さゆはともかく、れいなまで追悼ブログを書いてるじゃないか!w
いや、「w」をつけるのも失礼な話ですが。
そういえば震災当時は、やたらと「自粛自粛」言ってて、何をするにも気を使うムードでしたよね。
ハロメンのブログも、しばらくまともな更新がなかったし。
勝手な言い分だとは承知ですが、ああいうときだからこそ普通に更新してほしかったかなぁ。
あのとき自分が縋ったのは、やはりというか当然というか、ハロプロでしたから。
あまりダラダラ語るのは止しますが、ハロプロファン&読書好きとしては、人間には「フィクション」や「エンターテインメント」が必要不可欠であると強く思います。
フィクションやエンタメとは、つまり《想像力》です。
ハロプロも音楽も、小説も漫画も映画も、そして生きていくことも、人の想像力なくしては成しえないものではないでしょうかね。
上手く言えませんが、広い意味での《想像力》こそが、3.11の先へ進むために最も必要な要素である気がします。
そういう意味で、ハロプロのあの娘たちは、必ず誰かの人生にとって必要な「救い」であり「想像力」であるのでしょう。
少なくとも、当時茨城にいた自分にとっては、電気・ガス・水道が止まって余震もひっきりなしに続いていたあの状況の中で、ハロプロを想い、曲を聴いたりメンバーの写真を見ることで救われた部分は多々あると断言できます。
自分についてのことしか言えませんが、きっと他にもたくさんの人の心の救いになっていたのではないでしょうか。
もちろんハロプロだけではなく、世の中の色んな《想像力》の産物が。
そのときはそんな余裕がなくても、絶望的な状況を生き延びた人間は、「その後」を生きていかなくてはなりません。
その為に人間にとって最も重要な要素こそ、《想像力(イマジネーション)》である、と。
イマイチ抽象的な言い方になってしまいましたが、悲しむことができる心は、喜ぶこともできる。
というわけで、あれから2年が経った今日、生きている我々に必要なのは、犠牲者への追悼の意思と、「その後」を生きていくための《想像力》なのです。という話でした。
いやー、真面目に語っちゃったよ。
何様なんだろう自分は。
ただの独り言です。
テキトーに聞き流してやってくださいm(_ _ )m