近年のアイドルブームによって、そこここでアイドルが取り上げられるようになりましたね。
例えば「アイドル○○学」みたいな論考も増えてきて、AKBや地方の「地元アイドル」などは、経済的な面でも注目を浴びています。
新聞なんかでもそういう記事を目にすることが多くなりましたが、そういう場合の「アイドル」って、なんというか「マスコット的」なアイドル像でもって語られてるんですよねぇ。
別に悪意あって言うわけではありませんが、それこそ動物園のパンダに似た存在として。
十代二十代の可愛らしい女の子が一生懸命頑張ってる姿。
それに伴う変化や、経済効果、熱狂する人々など。
どれをとってみても、やはり「アイドル」と言う名のマスコット(パンダ)でしかないんじゃないか、と思わされます。
もちろんそれが悪いことだとは思わないし、否定してるわけでもないんですが。
そこでハロプロの話になりますが、ハロプロだけを応援していると、そういった論考に違和感を感じるわけです。
ハロプロももちろんアイドルですが、巷のアイドル論を読むと「ん?」と首をかしげたくなる。
その時思うのは、「ああ、ハロプロはもしかしてアイドルではないのかもしれない」ということ。
少なくとも、「マスコット」としてのアイドルでは断じてない。
ハロプロは、まさしく「プロ」である。という認識。
誤解を恐れず例えると、「その部活があったら入部した人」と、「入学する前からその部活に入って全国大会で優勝することを目指していた人」の違い。
無論、ハロプロが後者。
決してハロプロ以外がお遊びのアイドルだと言ってるのではなく、昨今のアイドル界の中で、ハロプロは「異質」であるのかもしれないということ。
ハロプロ以外にもそういった「プロ志向」のアイドルはいるのかもしれませんが、ハロプロがその筆頭であるのは間違いないでしょう。
「アイドルブーム」が生み出した幾多のアイドルたちの副産物は、質の低下。
でも考えてみれば、元々アイドルなんてそのくらいのレベルだったのかもしれません。
それを変えたのがハロプロ……。
なんとなく、世の「アイドル論」というのは、かにょんの言うところの「ニコニコ笑ってそこそこ歌って踊れればいいアイドルたち」を指しての論であるような印象しか受けないのです。
深く知っているアイドルがハロプロしかいない自分にとっては、世のアイドル論に違和感しか感じない、という話。
願わくば、ハロプロのような「プロ志向」のアイドルこそ「アイドルである」という世論になってほしいものです。
アイドルが、ただ「可愛らしいだけの存在」だった時代なんて、もう古い。
この世にハロプロが存在する以上、アイドルの基準はそれ(ハロプロ)であるべきなのだ。
っていう、ただの強気なハロー自慢←