自分」だから、そうなるのもむべなるかな、とは思います。
しかしだからといってファンが即座に現役時代を忘れて一人の女性として「だけ」の視線で愛ちゃんを見ることができるかといえば、そうじゃないですよね。
そこまで、機械のルーティンのように心を切り替えられるものではないでしょう。
まぁ要するに、現役時代から見てきた(後から評価した人も含め)ファンの心だけが、置いてけぼりをくらったかのような形。
それだから、すぐには納得できないモヤモヤが残ってしまった今回の結婚なんだと思います。
最初に言ったように、これは非難でも不満でもなく、ただの分析です。
結婚というめでたいことにも関わらず、ファンから少なくない不満が出てしまったことについての分析。
(失礼ながら)「相手が……」という問題以外に、そういった愛ちゃん自身の(アイドルとしての)欠点が重なったことで、素直に祝う気持ちになれないファンが続出したのではないでしょうか。
結局、愛ちゃんの結婚に関する「寂しさ」の正体は、この「愛ちゃんとファンの距離」が明確に浮き彫りになってしまったことに対する寂しさなのかもしれませんね。
愛ちゃんに向けられたファンの声は確かに愛ちゃんに届いてはいたけど、同じだけの距離でそれを返してくれることはついになかった。いつも愛ちゃんのほうが一歩引いたところから声を返してくれていた。
その一歩が、ファンにとっては寂しい距離だったということ。それだけのこと。
当然こんなことは、愛ちゃん本人の耳には入らないだろうから言えることですけどねw
結婚が決まって幸せな本人を前にしたら、こんなこと言えるはずがない。
やっぱりどうあろうとも、愛ちゃんのことが好きな気持ちは変わらないんだからさ。
ヲタのブログという場だからこそ、こんな野暮な分析もできるってわけです。ブログやっててよかったーw
…………というところまでを昼間に書きました。
愛ちゃんは今日イベントだったらしく、そこで色々と相手について語っていましたね。
語っていたというか、ノロけてたw
新婚なんだからそれは全然良いんだけどさ、「(共演した舞台で)6回しか稽古に来てないのにステージに立っちゃうんだ!すごい!って思った」ってのは逆じゃね?すごくなくね?w
ただの練習不足やん!どうしてそれが「すごい」になるんや!まさにLOVE is Blindness!!(恋は盲目)
自分、その舞台観に行ったんですが、ぶっちゃけあべこーの演技は大根もいいとこだったよ。いやマジで。当時からそう思ってました。
幸せそうなのは微笑ましいけども、なんだか余計心配になってしまうのはオレだけでしょうか?w
どうかその恋心が、本当に盲目でない真実であることを祈ってやみません……。
ネガティヴなことばっか書いてごめんね愛ちゃん。
この話題はこれでもう終わりにします。(たぶん)
非難とか不満とかではないんだけど、なんとなく思っていたことがあって、他のブロガーさんやTwitterでの反応を見るとやっぱりみんな少なからず思っていたんだなぁということがあるので書いてみましょう。
愛ちゃんて、モーニング娘。時代から歌手(あるいは女優)として、エンターテイナーとして、パフォーマーとして舞台に立っているときは文句のつけようがないくらい完璧な人だったと思うんだけど、《アイドル》(広い意味で、「人気商売をする人」の意)としては足りない部分が結構あったんですよね。
でもアイドルというのは定義が曖昧だし、受け取る側(ファン)も広範囲にアンテナを張り巡らせるものだから、それでもちゃんと成立はしていた。
アイドルのプロがどういうものかというと、つまりは道重さゆみさんのような人ですよ。(ファンならこの一言でわかるはず)
アイドルの自覚。
その上で自分を見せて/魅せて、どう見られるかを考える人。
愛ちゃんは、その点がやや欠けていた印象。
愛ちゃんは、あんなに恵まれた容姿と才能を持っていながらどうしてそこまで……と思うくらいに謙虚な人です。
その謙虚さは良いところでもあると同時に悪いところでもあって、今まで何度、その謙虚すぎるほどの謙虚さにもどかしい想いを抱いたことか。
別の言い方で言うと、自己評価が低すぎる。
他人から「可愛い」と褒められようものなら、即座に否定するような人。
それは人としては(日本人としては?)美しい姿勢なのかもしれないけれど、アイドルとしてはやはり瑕疵だったと言わざるを得ないんじゃないだろうかと改めて思った次第です。
己の資質や才能、周りからの評価を冷静に受け止めることもプロとして大事なはずなのに、愛ちゃんは度が過ぎる謙遜でそれを受け流してしまうのが常でした。
