小野不由美 『屍鬼〈5〉』



屍鬼〈5〉 (新潮文庫)/小野 不由美
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終わった……。とうとう終わった……。



文庫にして全5巻、超大作ホラーを読了いたしました。




いやこれはなんと言ったらいいやら。



傑作だ。大傑作だ。

恐らく、こういう小説は10年に一回くらいしか出てこない。

これからもずっと残り続ける名作だと思う。




とは言っても、内容は決して楽しいものではない。



最終巻である5巻では、とうとう屍鬼の存在に気付いた(というか認めた)村人たちによる、残虐な「屍鬼狩り」が始まった。



その光景は、善も悪もない。

ただただ敵を屠ることだけを目的とした獣と化す。



狩る側だった屍鬼が狩られる側になり、殺されるだけだった人間はその本性を曝け出した。



醜い人間。

己のためならどんな残虐な行為でも辞さない。「屍鬼狩り」はいつしか、狂気を孕んだ暴徒に変貌した。



でもそれが人間。

生きるたまに命を奪い、搾取する。

狙われれば反撃する。

あまりにも当然の摂理。



そして哀れな屍鬼。

人間と同じように、「生きるために命を奪う」行為が、そのまま悪になってしまう存在。



人間を狩るしかない。生きるために。

人が牛や豚や魚を殺して食べるのと同じように、屍鬼は人間を殺して血を吸わなければならないのだ。



両者に違いはさほどない。けれども世界の秩序は屍鬼を赦さなかった。




そうやって生きてきたのが屍鬼であり、沙子だ。

どうしようもないほど屍鬼でありながら、人間の秩序から離れられなかった少女。



沙子の、言ってしまえば「稚気」にも等しい、だけど切実で本能的な「人間社会」への繋がりが、すべての元凶ではあった。



だけどそれを責めることができる存在なんているだろうか?



沙子は生きたかった。それはつまり、他者を殺すことだった。



存在そのものが、秩序からはみ出した存在。




この作品はホラーだけども、その本質は、最後のほうで語られる辰巳の「哲学」や、静信の悟り(みたいなもの)、そして沙子の存在そのものだったんじゃないかと思う。




だからこそ、あまりにも哀しい。



人も屍鬼も、ただ生きていただけなのに。



両者は決して交わることがない。



人は屍鬼を求めない。必要としない。



でも屍鬼である沙子は、人を求めた。求めてしまった。



双方、相容れない存在である未来に、幸せなんてどんな形にしてもあるはずがなかったのだ。






……こんな風に漠然としたことしか言えないような、なんともやるせない気持ちが残る。



これが単純な勧善懲悪だったなら、例えば「人間が屍鬼と戦って勝ってめでたしめでたし」という話ならどれだけ良いだろう。

感想を書くのも簡単というものだよw



でもこれはそうじゃなくて、屍鬼も人間も、生きるためにお互いを殺戮した。



「自分は人間だから、人間側を応援する」と言えるほど屍鬼は単純な生き物ではないし、そこまで人間が尊いとも思えない。



主人公の一人である静信は、屍鬼にシンパシーを抱いた。



一方の敏夫は、最後まで村の人間でいた。(でもそれもまた単純なものではく、個人的な問題でもある)




どちらが正しいとも間違ってるとも言えない。



でも個人的には、静信と屍鬼の側に感情移入してしまったかもしれないのはたぶん、屍鬼が(というか沙子が)とにかく哀れだったから。



まぁその辺の想いは、人それぞれでしょう。






とりあえず、こうまで長々と感想を書いてしまうほどに傑作だということがわかって頂ければ幸いですw




長いけど、読んでみる価値はありますよー。







※長すぎて無理だと思うけど、もし実写映像化するなら、沙子の役はモーニング娘。の鞘師里保ちゃんにやってほしいと思いました。(←私情)



いやホント、イメージぴったりすぎて。