(最終更新日:2024年2月22日)

 

大学3年生の終わりころから就職活動を始め、旅行好きなこともあって海外に行く機会が多い業界・職種を志望していましたが、当時は中南米に拘ってはおらず漠然と海外営業のような職種に就ければいいなと考えており、海外駐在の機会が多そうなメーカーや商社を受けました。

 

就活中に撮った神田駅近くの写真。東京三菱銀行やampm(コンビニ)が時代を感じさせる(2004/4/5)。

 

就職活動では数社から内定を頂けましたが、その中に2社ブラジルに現地法人がある会社があり、ここで初めてもしかしたら将来ブラジルで働けるかもという淡い期待を抱きました。2社のうち1社はメーカー系の商社でもう1社はメーカーでしたが、色々考えてメーカー系商社にお世話になることにしました。

 

さて内定はもらえたものの、その会社は当然国内事業も行っており、海外部署に配属される保証は全くありませんでした。当時の私は海外旅行が好きなだけで留学経験はなくTOEICも700点程度、あとは趣味的に履修していたポルトガル語が少々という感じで、面接では海外営業志望である旨伝えていましたが、同じように海外志望で留学経験者や帰国子女、外国人の内定者がいる中で希望が叶うかは微妙でした。

 

その会社は入社前に内定者向けに部門紹介を行い、3つまで希望部門を書かせて入社日当日に配属先を発表するということをやっていたのですが、営業部門の中に海外取引しかしていないという部門があり、配属されれば100%海外営業を担当できるということで、そこを第一希望にしました。ただ上記の通り学生時代の私は海外経験が豊富というわけでも語学が堪能というわけでもなかったので、海外で働きたいという方向性で志望理由を書くと他の同期に負ける可能性が高いと考え、製品面にフォーカスした志望動機にしました。

 

私が希望していた部署は半導体や液晶ディスプレイ等の電子デバイスの営業部門だったのですが、当時私は趣味で携帯電話を集めているようなガジェットオタクだったので、そのことに触れて製品に対する興味・関心は誰にも負けない的なことを書いたところ、それが奏功してかその部門に配属してもらえました。その後のキャリアを踏まえて振り返ってみると、大したスキル・経験もないのに海外部署に配属されたことは非常に幸運でした。

 

東京駅の中央線ホーム。全体がオレンジ色の車両が懐かしい(2004/3月頃)。

 

面接や筆記試験の場所は東京都内がほとんどでした。私は千葉の実家から都内の大学に通っていましたが、それまでは大学がある駅の周辺と主要な観光地以外はあまり行ったことがなかったので、就職活動で東京の色々な場所に行くのが楽しく、いつもデジカメを持って行って写真を撮っていました。

 

就職活動はゴールデンウィーク後くらいに終わり、その後は大学の夏休み・春休みの旅行の資金を稼ぐべくバイトに明け暮れました。大学にはあまり行きませんでしたが、なぜか中国語(第二外国語)の1年生の授業を4年生になるまで落とし続けており、毎週1・2年生のキャンパスに行って授業後に最寄り駅で好きなラーメンを食べるのがルーチンでした。その年は留年せず無事卒業・就職できましたが、1年生時に留年したのがトラウマになっているのか、今でも留年する夢をたまに見ます。

 

同じく就活中に撮影した有楽町線のどこかの駅。右のスーツの男性も就活生だろうか(2004/3/13)。