最近はマッキンゼー出身者の方の本を読んでいる。

 

有名な「イシューからはじめよ」では、

 

何も考えず仕事しまくる様な事を「犬の道」と呼称しており、

 

ほとんどの日本人は犬の道が好きなのでは?

 

ぜひおすすめしたい一冊です。

 

日本的な努力そのものは、成果なしでは

 

何一つ褒められるものではないのです。

 

ストア派の哲学では、

 

自分でどうにか出来る事象と、

 

できない事象をきちんと区別している。

 

どうにかできない物を悩んでても無意味なのです。

 

他人の脳を変える事はできない。

 

「能力の輪」を見定めない限り

 

人生浪人のまま老いてゆくだけでしょう。

 

 

現代人の脳内記憶にある人生観、世界観は自分の物でなく

 

ほとんどメディアからの映像なのではないか?と....

 

本来人間一人が把握する事象世界と言うのは小さい物で、

 

なぜ報道関係者選定の遠くの民族の事象まで

私の脳に取り込まれなくてはならないのでしょう。

 

自分自身の人生を取り戻せ!

日本の自動車メーカーは世界的にすごいわけですが簡単に言うと安全な面と燃費がいいということだけなのです。しかし冷静になって考えてみると、なぜ日本人が世界の人たちのために安全と燃費の良い車を提供しなきゃいけないのか?またそのための仕事しなきゃいけないのか、ということなのです。

 

このような価値基準で物を生み出したり物をつくり続けていくと、だんだんやってる側もそのような性格になってくるのです。 家事と洗濯が人間には欠かせないもので素晴らしいものだとは言え、それは人間らしいクリエイティブな活動と言えるでしょうか。 警備員が世の中に必要だからといってそれをクリエイティブにかつ楽しく永遠にやり続けるでしょうか? それらと同じです。

 

もちろんこのような物を作り出す民族が地球上には日本人しかいなかったわけですが、フェラーリやルイヴィトン を生み出すような役割は日本人には与えられていないのか?ということなのです。 つまり今回の話でいうところでは 安全や燃費が良いということは大切ではあるがクリエイティブではなく人間らしくなく機能的、機械的ということなのです。 なぜこのことだけに精通したものを日本人が人生かけてやらなきゃいけないのか?

 

もちろん世界的には素晴らしいと評価されているわけですが結局のところ人がやりたくないものをやらされているだけなのかと思ってしまうのです。もしかしたら、やりたくないことをおだてられて自分からやってしまう、 その歴史的な積み重ねが 日本人なのかもしれないのです。