そういう時期なのか、近所を選挙カーが走っております。



候補のみなさんが一生懸命がんばってらっしゃるのはわかるんですが、どうにもうるさくてしょうがないのです。



いまだにあんな方法をとらなければならないんでしょうか。



一つの場所に留まって演説をする、というのなら良いのですが、車で走りまわって否応なしに演説、というか主張を聞かせる、というシステムは、やや下品ではないか、と思うのです。



「私は選挙カーを致しません」、という方がいたら、ぜひ投票したいと思うのですが、どうやらそういった殊勝な方は、まだいらっしゃらないようですね。



今の時代、テレビ以外で一番有効活用できるのはネットだと思うのですが、それは駄目なんですかね?



全然詳しくないのでわかりませんが、もし駄目なのだとしたら、それはちょっとどうなのよ、と思ってしまいます。



そういったシステムの取り決めをしている人間が年寄りばかりの場合、現状はいつまでたっても良くならないのではないでしょうか。



『これからの未来をつくるのは若者だ』、という言葉をよく耳にしますが、実情は、《年寄りが用意した舞台に若者を乗せて、いいように動かしているだけ》といったもののように感じられます。

若者は利用されているに過ぎず、年寄りはいつまでも舞台に居座っている、といった印象です。



政治に限らず、会社などでも同じかも知れませんが、若い発想、柔軟な発想、これまでの枠組みに囚われない発想といったものを持っている人間が必要なはずなのに、『すでにある社会』というものは、それらを排除、あるいは拒否してしまう傾向にあります。

そして才能ある若者は、呆れて去って行ってしまうか、あるいは、その既成社会の枠組みに囚われてしまい、一つも前進していない現状が残るのみ、になってしまうのです。



選挙カーから話がそれてしまいました。



果たして、選挙カーが廃止になる日は来るのでしょうか。



そういった柔軟な発想と、それを許容する柔軟なシステムが出来上がることを祈っています。