三浦しをん 『秘密の花園』
秘密の花園 (新潮文庫)/三浦 しをん

¥515
Amazon.co.jp
再読。
バーネットの有名な古典文学ではなく、直木賞作家 三浦しをんが書いた青春小説である。
カトリック系の女子校に通う3人の少女、那由多、淑子、翠。
先日読んだ恩田陸『蛇行する川のほとり』と似て、こちらも三部をそれぞれの視点で描いている。
第一部「洪水のあとに」は那由多。
個人的にはこの章が(というかキャラが)一番好きで、自身の内にわだかまる洪水の予兆を感じ、それが自分もろともすべてを押し流してしまうことを望んでいる少女。
この諦念。絶望。
思春期にありがちなそれらを超越した、超越してしまった彼女は、洪水のあとに、誰とどこで生きるというのだろうか。
第二部「地下を照らす光」は淑子。
3人の中で一番普通な女の子の淑子は、若い国語教師と密やかな恋にふけっている。
しかし教師との愛は日に日に疑心暗鬼へと変わり、先生は本当に私を愛してくれてるのかしらと自問してばかりいる。
実際にその問いを発することは、ない。
誰の一番にもなれずにいる少女は、那由多とはまた違う意味で何かを「諦めて」いるのだ。
そして諦めに絶望が加わったとき、彼女を支える脊髄は腐り果て、崩れ落ちる。
第三部「廃園の花守は歌う」は翠。
彼女もまたすでに何かを諦めており、他者との交流は少ない。
当然友人も少なく、那由多と淑子以外とはほとんど喋らない女の子。
生まれることのなかった兄を心に住まわせる翠は、そんな己を嫌悪してもいる。
那由多と一緒にいたいと望む彼女は、しかしそれを言葉にすることはできないのだ。
この3人の少女たちの懊悩。
硬質な文章で綴られるそれらは、読むこちらの気分までも冷徹にしてくれる。
こういう美しい文章と、それに見合った物語に出会うことは、読書の至上の喜びだ。
こんな本は、いつまでも忘れられない。
何かふとしたとき、大事なときに思い出す本となる。
人はみな、何かに絶望しながら生きているのだ。
3人の少女たちも、高校生でありながらすでに絶望している。
絶望。
それはときに居心地が良くて、いつまでもたゆたっていたい気にさえなってしまう。
「花園」は廃園でありながら、そこに住まう彼女たちにとっては楽園であり、やはり廃園でもある。
学校という不思議な場に於いて少女たちは、永遠にその楽園で絶望し続けるのだろう。
こういった限定的な退廃や絶望は、美しいなと思う。
絶望できるなんて、腐り果ててしまえるなんて、洪水に押し流されてしまえるなんて、なんと美しく魅力的なことだろうか。
それに懊悩する彼女たちの姿もまた、美しい。羨ましいとさえ思う。
なんだか抽象的な感想になってしまったけど、今後も幾度か読み返すであろう傑作に間違いない。
秘密の花園 (新潮文庫)/三浦 しをん

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再読。
バーネットの有名な古典文学ではなく、直木賞作家 三浦しをんが書いた青春小説である。
カトリック系の女子校に通う3人の少女、那由多、淑子、翠。
先日読んだ恩田陸『蛇行する川のほとり』と似て、こちらも三部をそれぞれの視点で描いている。
第一部「洪水のあとに」は那由多。
個人的にはこの章が(というかキャラが)一番好きで、自身の内にわだかまる洪水の予兆を感じ、それが自分もろともすべてを押し流してしまうことを望んでいる少女。
この諦念。絶望。
思春期にありがちなそれらを超越した、超越してしまった彼女は、洪水のあとに、誰とどこで生きるというのだろうか。
第二部「地下を照らす光」は淑子。
3人の中で一番普通な女の子の淑子は、若い国語教師と密やかな恋にふけっている。
しかし教師との愛は日に日に疑心暗鬼へと変わり、先生は本当に私を愛してくれてるのかしらと自問してばかりいる。
実際にその問いを発することは、ない。
誰の一番にもなれずにいる少女は、那由多とはまた違う意味で何かを「諦めて」いるのだ。
そして諦めに絶望が加わったとき、彼女を支える脊髄は腐り果て、崩れ落ちる。
第三部「廃園の花守は歌う」は翠。
彼女もまたすでに何かを諦めており、他者との交流は少ない。
当然友人も少なく、那由多と淑子以外とはほとんど喋らない女の子。
生まれることのなかった兄を心に住まわせる翠は、そんな己を嫌悪してもいる。
那由多と一緒にいたいと望む彼女は、しかしそれを言葉にすることはできないのだ。
この3人の少女たちの懊悩。
硬質な文章で綴られるそれらは、読むこちらの気分までも冷徹にしてくれる。
こういう美しい文章と、それに見合った物語に出会うことは、読書の至上の喜びだ。
こんな本は、いつまでも忘れられない。
何かふとしたとき、大事なときに思い出す本となる。
人はみな、何かに絶望しながら生きているのだ。
3人の少女たちも、高校生でありながらすでに絶望している。
絶望。
それはときに居心地が良くて、いつまでもたゆたっていたい気にさえなってしまう。
「花園」は廃園でありながら、そこに住まう彼女たちにとっては楽園であり、やはり廃園でもある。
学校という不思議な場に於いて少女たちは、永遠にその楽園で絶望し続けるのだろう。
こういった限定的な退廃や絶望は、美しいなと思う。
絶望できるなんて、腐り果ててしまえるなんて、洪水に押し流されてしまえるなんて、なんと美しく魅力的なことだろうか。
それに懊悩する彼女たちの姿もまた、美しい。羨ましいとさえ思う。
なんだか抽象的な感想になってしまったけど、今後も幾度か読み返すであろう傑作に間違いない。