舞城王太郎 『九十九十九』
- 九十九十九 (講談社文庫)/舞城 王太郎
- ¥880
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またしても舞城でごめんw
読み方は、「ツクモジュウク」。
まず説明しておくと、この本は《JDCトリビュート作品》である。
《JDC》とは《日本探偵倶楽部》のことで、それは作家《清涼院流水》が作り出した探偵組織の名称だ。
清涼院流水という冗談みたいな名前(もちろんペンネーム)の作家はホントにいて、『コズミック』とか『ジョーカー』とか『カーニバルシリーズ』とか色々書いている。
その筋ではめちゃくちゃ有名な人。
自分は、『コズミック』と『ジョーカー』と、あと微妙な小品しか読んだことはない。
その作家のトリビュート作品であるけど、じゃあ清涼院流水の小説を読んでないとよくわからないかと聞かれるとそうでもない。
実際のところ、読んでてもよくわからない。
「九十九十九」というのは、《JDC》に所属している探偵の名前で、他には鴉城蒼司とか犬神夜叉とか霧華舞衣とか色々いる。
そういった前提があって書かれたミステリーなんだけど、あまりにも意味がわからなすぎる。
《第一話》から《第七話》で成り立っている物語そのものは、いつもの舞城節が炸裂してブッ飛んでいる。
冒頭の一文だけ引用↓
『産道を通って子宮から外に出てきた僕が感動のあまり「ほうな~♪」と唄うと僕を抱えていた看護婦と医者が失神して、僕はへその緒一本でベッドの端から宙吊りになった。それからしばらく母親も皆も失神したままで、僕は三十分ほどそこでそうしてブラブラと揺れていたので、僕にとって最初の世界は上も下も右も左も何もなかった。そこにあったのは僕の歌声だけだった』
こんな具合にイカれた話が続き、続くにつれてもっとイカれてくる。
人はとんでもない方法でバンバン死ぬし、名探偵である九十九十九は呼吸をするようにさっさとそれを解決してしまう。
しかし、《第一話》の最後で、死んだ女のお腹から老人になった自分(九十九)が出てきたあたりで話はおかしくなりまくる。
《第二話》になるとそれはメタ構造になっていることがわかる。
以降もそんな感じで、メタにメタを重ねて、あまりにもメタ過ぎてそれは『物語』として破綻してしまっている。
究極のメタ構造。
清涼院流水自体も重要なモチーフとして登場するし、全編に渡って《聖書》が絡んでくる。というかこれは、舞城流の《聖書》なのかもしれない。「見立て」というミステリのお約束を使った《聖書》。
……何を言ってるのかわからないと思うけど、読んでるほうもこんな気分なのだw
ただでさえブッ飛んでる物語が、超絶メタ構造になっていて、何がどれでどれが何なのか意味がわからない。
一体この作者の頭の中はどうなってるのだろうか。
とてもまともな精神で書けるものではないと思うんだけどw
ミステリ界には『四大奇書』と呼ばれる小説があって、それは『黒死館殺人事件』と『ドグラ・マグラ』と『虚無への供物』と『匣の中の失楽』なんだけど、難解さで言えば『九十九十九』もここに名を連ねてもいいんじゃないかと思えるほどの奇書だ。
舞城好きにも、ミステリ好きにもススメづらい……というか誰にもおススメできない怪作。
でも決して駄作ではなくて、もしかしたら物凄い傑作なのかもしれない。
正直これが駄作なのか傑作なのか怪作なのか、それすらわからない。
特異な作家の、その中でも更に特異な作品。
物語の最初で、九十九十九はそのあまりにも美しすぎる美貌によって、見る者を失神させてしまう。
彼を愛するのは、とても苦しい。
そして言った言葉が、
『苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ』だった。
でも物語の最後、己を知った九十九が言う言葉は、
『顔が○○○○○醜い僕なんて、誰も愛してくれないよ!』と叫ぶ。(○はネタバレ防止。あんま意味ないけど)
九十九十九は探偵神で、美しすぎて、醜すぎて、神である。
とにかくまぁ、そういうことです。
興味がある方は、ぜひこの名作(迷作?)にチャレンジしてみてください。