皆さん、こんにちは!


最近、私は日本の未来について考えることがありました。


というのも、先日残念ながら有楽町の飲み屋街で「もう日本終わらせた方が良い」という大きな声を耳にしたからです。

これは、私たちが直面している課題を深刻に受け止める必要があることを示唆しています。

日本は長い間、経済力や技術革新、教育システムなどで世界から称賛されてきました。


しかし、最近の出来事やトレンドを見る限り、日本が将来において不確実性を抱えていることは否めません。

まず、少子高齢化という問題が深刻化しています。


高齢化による労働力不足や社会保障の負担増加は、日本の経済に大きな圧力をかけています。

また、若者の少子化意識や結婚・出産の選択を後回しにする傾向も見られます。


これらの要因が重なり、将来的には人口減少社会が進行し、社会的な結びつきや活力が失われる可能性があるのです。

さらに、国際競争力の低下も心配されます。


新興国の台頭やグローバルな市場の変化により、日本企業は大きな競争圧力にさらされています。

一部の産業では技術や品質で優位性を保っているものの、他の分野では遅れをとっていると指摘されています。


このままでは、日本の経済が停滞し、他国に取り残されてしまう危険性もあるのかもしれません。

さらに、環境問題も日本の未来に暗い影を投げかけています。


気候変動や自然災害のリスクが高まる中、日本は持続可能なエネルギー政策や環境保護に積極的な取り組みを求められています。

 

しかし、これらの課題に対して十分な対策が取られているとは言い難く、今後ますます深刻化する可能性があります。

これらの問題が日本の未来に暗雲をもたらしているのは明らかです。

 

しかし、私は「もう日本終わらせた方が良い」という声を聞いても、あきらめることはできません。

 

むしろ、私たちはこれらの課題に真剣に向き合い、努力を惜しまないことが重要です。

私たちは若者の意識改革や働き方改革を進めることで、少子高齢化の影響を和らげることができるでしょう。


また、イノベーションと研究開発への投資を増やすことで、競争力を取り戻すことも可能です。


さらに、環境問題に積極的に取り組むことで、持続可能な社会の実現に向けた一歩を踏み出せるでしょう。

私たちは日本の未来を共に築く責任を持っています。


逆境を乗り越え、新たな可能性を見出すことができるのは私たち自身です。


だからこそ、私たちは希望を持って前進し、日本の再生に向けて行動するべきなのです。

以上が私の考えです。日本の未来には課題が山積していますが、私たちの力で乗り越えることができるはずです。


皆さまもぜひ、日本の未来を考え、行動に移していきましょう。

 

こりゃもうAIの登場ゆえ2019年くらいまで思っていた人生の計画。全て練り直しですよ。想定してた世のルールがリセットされます!

さてですがネットで他者の考えを知る時代になってから、何故こうにも人の価値観進化は遅いのかなと思った事があります。

2000年代にネットのレビューで「ゲームは映像が進化する事で面白くなる」と言う類の事を書いたらおおむね反対的であり「ゲームは映像が良くても内容が大事」みたいに思う人が多いのです。

それはそうなんですが単純にゲームみたいな粗い映像がハリウッド映画みたいな絵になればそれだけで迫力があって面白くなるでしょ、と言う話なのです。

やがて時は過ぎ、今みてもゲームの映像は実写みたいになって迫力が進化した訳ですが、スマホでもそうで「スマホでなくても携帯で十分」みたいに技術進化はまるで反人間的だみたいな事を思う人が多いんです。

イノベーター理論が確立できているのは、まさに世の中の構造と言うのはこう言う物だからです。

レイトマジョリティ(後期追随層)ラガード(遅滞層)と言う人々は必ずいる訳ですが、この方々って一体何なのかなと?

恐らく間違いなく経済活動上は被支配層であって、支配層に操作されてゆっくり人生や世を考察する時間が与えられてない層だと思うのです。

社会構造的にこの層は必ず存在します。忙しすぎて非裕福で物を考える時間が与えられない。革新的な考えを持ち始めると支配層に止められる。

逆にこれら被支配層こそが支配層を支配者たらしめているので、構造的には必然的に存在する訳です。

ですから私が「なんでこんな考え方遅いんだ」と思ったとしても構造的にそうであってこれを変える事は無理なんです。気合で頑張ってそれを変えようと言う物ではなく、社会はそう言う性質のものなのです。笑

 

こう言う事を言うと何なんだと思われるかもしれませんが私はただありのままの将来を述べるだけなのです。

 

あらゆる方面でAIに仕事や活動を奪われる事を阻止する運動が起こりますが恐らく無理ですね。

 

ネットの登場で悪口を書かれたり作品をアップされたりする事を阻止しようとするのと一緒でして、一時的な対策は出てきますが、その構造的に無理です。

 

人類がこれまで搾り出してきた物をデーターとして全て取り込んで統合しようと言うのがAIの目的であり最終的に統合された物がどうなるのか不明ですが、しばらくは人間が出力したエネルギーをAIは取り込んで行きます。

 

12月中旬頃から私のアメブロのアクセス数が日々10倍以上に異様にアップしてて、どこかのAIが学習に来ていると思うのですが、その様にしてエネルギーを集めてきているんです。

