以前、田老町という町で、東日本大震災の津波の被害に遭われた、
医師の講演を聴く機会がありました。
そのときに、おっしゃった印象的なことが、
「『ふるさと』という唄を唄いに来てくれる人たちがいます。
でも、僕たちは一番聴きたくない唄なんです。
なぜなら『ふるさと』はもう無いからです。」
新聞記者の方とも、
「良かれと思ってやっていることが、相手にとって辛いこともあるんだね。」
と話しました。
これは不登校やひきこもりについても同様です。
現状を知らない方ほど、
「良かれと思って」いろいろなことをしてしまいがちです。
大量のカウンセラーのちらしを持って行ったり、
パーティーに呼んだり、
学校でわざわざ問題として取り上げてしまったり。
やっているご本人に悪気はきっと無いでしょう。
むしろ、「なんとか力になりたい」という思いでされることだと思います。
ただ、そんなときに気づいて頂きたいのは、
「自分がされたらどうだろうか。」という自問です。
された方も、好意でされているのを分かっているので、
むげに断ることができません。
だからこそなかなか気づかないのです。
「自分だったら、こんな風にされて、しんどくならないかな。」
と思うこと。
こう思うだけでも、「余計なおせっかい」は減少します。
良かれと思っていることは、
実は自分だけだということもあります。
人に何かをするときは、
このことを忘れてはならないと言えます。
医師の講演を聴く機会がありました。
そのときに、おっしゃった印象的なことが、
「『ふるさと』という唄を唄いに来てくれる人たちがいます。
でも、僕たちは一番聴きたくない唄なんです。
なぜなら『ふるさと』はもう無いからです。」
新聞記者の方とも、
「良かれと思ってやっていることが、相手にとって辛いこともあるんだね。」
と話しました。
これは不登校やひきこもりについても同様です。
現状を知らない方ほど、
「良かれと思って」いろいろなことをしてしまいがちです。
大量のカウンセラーのちらしを持って行ったり、
パーティーに呼んだり、
学校でわざわざ問題として取り上げてしまったり。
やっているご本人に悪気はきっと無いでしょう。
むしろ、「なんとか力になりたい」という思いでされることだと思います。
ただ、そんなときに気づいて頂きたいのは、
「自分がされたらどうだろうか。」という自問です。
された方も、好意でされているのを分かっているので、
むげに断ることができません。
だからこそなかなか気づかないのです。
「自分だったら、こんな風にされて、しんどくならないかな。」
と思うこと。
こう思うだけでも、「余計なおせっかい」は減少します。
良かれと思っていることは、
実は自分だけだということもあります。
人に何かをするときは、
このことを忘れてはならないと言えます。