最近スカイツリーに行ってなくて久しぶりに行こうと思っていたのですが

時間が無く真夜中になってしまいました。

周囲はひっそりしていましたが春の花と夜が風景として上手くマッチしていました!

 

【日本語と言う言葉を無力化する最強術を模索中】

「人が言葉を書く」と言う事に対しては今一度再考し自分に有利に進めていきたい。最近はニュースダイエットに関する私記事が多いですが、何もニュース業界が悪いと言っているのではなくそう言った性質の物だとして自己認識しているのと、自分は被害に合いたくないと言う事なのです。

ニュースがありニュースを読む人がいてそれで世の中が動いてもそれはそれでいいのです。ただし自分を有利に進めたい場合、ニュースはメディア産業の一種として、そこで大衆に対して何が講じられて実戦されているのかは冷静に見ないと自分を救えないのです。また戦略が講じられている世の中の箇所を発見した時、自分も実践する側として真似をする必要もあるかもしれないので、その作戦は自分でも吸収しなければなりません。

さて例えば近所のおばちゃんがゴミ置き場に「いけないよ」的な張り紙をしてきた場合、気分が悪くなる物です。あるいはデモ行進隊が掲げるプラカードは強烈な効果をもたらしているでしょう。SNSの書き込みで人が死にます。人は言葉に心動かされるのですが、私個人的には新時代の生き方としてこれらの言葉の効果を精神の中で無力化する術を考えているのです。

簡単に言うと「ホモサピエンスと言う動物が書いた文字、あるいは話した事、その意味は実在するのか?」と言う「疑問」を発生させて、そこからそれらを最終的には無力化すると言うものです。しかしこうなると普通は前述の問いに対しては「当たり前だ」となるでしょう。

しかし私が日本語を知らなければ文字と音声も全く意味の無い物となるのです。わからない物は私の中に存在さえしないのです。これはネットのSNSのブロック機能と言う物とは少し違います。根本的に人々が発する言葉と言うは有効なのだろうか?と言う哲学的な事から始まる事です。

例えば私はおかしな国内現象を発見した時に、そもそも日本語と言う物が伝達手段として機能性のあるものなのか?を考えてしまいます。日本語と言う物の有効性がまだ確定しない訳ですから、自分の都合の悪い日本語のメッセージは無視しても悪ではないと言う事も言えます。

こう言ったまるで犯罪を無罪に持ち込む凄腕弁護士の様に理論を様々な方向性に持っていって、自分に不利になる様な言葉と言うのを全て自己の中で無力化するのです。この具体的な術が発明できれば日本崩壊もありえますが現代の社会がもっと幸せになると思えるのです。

人と言う字は「人と人が寄り添っている」と言う金八先生の言葉は、既に演じた武田鉄矢さんも否定していますが、恐らく劇中設定では金八先生がオリジナルで考えた話を言っているのでありましょう。

 

本当はこの字は人が歩いている形が字になっているものです。

 

他者協力的な物でなく自己進行的な物です。

 

この様な旧来昭和的なイメージが、どんな人間とでも無条件・無制限に触れ合いなさいと言うボンヤリとした心を育成してしまったのです。

 

人それぞれ見えている世界が違うのに同じ様に扱いたがる。

 

それゆえ幾多の苦しみが生まれたのです。

 

こうした「古来から言われ続けてました」的な、いかにも真理を保障するかの様な言葉は結構に心の中に強烈に影響を及ぼすケースも多く、種類も沢山あるので注意です。ニコニコ

もし地球の大きさ4倍であれば出来事も4倍になり

 

毎日ニュースを1時間見ている人は4時間必要。

 

そうなれば必ず見る時間を短くするだろう。

 

見ないニュースも多く出てくるのであり、

 

だったら始めから全部見ないのだって良い。

 

ニュースの重要度と言うのはその程度の物なのです。

世界の事で心を痛める事によって

 

あなたの人としての大きさが計られる訳ではない。

 

自分の能力の輪の中で生き、

 

お金を稼ぎ自分の周りから幸せにしよう。