あつい。なんかもうあれよね、
きょうはこんな気候です、はいわかりましたくらいの適応能力がそろそろつくよね笑
久しぶりに夏でいいわ、風あるし洗濯たくさんしよう
こどもの頃のように、あの頃のように。
生きたっていいじゃない
私はそうですなあ…寝起きのまま生きたい(笑)。
寝起きってたまらなく気持ちよくて穏やかで、ぜんぶが美しく見える。
そこに、色んなもん、いれちゃう。
所謂マインド的なやつを。
あの頃のように生きて振る舞ったって、
あなたはもう充分すぎるほどに努力して大人になった
あの頃の自分は、いつだって呼び出せる。
かがやきは、何倍にもなっている
スピリチュアル=現実。
卒業、って私は前に何度も書いたけれど、それは便宜的なもの。
あらたに学ぶとか、誰かに師事するとか。そういうことをしずとも、って話。
むしろいまの私は、今まででは考えられなかったような試みをしてるよ
宗教を批判するわけでもなく、宗教に飲み込まれるでもなく。神を呪うわけでも、崇めるわけでもなく。
特に日本の宗教界はこの10年のうちに凄まじい変貌を遂げる予感がしているけどね。
みんな仲良くすればいいじゃん?
なんで宗派・宗門どうしが、あるいは宗教間で対立する必要がある?
わからんしわかりたくもない
どの神も仏も好きなんだけどなー。
お経・マントラも祝詞も賛美歌もたまらない
聖職者への憧れも昔からずっとあった
なんでかわからないけどそうなの。
誰かに教えを説くとかお説教をするそういうお役目でなく…
心情としては『たのむから神と皆のために仕えさせてください!』…(泣)。
今現在のわたしなら…そうだな
創造主って言うのかい?
わたしとすべての『わたし』をつくった神を想うとき、ことばなんて何の役にも立たなくなる。
愛しかない。
その愛が、すべての物・ひとにあることを、
わたしの身をつかって『反射』されたらいいなと強く思う。
ホログラムのように。
……だから日本独特のスピリチュアルというものに強烈に反発したのかも。
スピリチュアルリーダーとか、スピリチュアルティーチャーとかそういうの、ほんまわからん
目印、ぐらいなもんだと思うんだけどなー。
もちろんそういう『先生』が今日そこに至るまでどれほどに学ばれたのか、苦労をなさったのか…それはその方から自然に伝わるものだ。
そうではなくて
この先生だからこんなことができる、私にはどうせ出来ない、『先生』はすごくて『教わる私』はすごくない
そういうの見てられなかった
怒りさえこみあげた。
宗教においてもそう。
ひとは本来、誰にも依存できず、また、すがることもできない。
誰かについてゆくということもできない。
従えることも、隷属させることも…できない。
強風に抗って進むようなもの。
昔は土地と寺院、国と民が切ってもきれなかったから致し方なかったけれどいまはそうじゃないし。その影で、聖職者たちが我欲におぼれてしまって歪みも生まれたし。
宗教批判とかアレルギー出る人ってソコになんかあるんじゃないかしら。
本来はちがうってわかってるとか、なんかあるはずなの。
宗教に依存するひとも何も知らずして批判しかしないひとも似たようなもんだと思う…
…テレビでとある有名な神社が写っていて、そこのご神木に次から次へとひっきりなしに人が触っていた。
すごく怖かった。
パワースポットはとてつもないボルテックスかもしれない
そういう場って、
おなじ志を持つひとたちが、愛を以って行動すればそれ相応のエネルギーを動かせることができるのよね。
だけど、是が非でも、無理に行かなくてもいいと思うの、私はね…
それに…究極は『私は救われなければいけない存在』だと思っていたとしても、何ら問題などなく
今世でのロールを楽しんでいるのがわかるし、
いいんだけどね
こういったことに拘る私だって客観的に自分を見つめて、
まだこういうとこあるなーとおもうけど、
かわいいじゃない
あー人間やってるわー、って。
貯金を切り崩してパワースポット巡りをしたってエネルギー循環も起こるだろうしすごいけど(笑)、
たったいま、この瞬間に、この手でこのからだに触れることができる。
私たちは地球の、太陽と月の子たち
動けるし話もできるパワースポットって相当ヤバいと思うの

