誰かがブログにアップするファーストフードの写真って、なんであんなに美味しそうに見えるんでしょう。(さゆれなブログ参照)



絶対食べたくなるね。



ところでグラコロって美味しいの!?そんなに美味しいの!?食べといたほうがいいの!?(落ち着けw





それはそうと、『EXILE魂』にドリームモーニング娘。が出てましたね。



ドリ娘。よりも、EXILEのほうが人数が多いことにビックリw

いつのまにあんなに……。



初めて見た番組でしたが、半分は歌ですね。そのうちのさらに半分はEXILEの歌ですw



トークは安定しておもしろかったんですが、ドリ娘。としての難点が幾つか浮彫になりました。



まず一つは、とにかく「過去」の話ばかりさせられるということ。



娘。の歴史から入って、数々の名曲やら当時の噂やら裏話やら。



話すことのほとんどが、「昔の話」になってしまうのです。

聞かれることもほぼそれ。



要するに、悪い言い方をするならば、「いつもと同じ話」なんですよね。



ファンならば特に。

もう何回も聞いた話や、お約束の話ばかりで、「またそれか……」というのが正直なところ。



話が上手いからおもしろいんですが、内容がねぇ……。



もうそろそろ、「あの頃実は○○で」という話はええじゃないか。今の話をしようよ。



「モーニング娘。の全盛期がどれほど凄かったか」ってのも、もうわかったって。

そういう話をしてくれるのはありがたいけど、そうなるとなんか、今は凄くないって言われてるみたいでちょっと嫌なんだよ。



ドリ娘。にしろ現役娘。にしろ、本人たちは《今この時》を駆け抜けているのに、周りのメディアが「過去の栄光」ばかりを扱いたがるのが実に困る。

常に走り続けている人間にとっては、過去にどれだけ凄いことをしていようが、過去は過去だ。

周りに群がる凡人だけが「あの頃」の話を繰り返して、「それはもう昔のことだから」という天才(賢人)の言葉の意味に気付けないでいる。



そもそも大抵の人間は「受け取る側」だ。「与える側」ではなく。



「受け取る側」の人間は保守的なもので、「前みたいなものをまた作ってくれ」と望んでいる。

対して「与える側」の人間は、「前よりも良いものを作ろう」と考えている。



そして「与える側」が作り出した新しいものは、たとえそれがどんなに優れていようとも「受け取る側」に拒否される場合が多い。

「デビュー当時は批判の嵐だったけど、今じゃあ大人気になった」という例は多い。音楽に限らず。



現役のモーニング娘。がまさにこの状況なのではないかと思える。



人々の意識は、「全盛期のモー娘。」で止まっているのだ。それ以上を求めていないし、それ以降も求めていない。意図的に排除していると言っても過言ではない。

要するに、「モー娘。は昔凄かった」と思いたいのだ。「今は違う」と思いたがる。



この心理は理解できなくもない。

時の洗礼を受けた栄光は、そのままの形でとっておきたいと思うのだろう。

それがまだ現役バリバリに動いていて、尚且つ「あの頃」より凄いなどとは思いたくないのだ。

それは極端に言えば、「思い出に傷をつける」ことに近いから。



ただでさえ大衆は、成功者に厳しい。

流行に乗って「知っている、あるいは好きでいる」ことにステータスを感じる時期は良い。だがそれを過ぎると途端に厳しい目を向けるようになる。

自分のことを棚に上げて「○○ってもう終わってるよねぇ」と言いたがるのはこのためだ。

「昔は凄かったのは認めるけど、今は落ちぶれたよね」という、歪んだ優越感に安心するのが大衆なのだ。

今もまだ成功者であることを、決して認めようとはしない。



だからいつまで経っても「あの頃」を求められる。往年の名曲を求められる。当時の裏話を求められる。



それを図らずも体現しているのがドリ娘。だ。



ドリ娘。が現役娘。に対しての障壁となる要素は、まさにここにある。



ドリ娘。がテレビで昔の話をして昔の曲を歌う限り、「やっぱりモー娘。はあの頃が一番」という大衆の《思いたがり》は消えないだろう。



でもそれはドリ娘。が悪いわけではないし、もちろん現役娘。が悪いわけでもない。



それを求める人々が愚かなだけだ。「受け取る側」が。



『ラブマ』や『恋レボ』を聴きながら「あの頃が一番」と言うけども、そういう人間のほとんどは「今の娘。」を知らないだろう。十中八九。



ちゃんと比べた上で「昔のほうが良かった」と言っているわけではないのだ。自分が「そうであってほしい」と思ってることだけを見て言っているに過ぎない。



だから何が言いたいかというと、現役のモーニング娘。メンバーがどれだけ努力して、どれだけ凄いパフォーマンスを見せようとも、「受け取る側」の基盤がそもそも成り立っていないのだ。

世界一の天才であっても、三才の子供に『フェルマーの最終定理』を教えるのが困難なように。



大衆は「三才の子供」だ。

日々生まれては消えていく情報に右往左往させられてフラフラするだけの存在だ。



ときたまその氾濫する情報の中から、自分にとっての価値あるものを見つけ出せる人間がいる。



この話でいうところの、モーニング娘。ファンがそれだ。



我々は勝ち組ですよみなさん。これだけでも「流行に流されるだけのつまらない人間」から脱却できたと言っていいでしょう。





……おや、話が教頭先生のカツラ並みにズレてしまいましたね。失敬。




えーっと、なんの話だったかなw



そうそう『EXILE魂』の話だった。



もう一つの難点は、まこっちゃんとか小春ちゃんなどの若いメンバーが全然喋れないことですね。



これはまさにさっき長々と書いたことの結果ですよね。

番組側が昔の話ばかり聞きたがるから、比較的新しいメンバーには話せることがないのです。

ただでさえ中澤姉さんや安倍さんや矢口さんなどの合間を縫って喋るのは困難なのにw




とここで突然ですが、なぜ自分はこれほどまでに『神推しであるなっちがいるドリ娘。』ではなく、現役のモーニング娘。のほうを応援してしまうのだろうと考えてみました。



するとわかりました。

ドリ娘。のほうは、ほとんどのメンバーが「自分がファンになる前から在籍していたメンバー」なのです。



自分がファンになったとき、四期メンバーまでがいました。

つまり五期メンバー以降は、みんなオーディションの頃から見ているということです。



だからなんとなく、四期までのメンバーは「凄い人気だったお姉さんたち」という、どこか遠くから眺める視線を持ってしまうんですよ。



でも五期以降は最初からずっと成長を見てきたのもあって、特別な思い入れというか、どこか「親が子を見る視線」になってしまうのかもしれません。

もちろん「親目線」なんて、そんなおこがましいことを本気で思っているわけではないですけど、言うならばそれが一番近い感情かなという意味です。



一言でいえば、『愛着』。



五期以降のメンバーへのほうが、愛着があるということです。




だからなんだという声も聞こえてきました。ちょっと長く書き過ぎましたねw



長々とすみませんm(_ _ )m



ごっちんのラストライヴのことは明日書こうと思います。




まだ体調が優れないのでもう寝るー。