 

私の文でも米粒程度でもAI全体に影響を与えられれば良いと思います。将来、統合化されたAIの性格には私の文も入ってる、みたいな。

 

そう言う心があれば作品と言う物の著作権を守ろうと言うのは、これからのAI時代には評価されるかどうか分からない時代がくるのではないかと思います。

 

果たしてそのどこかで見た事がある様な作品は本当のオリジナル作品ですか?と。

 

世界に存在するどのイラストや音楽の要素も一つも入っていないのですか?と言いたい訳です。

 

これはある意味、共産主義ではなくデーター的共有主義の時代到来と言えるものなのかもしれません。グラサン

 

 

(ついにAIが文学賞にまで食い込んできました!もう止められない。その内、全ての文章がAI生成になるかもしれません。)

 

 

 

(上はイメージ図であり、本文と直接関係はございません。)

 

さて近年、ビジネス書市場にも不況の波が押し寄せている様に見えます。

 

一見すると有益な情報を提供するように見える書籍が増加している一方で、その内容が実際のビジネスに役立たない「とんち話」のようなものであることが問題視されている様です。


この現象は深刻な影響をもたらしています。

ビジネス本の出版市場は活況を呈しています。


企業経営者や起業家など、ビジネスパーソンの需要に応える形で、実践的で有益な知識や戦略を提供する書籍が数多く出版されてきました。


しかし、この傾向は最近逆転し、市場には役に立たないビジネス本が増え続けている様に見えます。

一部の出版社は、商業的成功を追い求めて内容に優れない本を出版しています。


彼らは売り上げを最大化するために、魅力的なタイトルや宣伝文句で読者の興味を引きつけようとしています。


しかし、これらの本は表面的には魅力的に見えますが、実際には実践的なアドバイスや具体的な戦略が欠如しているのです。

また、一部の著者は、一見して効果的なテクニックや方法論を提案している様ですが、実際にはビジネスの現実に即した内容ではありません。

 

これらの本は、読者の関心を引くために芸術的な言葉遣いや引用を多用していますが、本質的なビジネスの問題解決には貢献していません。

近年ネットの普及によってビジネス情報が容易にアクセスできるようになりました。


ビジネスの専門家や成功者の話やアドバイスは、ウェブサイトやオンラインコンテンツを通じて無料で入手できます。


一方、出版の弊害として、上手い話だけで役に立たないビジネス本が市場を席巻していることは深刻な問題です。


読者は実践的なアドバイスや戦略を求めているのに、時間とお金を浪費することになってしまいます。


さらに、信頼性の低い情報を提供するこれらの本は、ビジネス界全体の信頼を損なう可能性があります。

業界は、この問題に対処するために自己規制を導入し、品質の高いビジネス書の出版に努める必要があるかもしれません。

 

また、読者自身も注意を払い、著者の実績や信頼性、評判を確認することが重要です。


情報の信頼性や実用性を見極めるために、書評やオンラインの評価を参考にすることも有益です。

ビジネス書は、読者にとって貴重な知識や洞察を提供するべきです。


役に立たない「とんち話」のような本が増え続けることは、ビジネス界全体の成長と発展にとって障害となる可能性があります。

 

出版業界と読者は、質の高い情報を重視し、真に価値のあるビジネス本を選ぶことが必要です!


私が思うに未来に対する想像力もそうですが過去に対する想像力も必要だと思うのです。

先日LLMに言ってもそうなのですが、数万年前の洞窟の動物の壁画は富の形を描いたと私が言うと「その可能性もあり、面白い話です」と軽視させられてしまうのです。

しかし当時、動物を得る事以外に何の目的があったのか?と言う事なのです。動物から食料や道具や衣類が取れる、しかもそれを得る事は当時の技術では難しい。

植物を除いて動物を得る以外に何の目的があるのか?必死になってその富の姿を壁に書いた訳ですが、それを今の世の中から想像して単に「壁画は芸術だ」となってしまうのです。

もちろん絵だから芸術な訳ですが、人間は芸術できる存在であると言うだけで、この動物が富そのものであると言う視点から語られる事はありません。

今、馬車や極端に言えばB29に竹やりも笑い話な訳ですが、それなりに当時の理屈と論では正常な判断とも思われ、そう言った過去の価値感覚を現時代人の心で考えると言うのは本来非常に難しい事です。

この「難しい」と言う事を分かっているのかどうかです。

人工知能であっても単に「人類滅亡・ターミネーター」ではなく、現在この世界に存在してなくこれから生まれてくる人たちが大人になった世界において、どの様な倫理観・価値感覚で世界を生きているであろうか?と言う想像力が欠けている様に思えるのです。

時代において善悪の姿が移行したり変わったりするものではあるけれど、今の時点で倫理に反するといっても、それを口にしているだけで良いのかと言う事なのです。

現時代における全ての道具や技術を全て取り除いた空想の世界をリアルに感じる事でしか昔の人の心は判らない。しかしそれが少しでも分かれば、現時代の私達もいづれは旧時代の人々になるのだから、その心がいつまで正しいのかと言う事なのです。キョロキョロ