要するに(10年もアイドルやってきた人にこんなこと言うのは不遜だと思いますが)「アイドルとしてどう見られているかの自覚が足りない」ということであり、それはきっと「アイドルの観点からファンを受け止められていない」ということにも繋がる気がするのです。
今回の結婚のことで、ファンの多くが素直に祝福できないのもそのせいなんじゃないかと思いました。
恋愛発覚から結婚報告に至るまでの過程やその対応に不満を持つファンがいるのも、遠慮なしに言ってしまえば「ファンへの配慮が足りなかった」ということなのでしょう。
「元」であれなんであれ、アイドルとしての自覚が欠けていたから、アイドルファンへの真摯な対応もわからなかった……のかもしれません。
愛ちゃんは、アイドルだったにも関わらず、娘。時代から今までずっと、本当の意味でのアイドルになることができなかった。
天然な部分ではアイドルとして成立していたけど、自覚的な部分では欠けていた。
それは決して傲慢なわけではなくて、やはり自己評価の低さからくる遠慮だったんだとは思います。
「アイドルとして愛される自分」を最後まで受け止められず、ずっと照れ隠しをしたまま今に至ってしまった。
それでもファンはファンだから、ファンとしての視線で愛ちゃんを見てしまう。
でも愛ちゃん本人は、そんな視線を受け止めてはくれない。
「一個人の高橋愛として」しか、ファンによる評価を受け止めてくれないのです。
実際に愛ちゃんは、モーニング娘。を卒業して「アイドル」から解放されたのかもしれませんが、ファンというのはそう簡単に「今までのアイドル高橋愛」の呪縛から逃れられるものではありません。
比べるわけではないですけど、さゆだったらその点にも自覚的で、真摯な対応をしてくれるでしょう。
れいなも何気にアイドルとしての自覚が高いし、ファン想いでもありますよね。
でも愛ちゃんは、そこから一刻も早く逃れようとしてしまった(ように見える)。
現役時代ですら真正面から向き合えなかった「アイドルとしての自分」だから、そうなるのもむべなるかな、とは思います。
しかしだからといってファンが即座に現役時代を忘れて一人の女性として「だけ」の視線で愛ちゃんを見ることができるかといえば、そうじゃないですよね。
そこまで、機械のルーティンのように心を切り替えられるものではないでしょう。
まぁ要するに、現役時代から見てきた(後から評価した人も含め)ファンの心だけが、置いてけぼりをくらったかのような形。
それだから、すぐには納得できないモヤモヤが残ってしまった今回の結婚なんだと思います。
最初に言ったように、これは非難でも不満でもなく、ただの分析です。
結婚というめでたいことにも関わらず、ファンから少なくない不満が出てしまったことについての分析。
(失礼ながら)「相手が……」という問題以外に、そういった愛ちゃん自身の(アイドルとしての)欠点が重なったことで、素直に祝う気持ちになれないファンが続出したのではないでしょうか。
結局、愛ちゃんの結婚に関する「寂しさ」の正体は、この「愛ちゃんとファンの距離」が明確に浮き彫りになってしまったことに対する寂しさなのかもしれませんね。
愛ちゃんに向けられたファンの声は確かに愛ちゃんに届いてはいたけど、同じだけの距離でそれを返してくれることはついになかった。いつも愛ちゃんのほうが一歩引いたところから声を返してくれていた。
その一歩が、ファンにとっては寂しい距離だったということ。それだけのこと。
当然こんなことは、愛ちゃん本人の耳には入らないだろうから言えることですけどねw
結婚が決まって幸せな本人を前にしたら、こんなこと言えるはずがない。
やっぱりどうあろうとも、愛ちゃんのことが好きな気持ちは変わらないんだからさ。
ヲタのブログという場だからこそ、こんな野暮な分析もできるってわけです。ブログやっててよかったーw
…………というところまでを昼間に書きました。
愛ちゃんは今日イベントだったらしく、そこで色々と相手について語っていましたね。
語っていたというか、ノロけてたw
新婚なんだからそれは全然良いんだけどさ、「(共演した舞台で)6回しか稽古に来てないのにステージに立っちゃうんだ!すごい!って思った」ってのは逆じゃね?すごくなくね?w
ただの練習不足やん!どうしてそれが「すごい」になるんや!まさにLOVE is Blindness!!(恋は盲目)
自分、その舞台観に行ったんですが、ぶっちゃけあべこーの演技は大根もいいとこだったよ。いやマジで。当時からそう思ってました。
幸せそうなのは微笑ましいけども、なんだか余計心配になってしまうのはオレだけでしょうか?w
どうかその恋心が、本当に盲目でない真実であることを祈ってやみません……。
ネガティヴなことばっか書いてごめんね愛ちゃん。
この話題はこれでもう終わりにします。(たぶん)