先日、叔父に当る方が亡くなったのですが(80代)

 

いろいろ思うと人間の死と言う物に対して悲しんだり恐れたりする事は、それこそ浅はかで傲慢な態度ではないかと思ったのです。


子供の頃から少し感じていましたが、事件事故で亡くなるのはまた別ですが、お葬式は何だかんだでお酒を飲んだり話したりだの、人が死んだとは思えない程、少し明るい感じだからです。

高齢の方が無くなると、今2021年に生きている自分は幸せだと良く言います。しかし本当にそうなのでしょうか。


私が生まれる前は、私は、この世のいなく、ずっと死んでいたのと一緒なのです。そう、私は生まれる前年まで死んでいた。しかも生まれても無かったので人間としての存在もなく全くの「意味なし・価値なし」だったのです。

まだ生きてから死んだ方が「人」としての価値が残せてる訳です。

しかし亡くなられた方は私が生きる前から立派に生きていて人生を歩んでいたし、それで今、亡くなったからと言って悲しむのは浅はかな態度だと思ったのです。人はだいたい現代では誰もが80年~100年くらい生きるだけなのだから、いつ死んだからとか、今生きているから、とかに思いを巡らすのではなく、生きているうちに生きたのかどうかが大切であり、その生きた方がいないからと言って悲しむとかの感情は、人間の尊厳を理解していないのではないかと思ったのです。

つまり誰もが人間寿命的に80年~100年は生きるのだから、それが江戸時代かもしれないし明治時代かもしれません。生きた時間の時間軸がそれぞれ異なるのみです。だから今2021年に居なくなったからと言って特別に不幸な出来事ではないと言う事なのです。ニコニコ

 

インターネットは無限とよく言われています。これに反対の声は無いでしょう。

では何故「無限」かと言うと、絶え間なく自分以外の他人

 

(その数は" 世界人口 - 自分一人")

 

がコンテンツを生み出しているからです。そのコンテンツと言うのは人間が作り出すあらゆる思いが原因になっているので、そこに課題が生じている場合、それは「他人が解決すべき課題」です。

他人が作り出す課題と言うのは無限なので、それを見ているあなたは決してその全てを処理する事はできないのである。

例えば、砂場にある砂一つ一つの形が気に食わないからと言って、全ての砂の形を顕微鏡で観察しながら整えようとする事ができるであろうか?

これらを考えると「他人が解決すべき課題」の数に比べると「自分が解決すべき課題」の数は、とても少ない事が分かります。

それなのに多くの人々は、自分の解決すべき課題の処理に着手せずに他人が解決すべき課題を観察しているのみなのであります。世の中を良くするには各々が自分の課題に実際に着手する事が必要なのです。ニコニコ

 

形に見える「富」とは一体何かと言うと、当然の事ながら第一次産業で取れる様な岩石や植物や動物からできる材料を人間の能力で変化させた物です。どんな物でもそうです。

岩石が人間の能力でビルになったり、石油や植物が洋服になったりするのです。だから物を見る場合は、物自体を漠然と観察するのではなく、いかにして元の材料が変化させられたのか、その能力やプロセスの素晴らしさを想像するのです。

そして宇宙にある材料をこの様に人間社会的に生み出して形にする事が得意な人がお金持ちになるのです。どうでも良い様な方向性で毎日ワーっと、バラバラに動いて生きている人々を上手く集めて、その人々を同じ方向性で動かしたりできるとお金持ちになるのです。目 ニコニコ

 

「あなたには、そう言う能力や機能は備わっていないのです。」

著書「ニュースダイエット」を読むと、いわゆる「ネット民」と言う物があるとして、それらがいかに世界全体の時間を毎日毎日無駄にしているのかが理解できます。

本作では「能力の輪」と言う物について語られています。これは自分の分野とかスキルとか理解できる物だけに注視して、自分の分野では無い物は見ないと言う事です。これは世界的投資家のウォーレンバフェットが言った事で、彼さえも自分に出来る事と出来ない事があり、それを分けていると言います。

例えば本作では、世界で起きている惨事などは知らなくても何も影響は無いといいます。ネットで世界の惨事をネット民が知って、気持ちを高ぶらせた上でギャーギャー言っても、何も世界は変わらないと言う事です。

これは、今まで誰でも分かっていて、あえて口には出さなかった事ではありますが・・・。

その人の世界における立ち位置として、ギャーギャー言って、世界が変わる程の能力は無いと言う事なのです。つまり、その人に世界を変える「機能」は無い訳で、世界とその人がシステム的にも全く繋がってない訳です。

逆に、外交の仕事をされてる政治家がギャーギャー言えば変わる可能性はありますし、実際に実務の中で世界を良くする事に着手できます。政治家と世界は機能的にも繋がっています。

これは、それぞれ「能力の輪」の「内側」にある事と「外側」にある事が違うが為に起こる「差」です。

ではネットの人は、どうすれば良いのかと言うと、自分の能力で世界に影響を与える事が「能力の輪の内側」ですので、今の着かれている仕事に専念して、そしてお金を貯めて、その惨事が起こっている世界に寄付をするのが機能的にも一番世界を変えるのに繋がる行為だと本書では述べています。

私が思うに、いわゆるこれが軽視される「お金の役割」だなと思った訳です。間接的に自分が世界を変える事が可能なのがお金なのです。

逆にネットでギャーギャー言うと、ニュースを提供している企業に広告利益を増大させたりの協力をするだけですが、ニュースそれ自体は、毎日毎日ニュース企業が好き勝手に選別しているだけなので、それを見せられているだけなので、世界は変わらずにニュース企業の思う壺になってる訳です。

世界を変えるなら、あなたの能力の内側にある事に専念し、お金を寄付しよう。ニコニコ

 

20代の読書したての頃にウェイン・ダイアーやニール・ドナルド・ウォルシュを読み影響下にあったのですが、後にこれらが一般的にも軽視されやすいスピリチュアルに分類されているのが分かりました。

 

(スピリチュアルではないと思うのですが、出版業界が、より商業的にジャンル付けされる方向に進むと、一つ一つを見ると大変良質な物もあるのに、あれは○○系、これは○○系と言った感じで一括にされ看過される傾向にある。)

40代になり、より実務に繋がりやすい「思考は現実化する」を読み、なぜ読んでなかったのかとゾっとした経験があります。

 

これが私の人生の分岐点の一つだったかもしれません。しかし経営者としてリアルな財務を考えながら生きるライフスタイルは私にはできるのか?と思う訳で、私にお金を貸してくれる機関は消費者金融しかないのです。笑

私の質の基本になるであろうスピリチュアルと言われる物が、どこまで財務や数字のリアルな世界で通用するかどうかですね。

 

投資で負けている時に祈っても何もならない訳でして、そこの部分は上手く心と実技を使い分ける必要があります。

 

(ただしとても大きな意味では、スピリチュアルでも人生上の数字は動くと思うのです。)