フィリップ・K・ディック 『流れよわが涙、と警官は言った』



流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)/フィリップ・K・ディック
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SFファンなら知らぬ者はいないであろう作家、フィリップ・K・ディックの代表作の一つ。



著者は故人で、この作品は1974年に原書が刊行されたもの。




まず目を引くのが、印象的なこのタイトル。



本編の主人公はTVスターのジェイスン・タヴァナーであるが、影の主役とも言える警察本部長フェリックス・バックマンこそが「流れよ、わが涙」という「警官」なのである。




《ジョン・W・キャンベル記念賞》を受賞したSF作品でありながら、この物語の本質はSF的要素以外のところにあると思う。



それはつまり、「愛」についてと、「失うこと」について、そして解説にもあるように「涙を流すこと」についての物語だ。



話の肝となる、「三千万の視聴者を抱える大スターだったジェイスンが、一夜にしてその存在を誰も知らない”存在しない者”となってしまった」部分についてのSF的説明は、正直とってつけたような感が否めない。

「よくわからない」という読者もいるだろう。



でも本質はそこではなくて、「何かを失う」というところにある。



解説を読むと、著者のディック自身がそういった状況にあったときに書かれた小説であるらしい。(具体的に言うと、妻と娘が家から出て行ってしまった)



そのせいか、本編を読んだあとに、ディック本人について書かれた解説文を読むとさらに面白い。



著者によれば、この作品は「自伝的にしようと思ったのではなく、自伝的に”なって”しまった」ものらしい。



だから他の作品に比べて、SF的なエンタメ性が少ないのかもしれない。

ディックは「書く」ことでしか、自分を保っていられなかったのだ。





解説で引用されている著者の言葉を引用してみる↓(引用の引用になるけどw)



ディックの知り合いの女の子がガンで死にそうだという話で、



《そこでわたしは書く。わたしの愛する人たちのことを書き、彼らを現実の世界ではなく、わたしの頭から紡ぎだされた架空の世界の中に住まわせようとする。現実の世界はわたしの基準に合わないからだ。わかってる。自分の基準を修正すべきなんだろうさ。わたしは足並みを乱している。わたしは現実と折れあうべきだ。だが、一度も折れあったことはない。SFとはそういうものなんだ》




本当にディックが言うようなことが「SFなんだとすれば、自分がSFを好む理由が少しわかるような気がする。



「現実の世界はわたしの基準に合わないからだ」などと言ってのけるディックは、現代日本なら「中二病」と揶揄されてしまうかもしれない。



だけど、優れた物語を紡ぐのも、「失うこと」について小説を一冊書いて表現しようとするのも、その中二病的気質があるからできることだ。



どこかの雑誌で、「神経がくたびれているときには、ディックの小説を読むのがいい」と書いてあるのを見たことがあるが、この本こそまさにそういうときに読むのがいいだろう。




喪失の哀しみを、不条理な現実と虚構で包んでくれるから。