【因果律を戒めや脅しに使ってはならない】
"お天道様が見ている"と言うのは私個人的には、どちらかと言うと、誰もは自身の内に当てはめると言うよりは、他者の羨ましい出来事などに対して「いつかは何か起こるぞ」と言う期待を込めて使う、いわば日本人的な傾向がある言葉とも考えています。
しかし本当の意味で因果を考えるのならば、もう、そう言う場合ではないのです。
人には口には言わなくとも心の中で「ざまぁ」と言う気持ちがあり、私自身はその傾向は少ないと自負したい訳ですが、最近は、もっともっと、そんな気持ちの欠片もなくなりました。
言うなれば、今現在はエベレストの頂上付近のデッドゾーンにいる様な感じで、付近に見知らぬ登山者がいて彼が転倒したとしても「ざまぁ」と思っていられるか?と言う事なのです。
つまり彼の身に起こる事は、いつでも私にも起こると言う事で、つまり常日頃、彼も私も同じ因果法則が支配する世界にいるのだから、もっと因果を冷静に見て他者に起こる事には、ある意味では恐怖しなければならないと言う事なのです。
誰でも皆、いつでもエベレストなのです。![]()
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【因果】
見ていると、この方は不吉な因を自ら取り込んだり行動したりしているけど大丈夫なのかな?
でも世の全体を見てみると、あまりにも大きいから因果が形になる上では、あまり影響を及ぼさないのかな?
所詮、人間の力じゃ何が因かも分からないし・・・と思っていても、
やはり10年とか20年とかで見ると、何らかの形で果実が実っている感じがします。
ゆえに20歳くらいだと何がアレでソレで、と言うのは判別不能。
そう言った意味では人生と言うのは非常に成長が遅く、実がなるのは遅い植物なのだなあと思ってしまうのです。![]()
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頭の良い人と言うのは本質を掴んで理解するのが得意なのですが、いくらその「本質」を説明しても普通の人には分からない。「本質だからこそ万人に受け入られるはずだ」と思う訳ですが、難しすぎて分からないのです。
結論から言うと生物学的に人間にもIQは決まっているので、現実世界ではそれぞれの世界を構成しており、その知能の高低の差があるから分かり合えないのです。これは決して双方の努力が足りない、思いやりの心が無い、と言う事ではないのです。
実はアインシュタインは死後に脳を解剖され、調査するとどうやらやはり普通の人とは違う構造になっていたそうです。そして何回も罪を犯す犯罪人も通常とは脳の構造が物理的に違うと言う事が良く言われています。(病気で脳の一部が肥大化した等)
知能の高い低いがあったとしても、お互いを軽蔑してはならないと思います。結構、頭の良い人は悪い人を見下すかもしれませんが、案外に低い人はそれに気がついてなく(と言うより知能の高い世界が概念として存在しない)幸せな人生を送っているのです。低い人は、もし自分が嫌ならば高い方向性に目指す訳で、それが無いと言う事はこのままで幸せであり運命なのです。
逆に高い人は環境に敏感なので不安を感じやすく不幸と言う事もありえます。防衛戦略も多く浮上し考え、不安多きゆえに贅沢な生活でないと満足できないのです。そう言う意味で神は機会を平等に万人に与えていると思います。
さて一番はじめの話題ですが、本質を説明しても理解されない場合、人によってはレベルを下げた物で説明する事になる訳ですが、それが例えば下らないテレビのCMだったり、怪しい商品だったりするのです。
それを供給した上でクレームが無ければ他から見て「それを与えて大丈夫か?」と思われていてもクレーム問題等が無ければ、供給者と受給者の双方の取引は良好と言う事になるのです。
本当に頭が良いのは「クオリティの高い本質を解明して説明する人」ではなく「誰にでも受けいられる物までクオリティを下げて説明できる人」なのかもしれないのです、![]()
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