「本当に歴史は学びになるのか?」
例えば歴史と言うと大体は日本史で、織田信長が居たとしてこの生き様を学んだとします。しかし信長が信長たらしめていたのは強さです。
ここで信長に強さを与えていたのを簡単に刀職人としましょう。もしこの刀職人が無能な職人でしたら歴史は変わったはずです。
そしてさらにこの刀職人の生活をサポートしていた当時のあらゆる生活サービスもダメだったら刀職人がダメになるから信長もダメになります。
通常、信長の事を学ぶ人は多いものの、これら刀職人や生活サービス支援者が誰だったのか?どういった感じだったのか?を学ぶ人はいなく、いたら相当なマニアックですし、細かい事なので100%歴史に残っていません。
こういった末端の細かい複数の要素が信長の所に上っていって最終的に信長が信長になっているのに、私達はその最終結果である信長だけを学ぼうとします。果たしてこれは私生活やビジネスに役に立つのでしょうか?
また坂本龍馬は実際には凄くなくて、あのイメージは現代の小説で後から作られたものだと言う説もあります。つまり私たちが学ぶ「歴史」と言う物の真実性は乏しいのです。
夢があって活気があるから学びになると言う人も言いますが、これは学びの類ではなく娯楽鑑賞の域を出ないのではないでしょうか。つまり我々は確証をもてない事実や、あるいは作られた嘘からも学んでいると言うことになる。
つまり歴史らしい歴史から学ぶと言うのならばエンターテイメントであるアントニオ猪木や藤波・長州や闘魂三銃士と言ったプロレス史からも同等に学べるのであって、プロレス史よりも日本史の方が学びになると言うことは決してないのです。ゲームや映画もです。ゲーム史・映画史だからと言って決して日本史・世界史よりも学びが低いと言う事はありません。
たまたま日本史・世界史の方が学んでいる人口が多く、それだけ共通認識となるから理解されやすいだけで、決してこの世で過去に起こった事実だとして、物理法則的に何かを推測できる様な、まるで未来予知的な能力を獲得できる訳ではないのです。
そしてこの時代ではバカみたいに一生、アイドル芸能史やグルメ史だけを吸収してたとしても、むしろマニアックになって、その分野の専門家になってしまい、むしろこっちの方が自分にとって儲かって有利に働くかもしれないのです。今はそんな時代です。
つまりこのあまりにもマクロすぎて確証の持てない古代からの大きな歴史と言う物に対して、あなたは心底に信用して学ぶことはできるのか?と言う事を今回提起させて頂ました。
そして日頃、歴史知識を振りかざして大きな口をする人は、ぜひともその知識を生かして我々日本を救ってくださいよ。っと言う思いなのです。![]()
![]()
![]()
![]()



