今日は快晴。青い空と白い雲。風も涼しげで爽やか。
そういえばもう九月だった。秋の気配が漂いつつあるのだろうか。
九月といえば、運動会を思い出す。
まだ暑さも残るというのに、毎日のように練習していたものである。
運動会の練習ってなんだよ、と思っていた小学生だったw
練習なんてしないで、ぶっつけ本番でやればいいじゃないか。練習したいのなら各自が好き勝手にやればいい。テストだって、勉強する人間としない人間がいるのだから、運動会も個々の『実力』と『努力』を評価すべきではないのか。
なぜ運動会だけみんなで練習なんてするのだ、と当時の自分は密かに憤慨していた。(ような気がする)
しかし運動会の練習で一番思い出深いのは、競技の練習ではなく、その他の儀式の練習だ。
例えば、校長先生のお話。
クソ暑い中校庭で、校長の、毒にも薬にもならないお話を頂戴する練習なんてするのだ。狂気の沙汰である。
校長なんて、「みんな頑張ってねー」とでも言っていればいいのだ。運動会について、なにを長々と話すことがあるというのか。いや、何も話すことなんてないからこそ、つまらない長話になってしまうのかもしれない。
そして恒例行事のように、倒れる生徒が出てくる。
そんな危険で馬鹿げた練習を学校は押し付けてくる。生徒が何人倒れようとも、それは終わらない。『学校』が存在する限り、これから先もずっと続くのだろう。まるで生き残りサバイバルゲーム状態だ。
しかし嫌な思い出しかないのかと言われると、そういうわけでもない。
運動会当日のグラウンドは、なぜかいつもより広く感じられた。
学校に家族が来ているのも、不思議な感覚だった。
そこで食べるお弁当もまた、いつもよりおいしく感じられたものだった。
子どもにとっては結局、どんなことでも思い出になっているのかもしれない。
良いことも悪いことも、すべては美化され、『懐かしい思い出』となって眠っているのだ。
と、運動会の思い出をエッセイ風に書いてみましたw
そういえばさゆは(ここでようやくハローの話題になる)運動会が大嫌いだと言ってましたね。
夏休み後半頃からもう憂鬱になるんだとか。
まぁ、さゆの運動神経を知っているのなら、それも頷ける話ですねw
いやホント、テストをやらせても運動をやらせても、バラエティ的に素晴らしい成果を出してくれる人ですよ道重さんは。
ナルシストキャラとか毒舌キャラとかなくたって、充分バラエティでやっていけると思うんですけどねぇ。
やはり、岡女復活を望みたいところです……。