突然ですが、海です。





もっと不思議なことだって起きている




こないだ、地元の海になんとなく行ってきました。(実家から車で50分くらい)




この写真だとそこそこ青くて綺麗な海に見えますが、実際はもっと濃いめの青でした。藍色。よくある日本の海。



でも自分は、青く透き通った海より、少し暗く淀んだ海のほうが好きなんですよねぇ。



特に、冬の海がいい。



冬のどんよりとした曇り空の下で、巨大な生き物のようにうねる海。





でもこれからは夏。



鬱陶しい太陽熱と、騒がしい海水浴客で溢れる夏の海になってしまう。




夏の海はどことなく開放的で、人間にも優しい印象がある。(もちろん錯覚だけど)



冬の海は排他的で、陸のあらゆる生き物を拒絶しているように感じる。そこが良い。




人間同士だって、互いに不干渉なほうが落ち着くってもんよ。







という話からなんとかしてハロネタに近づけようと思ったけど、何も思いつかない←



「SATOYAMAバスツアーでは茨城に来てくれたから、SATOUMIでも来てほしいなー」なんて思ってましたが、どうやら山口県に行ったようですね。



いいさいいさ、今度さゆがバスツアーで茨城来るもんねー。(オレ行かないけど)



しかし、さゆとSATOUMI、逆じゃね?w



さゆが山口に行くべきな気もしますが、まぁいっか。






このブログでは茨城茨城と、さも地元を愛しているかのように書いてますが、別段そこまで地元LOVEなわけではありません。(え



もちろん愛着はありますが、まぁ「知ってる人がテレビに映った!」くらいの感じですよね。



ハロメンではないけど、きっかこと吉川友ちゃんは茨城出身で、だからこそ思い入れも強く応援してしまうところがあるんですが、なぜ同じ出身県だからといって思い入れが強くなるのでしょう?別に知り合いでもないのに。



スポーツなんかもそうですよね。

日本人だからという理由で日本チームを応援する日本人一同ですが、それって本当に理由になるかな……?



もちろんなるのでしょう。その感覚が普通ですよねきっと。



ただ、そういう部分ってあまり深く考えずに、なんとなく「そういうものだ」って思ってるところがあるよなぁと思っただけー。

否定してるわけではありません。




人間はカテゴリーを作り、その中に帰属することで安心感を覚える生き物。



自分は「こう」で、「ああ」ではない。



という枠組みにね。




《自由》というのは実は物凄く不安定で不定形で、ちっとも安心できない代物ですよ。



思い込みとか固定概念とか、結局はそういうものに縛られてたほうがヒトの精神は安定できる。



無限の概念なんて、しょせん人間の脳で処理しきれるものではないのでしょう。



有限で不自由であるからこそ、どうにか折り合いをつけて生きていられるのです。










…………ってコレなんの話?(゜Д、゜)






テーマを決めずに見切り発車で書き出すとこういうことになるので気を付けましょう←