キチっとした製品を作る事で他の事を奪われていないか?と思えるのです。
日本特有の技術力の高さは結構に日常的にも身にしみる物がございまして、本当に家内で使う形のある製品は故障しにくいです。
壊れると修理に出したり返品したりで、消費者の気質によってはかなり身体的・精神的にも手間がかかります。しかしこんな素晴らしい技術力を持ってしても日本の経済力は止まったままなのです。これは何処かに原因があります。もしかしたら製品と言う目に見えるミクロな物に集中しているだけで、物の良さに満足していて全体を見ていなのではないかと。
キチっとした物を作れば作るほどに気が病んで労働者にダメージを与えていて、その結果マクロとして国全体が衰退しているのではないかと?明らかにどこかの線が切れている状態なのです。
まるでお店の窓ガラス越しにトランペットを見ているだけの少年の様に、物を見ているだけで延々と「手に届かない物」があるのではいかと。
アメリカ人であれば、やがて夢見たトランペッターになる訳ですが、日本人の場合はマッカッサーに言われた様に「子供」のままであり(「日本人は12歳」)、ずっと目を輝かせているだけで、そのまま窓ガラス越しにトランペットを見ている老人になってしまい、単なるホームレスの様になってしまうのです。
日本人は精神的に規制されているので夢を発揮する能力が少ないのではないかと。思えばアメリカに貸している財が、かなりの額でして、それを返してもらえずに死去し人生が終わってしまったら、そのまま財を取られているのと同じ状態です。
信用経済的には日本がアメリカを支えているのだと言う誇りはあるのでしょうが、向こう側としては知らんふりで楽しい人生を送ってて、むしろ戦後の保障を未ださせられているのかとも思えるのです。
しかし日本人は「苦しむ事こそが娯楽」であるので自ら満足しており、アメリカもそれを理解しているので、アメリカはアメリカなりに本当の意味で人生楽しんじゃって、双方にとってメリットがあるので、この形は問題なく何も変わらないのです。
だから日本人は形のある機能性を必要とされる物についてはキチっと作れるのですが、物理的に形の無い流動的で抽象的な品に関しては、これまでの人生を通して何も見えてなくダサイがゆえに、グローバル的に評価される物を作れないのです。今こそガチっとセメントの様に固まってしまったその固形的な肩をしっかりと揉み解す必要性がございます。
そうしなければ「国際的便利屋さん」であり続けてしまい、いつまでも主導権を握る事は不可能だと思われるのです。雰囲気的に「あ、こいつは使われる方の人間だ」と思われてしまうからです。![]()
アメリカ&日本のプロミュージシャンによる演奏!
在日アメリカ人や区内の子供達によるダンス・パンド演奏!
アメリカのギターメーカー&自動車メーカー等の
コマーシャルブース・キッチンカーによるアメリカンフード!
映像は、あのカブキロックスさんで盛り上がる様子などです!![]()
私は一つ思っています。
人間と言う物の素晴らしさは
想像力の中で、
ありもしない場から周りを見渡す事ができると言う点です。
多くの想像的視点に立って物を考えて「言う」事が可能です。
例えば人間はそれなりのプロセスを経て普通に居る訳ですが、
「人間と言う物は地球にとって有害なバイ菌の様なものだ。」
とか・・・
有名著作「ホモ・サピエンス全史」でも登場しましたが、
「米と言う物は、人間を奴隷化して自らを育てさせ、
その結果、他の植物種よりもDNAを繁栄できてる」
・・・等。
米の気持ちが理解できた様な視点に立ち、
確かに間違ってはいない論を作り出す事が
いくらでも可能です。
ですから私は多くの方達が言うことは
基本的にも完全的にも間違ってはいないと思うのです。
ただ以下、言葉にするのは難しいのでイメージ的にお話ししますが・・・
・・・先日、私は都内でも有名な歴史的労働者街の某所に行ってみたのです。
以前から行って見たいとは思っていたのですが、
その時に私自身に吸収されてしまうパワーの関係や、
そもそも私自身がそう思っている事がどうなのか?
と言う疑問点もあり、なかなか実行せず、
しかし偶然に近くに来た時に行ってみたのです。
その街並みを見て・・・長くは居られない。
そして宿も二千円と安いが、もしもの時であっても泊まる勇気も起こらない。
そう思いました。
朝早い段階で、立ったままお腹を押さえて壁に突っかかり苦しんでいる人を確認しました。
アスファルトに、あぐらをかいて延々と道先遠くを眺めているだけのご老人もいました。
戦争ゲームに出てくる様な風貌の、ほぼ廃墟的な建物や教会まで確認しました。
しかし町の存在としては
「それは、こう言うのは、あるでしょう。」と存在を認めてしまったのです。
事実としてある訳ですから目に見えてる物を「無い」とは言えないのです。
・・・さて、それと同じ様に変な話がネットで掲載されていても私の気持ちは
それと同様に
「それは、そうでしょう。」と自然的に思うしかありません。
私が見ている物・・・
その中で存在している現象を決して否定する事はできないのです。
これは現象として存在している事自体は、正しいのです。
私は、それを確認している訳ですがら「それは、そうでしょう」と答えます。
どこかのあなたが、どう話していたとしても、
私は「それは、そうでしょう」とお答えするのみなのです。![]()











