一応、本の話題だから書いてみよう。
元?俳優の水嶋ヒロさんが、ポプラ社小説大賞の大賞を受賞した模様。
ポプラ社小説大賞は、2006年に第1回大賞受賞作である、『削除ボーイズ0326』という作品が出版されて以来、第5回の今回まで《大賞なし》の状態が続いていた、大賞賞金2000万の新人賞。(文学賞では最高額の賞金)
4年ぶりとなる大賞にして、最後の受賞者となったのが水嶋ヒロさん。
(ポプラ社小説大賞は、今回で終了。変わりに賞金が10分の1になって《ポプラ社小説賞》が始まるという噂)
しかし、というか案の定、ネットでは批判的な意見が多い。
というかもはや中傷。
一番多いのが、『出来レースだ』というもの。
読んでもいない作品をけなすコメントまである。
単に水嶋さんへの罵詈雑言もあるあるある。
さすがは、《嫉妬大国ニッポン》w
出る杭は、打って打って打ちまくる。
社会的成功者へは、ブームのように褒め称えられるか、まるで犯罪者であるかのように中傷されるかのどちらかが待っているようだ。
今回は後者。
元々成功していた人だから、『調子に乗るな』というような意味で叩かれているのだろう。あるいは才能に対する嫉妬か。
確かに『出来レース』感は否めない。
芸能人だし、イマイチ盛り上がらなかった文学賞だから、そういう印象を持たれてしまうのは、もうしょうがない。
しかしそれはあくまで『印象』でしかない。
『印象』や『イメージ』や『想像』だけで他人を批判する行為は、単なる《負け犬の願望的妄想》に過ぎないような気がするがどうだろう。
要するにみっともない。
ネットに批判や中傷を書き込んでいる人間は、一体どんな顔をして書き込んでいるのだろう。
見るに耐えない醜い顔をしているに違いない。
他人を貶めることが嬉しくてしょうがない、というような。
しかしこういうことになるのは目に見えてるんだから、本人も顔を出さないほうがよかったのでは?とも思う。
せっかく本名(とされるもの)の、『斉藤智裕』名義で書いて応募したのに、『水嶋ヒロ』として受賞会見に出てきてしまっては意味がない。
『水嶋ヒロ』であることを一切公言しないか、本が売れて話題になってから「実は水嶋ヒロでした」というべきだったのではないか。
じゃないと、いくら作品の出来が良くても、『芸能人の名を使った売名行為だ』と思われてしまう。
僕は常々、『小説家は顔を出すべきじゃない』と思っているので、本名でもないペンネームで、覆面作家として活躍してほしかった。
そのほうが本人と作品のためにもなると思う。
作品に自信があるのなら、それでもいけるはずだ。
と、水嶋さんを概ね擁護してみたけども、僕は水嶋さんには一切興味がありませんw
出演されたドラマや映画なども、一つも見たことないです。
存在は知ってましたけどね。
肝心の小説の内容は、受賞会見ではまったく触れてくれませんでしたw
なんか受賞会見というより、謝罪会見のような物々しい雰囲気で、固い挨拶のみの会見でしたね。
内容次第では買って読むかもしれないけど、はたしてマニアックな読書家の心をくすぐってくれるでしょうか……。
とにかく話題性は充分ですねw
ちなみに、受賞賞金の2000万は受け取らなかったそうです。
出版社で使ってください、と。
マジかよw
それがまた新たな嫉妬の種にならなければいいですけどねw
『偽善者だ』とか言われそう。あ~言われそうw
そういうつまんない批判ばっかりですからね~。
……2000万ほしいw