10代の少年が知的障害者に暴行、恐喝だってさ。
自分より弱そうな人を狙った、いじめて何が悪い。とのたまわったそうだ。
障害者と健常者平等であるかどうかはまた別の議論であるし、障害者のアイデンティティの問題であるから何とも言えないんだが。
基本的に男性と女性が平等でないのと同様に障害者と健常者も平等ではない。
人は人としては平等ではあるが、性別や体や心は平等ではないのだ。
だからといってどちらが劣っているとか弱いだとかは決められない。
人より優れている部分と劣っている部分の両方を持ち合せているのが人間で、一見不合理だがこれで世の中うまいこといっている。
うまいこといっているのはおそらく人間が少なからず個々を個々として認めているからだ。-認めているというのは、長所と短所を理解し、補い合っていこうとする精神を持っているということ。
しかし、今回のように個々を個々として認めず、私利私欲に走った結果、他人を傷つけ刑事事件となった。
最近よくある「悲惨な」「理解しがたい」このような事件をなくすためには、「常識人」である誰かの基準に基づき、基準からはずれる者を抹殺するのが手っ取り早い。
しかしそれではまずいのだ。倫理的にも。まずいというか実現不可能。
そこで何をしなくちゃいけないかってことは、人間を理解すること。
攻撃性は人間だれにでもある。その攻撃性が人より強いか弱いか。
攻撃的に見える人を理解しようとせずおそれて近寄らないのは悪循環だ。
その心からわき上がってくる攻撃性もすべてあなたなんだよと認めて接することが大事だと思う。
もしかしたら暴力でしか発散する方法を知らないのかも知れない。
できれば個々を認めてほしい。それをできるのは家族や友人とか周りにいる人だけ。それぞれがそれぞれの場所で行うこと。
もう手遅れに見える子供達がたくさん出てきた。