テレビは物資的に非力である事を自身が認識し恐れている。

 

本体は電気の通った四角い画面なので

電気が通らなければただのプラスチックの板だ。

 

だから美人のキャスターが不安な顔で、

こちら目線でニュースを読み上げ、

その板に釘付けにしようとするのです。

 

そしてテレビはテレ(訳:遠くの)ビジョンであるが

遥か遠くの出来事が私たちの世界に関係あるとはいえない。

 

遠い惑星で起こっている悲惨な戦争まで

気にしなければならないのでしょうか。

 

人間の作った無数の物を学び、

無数のパターンを生成できるAIの方が

確率的に優れた作品を生み出す。

 

人は敵わない。

 

最終的にそれが芸術なのかどうかは、

それが単に人が作った物かどうかです。

 

その背景ストーリーさえ自動生成できるのだから、

もはや人であるかどうか証明できることだけが

人間芸術的価値を持ちます。

 

 

いさぎ良く人の終わり・完了を認めよう。

 

今後クリエイティヴな活動さえAIに代替される。

 

キャラや風景画の生成。

 

2D画から見えない箇所を推測してでの3D画生成。

 

小説の自動執筆など。

 

ゲームも自動制作。

 

それでもガラケーがスマホになった様に自然に浸透していきます。

 

新時代に合わせた物の考え必要。

 

嘆きの声に関心持つのは無意味で時間の無駄なのであります。

 

私がクラブ目当てで良く訪れていた90年代後半

 

新宿歌舞伎町は社会的地位と思想は

 

五段階で3から2くらいでしたが、

 

いまやTOHOシネマズ前は完全に1になってます。

 

映画スワロウテイルの様な

 

貧困ファンタジー世界観になってます。

 

そんな中、私もジュース代わりにアルコールを

 

一杯路上で飲んでしまったのです。笑

 

 

私自身、社会的地位や元の思想は五段階で2くらいなのですが、

 

それでも世を動かしているのは5の人達なのですから

 

関係なくても近づいて学なければらない。

 

自分が2や1だからといって2や1の人達専用の世界観や

 

エンタメや言動に浸っていれば老いた時には困るでしょう。

 

まずは自分が3以下だと認める事から歩みは始まるのです。