「事実を、事実を、もっと事実を・・・・」が理念のジャーナリストと言うのは起こった事に対しての知覚感覚に優れており、起こっていない事を見て知る事ができない。

 

常日頃、我々は何も起こる事なく一日を終える。(自分の中の計画上の出来事はともかくとして)

 

旧来から構築された完全システムの中で生活しているからこそ何も起こる事はない。

 

この重要な「起こっていない事」の大切さをニュースは報じる事はない。

 

「何でも無い様な事が幸せ」だと言う事を見て知る事ができないのです。

 

そして過去のニュースを見ると分かる様に、これから起こる大事件の事を予測できてさえもいないのだ。

 

ニュースに予測機能は無い。

 

これから我々は世界を理解しようとするが為に、どれだけ無駄なニュースを消費する事になるのだろうか?

 

人生の中で有意義な時間を効果的に簡単に増やす唯一の方法は、ニュースを絶つ事です。これしか無い。プンプン

世界全体の人々の様々な傾向はベルカーブ(釣り鐘の形のグラフ)で表示されます。

 

平均値が50だとすると、そのほとんどは50前後に収まるのですがニュースと言う物は稀に珍しい0~10、90~100だけを報道します。

 

その多くは私達の人生には関係ないが、それをまるで身近に感じられる様に騒ぎ世間をコントロールする支配層なのです。

 

稀に珍しい出来事が身近に感じられないと宝くじは売れないでしょうし、そして極端な事件の報道は本来買う事でなかったであろうセキュリティ用品の売上げにも繋がります。

 

普通にしていたら知る事も無い世界的大富豪の存在を知り、同じ世界の住人として競争相手になってしまう。

 

それ以外の分野でも世界全体が競争相手として浮上してきてしまう。

 

ニュースは人の脳の働きを熟知し、人の平常心を打ち砕く方法を知りつくしている為、我々はこれらから逃れる事はできない。

 

この心の戦いから離脱する唯一の方法はニュースを絶つ事です。真顔

テレビのニュースで報じられる事で人類の形体が変化してしまうと言うレベルの物は一切ありません。

 

人類とは言わば地球が誕生してから根付いている意識体・知性であり、地球と同じ年齢と同等であるのだから、その根から影響を及ぼす事は難しく、宇宙から見て地球外側の変化が確認できる隕石突入くらいのモノでなければ形体変化しません。

 

最悪全面核戦争が起きても多くの人類は生き残ります。

 

心配だ心配だ、と思う人自身が自生活と心の方向性を心配し、これからは自身の道を進む為に計画を立て実行しよう。見える世界が変わりますニコニコ やしの木

旧世代では教師の体罰が多く存在し、当然私の十代の頃にもそれはあり、個人的には殆どが今でも恨むレベルではないのだが、最近同世代の「あれは良かった」「昔の思い出」的な印象で書かれているコメントがあり、それを見てドキっとなったのです。

人類社会的に言えば体罰とは獣に対して行う物であり、そしてそれを行う側もその時には獣性に駆られている時が多い。

思考力を高める必要性ありのホモサピエンス(サピエンスは「賢明な」の意味)の世の中において、論的にもあれはあれで良かったと言うのはマズい。

獣性への訴えかけ・・・もしもこれらを「善」とすると・・・

そうなると後世にも渡ってそんな行為が繰り返されて行くからです。獣の様な行いをされた者はそれを知り、やがて自身が獣として加害者と化していくのです。

「教」の「師」が獣に与える行為を、まさに人に対して「教える」事になっているのですから。

理想で言えば、どんな事であっても口から出る話、論で人の行動を改善させるのが、まさに獣ではない人間らしさである。

そしてもっと言えば暴行は単に犯罪であるのです。もしも暴行によってのみ正しく世の中が動いていくのであれば、それはもう大変な無能な世界であるのですから・・・。ドクロ

【豊かさゆえに思想的ハンディを背負う日本人。】


古代からの日本の環境を見渡してみると到底GAFAの様な物が生まれなかったのが理解できる。

「日本人は古代から自然と共に生きてきた」と言うと聞こえが良いが、それが21世紀の情報時代にはデメリットに繋がっている。

木々や水源に溢れ豊かに暮らせた。自然から得られる原材料から様々な道具を作り出していた。「自然と材料」と言う目に見えて手で触れる物の扱いに長けて、手先器用さや物体認識能力は高いのである。


それと比べて欧米の思想は砂漠の宗教が基本になっています。イエスキリストが何も無い、ただ広い砂漠の地で空を見上げて叫んでいるイメージがあれば分かりやすい様に、とにかく自然がありませんでした。

この日本と欧米。双方を簡単に比べてみるとこうなります。


日本人 → 玩具や物に囲まれた部屋で生まれて育った。

欧米 → 頭がおかしくなりそうな程の、何も無い部屋で生まれて育った。


もしも上記を考えた場合、それぞれの人間はどう育つでしょうか。

前者は、さまざまな物に触れて手先が器用になり、目に見え触れられる物に対しての知覚機能が優れた人になる。

それと比べて後者は、目に見えて触れられる物が全くありません。空間だけが存在します。つまりこの環境では「物」や「品」を考える人になるのではなく、空間と自分を考える人になります。これは物質的にどうとか言う物ではなく概念的な思想世界です。

そして現代は情報時代。情報とは目に見える物質ではなく概念的な物です。

欧米では砂漠と言う厳しい環境から、空間(宇宙・天)と自分の関係性を考えながら、物が豊かな他民族を征服して物を奪取し、生き延び大陸を移動し進化してきました。


そこでは主人と奴隷の概念が正式に当然の如く、善良的に構築済みとなっています。対して古代から奴隷の無かった(似た様な者は居たかもしれない)日本人はその価値感が分からない。自分でしなくても良い事まで自分でやろうとする。


もちろん「自分でやろう」と言う気持ちがあるのは、前述する様に物質に対しての扱いが器用だからである。物があると直感的に目が行ってしまうのである。

それに対して全体的な概念を把握し他民族操作に長け、それが使命な欧米ですから日本人が敵わないのは理解できます。「敵わない」と言うよりも、もうそう言うレベルではなく、それぞれが地球人としての定められた役割とでもいいますでしょうか・・・。


もっと簡単に言うとこれは「戦士」と「魔法使い」の違いであり、はじめは物理的(自然が原材料)に戦う戦士が強いのですが「超自然的」(ただし字の通りオカルトではなく。)な概念を知る魔法使いには敵わなくなってくるのと同じです。

そう考えると今一度日本人が目に見える物を直感的にギャーギャ言う性格を見直して、もっと背景的な物を客観的に俯瞰的にマクロに見つめて、自分の内側から考えるクセをつけなければ次はドイツにもGDP抜かれる恐れありなのです。グラサン