前から怪しいとは思っていましたが恐らく本当です。

 

例えばNHKも得意分野とする不幸映像ですが、ああ言う物もカメラの外では映っている人たちは笑っているのです。

 

おかしいと思いませんかね。365日、あんなつまらない顔を人は維持できないのです。人は不幸で居続ける事ができないのです。

 

前にバレバレ映像がありました。そんなに風が吹いてないのに、まるで強風に吹かれているかの様に演じていた台風ニュース・バレバレ映像ありましたね。(カメラが、そのまま回っていてバレだ。)

 

そう、あれがテレビや映像産業の手段です。目的は全て「見せるため」です。

 

言ってしまえば最近の戦争なんかでも兵士の人たちは戦いの中で笑っていて敵が死んだのを笑ってたりするんです。軍の攻撃映像なんかも面白そうな音楽をつけてアップロードされています。

 

これでは戦争は終わらないと言うか、それが本質で、暴力性あふれる民族性がそうさせているのです。でも国際的には非常に深刻な顔をしてますよね。

 

マクロ的には深刻でもミクロでは、そうでもなかったりします。イスラエルにミサイル警報なってて笑いながら逃げていく市民もいますね、

 

もちろんそういう生活の中で自然にそうなっていったのですが、人は不幸で居続ける事ができないのです。

 

バイオレンス映画監督の北野武さんも「人は生死の狭間でも笑ってしまう時がある」と言い、そう言った生死の中の人のリアルな感情を描いています。

 

カメラの中では凄い悪魔的不幸でも全体では視聴者が思うほど、そうでもないのです。

 

人は不幸で居続ける事ができないのです。

 

しかし大変な映像なのに笑ってたら、けしからんとなるので、そんな映像はカットされてます。

 

でも良く考えるとあれらの映像にはリアリティがありません。不幸の中にいるのがストレートすぎて安易なのです。いまだヤラセの可能性も否定できません。そんな楽しそうな映像はエンタメ産業ではないのでお金になりません。

 

つまり、人が生きる地球で多くの無数の感情、作用がある中で、負の視点のみを活用して不幸だけを抽出し、興味深く見せてそして広告費を儲けようと言うのが、それらの映像放送なのです。びっくり

 

最近は「おしん」「一杯のかけそば」的な貧困に心痛めなくなりました。

 

若くして貧しい場合、貧困ゆえ病が治せない。栄養失調で他の大人の様に成長できない。の様な事以外では貧しくてもその肉体は金銭に変えられない価値があるからです。

 

むしろ後、数年で死ぬ高齢の人の方が可哀そうかもしれません。おしんも、かけそばも結構貧しい話ですが、現代では貧困が栄養に支障をきたすことは稀です。

 

貧しくても肉体的には水質の良い水槽の中の金魚の様にいつまでも生存は可能であります。社会的地位やヒエラレルキーに晒されようが肉体は健康です。

 

貧困も、それなりにしなくて良い事はしないために楽だったりします。例えば「山谷地区で貧困だ。」と思う訳ですが、逆に一流の企業勤めでミスして取引先に謝罪に行くドキドキ人生に比べたら楽かもしれません。

 

100%自分で選んだ人生ではないが、これが運命であり役割であります。人生が決定される要因の一つは知能や脳の問題です。個人の差なら大差ないのですが知能同じ同士集団のコミュニティの形成が、その差を脅威的に広めます。

 

例えば日本も一億人の同知能集団のコミュニティなので、それよりも高知能の民族には対抗できません。努力や頑張り関係なく、それが役割であり運命です。

 

高知能集団が目的達成の為に低知能集団を活用し、それが人類の発展にも関係しているので文句は言えません。

 

例えば野宿者の人が公園で水道水を飲んだとしても、その水道は誰が作ったのだ、と言う事です。いずれにしても下は上からの何らかの恩恵を受けているのです。

 

 

 

さて、ニュース産業が理解してないのは「人間は誰でも、それなりに不幸」だと言う事です。

 

ニュースは毎日悲劇を伝えてきますが、まるで普通に生きている人を悪者にするかの様です。「こんな人がいるのに、あなたは・・」と言う事です。

 

しかし私自身もそれなりに不幸ですからニュースの大騒ぎは説得力ありません。私自身の経験をむしろニュースにして下さい、と思う訳です。言ってしまえば世の中に沢山の成功者や幸せがあったとしましょう。しかしそれは一つの視点です。

 

どんな物でも不幸の視点から見てみれば不幸などいくらでも出てきます。誰でもそれなりに不幸なのにニュース産業の人たちはそれを分かっていない唯一の幸せ物なのかもしれません。

 

私には分かりませんが、もしかしたら毎日、人の不幸ばかり伝える事で、むしろ幸せになると言う効能があるのかもしれません。

 

むしろ人間は不幸がデフォルトであるのに、それが無い様な顔をして生きるのが普通なのですが、例えばワイドショーなんかは不幸を不幸の顔で伝えるから我慢力がありません。不幸であっても普通にするか幸せを装うのが本当の強さではないでしょうか?

 

その様にして、世の中や人間と言う物は本来は不幸なのに、それを知らずに「今日も不幸が始まった」と大騒ぎしている子供の様な存在、それがニュースなのです。

 

幸せを定義して、わざわざ追う事が不幸の始まりでもあり、幸福も不幸も、人間がご飯を食べて普通にホモサピエンスと言う生き物として暮らす上では何の意味もない、概念として取り上げるレベルの物でもない事が理解できます。

 

今、身体のどこかが激痛なのですか?と言う事です。ニコニコ

 

結局デモと言うか暴動と言うかパンクは、昔から世の中を何も変えませんでしたね。

 

地球を取り巻く資本の謎の実体の中では非常に無力で、物が損壊されれば直せば良いだけで、むしろますます労働が必要となり資本は回ります。

 

むしろある程度古いものは壊された方が良いのであり、そう言った衝撃が関心も呼び、映画やコンテンツのネタになるだけでますます娯楽や報道分野の資本を増大させます。

 

これらは世の中に意味があって起こる暴動と言うものではなく、当事者以外には無関係な一種の病気の症状として現れるものであります。

 

人間一人称視点から見れば炎や損壊・・・非常に衝撃的に見えたとしても、あまりもの大きな資本の実体からすれば餌が増えたに過ぎません。

 

この目に見えない大きな謎の概念である資本と言う物に対抗するには、人間の物理的な手や足では無理なのです。

 

じゃあこの実体をお前はわかるのか?と言われると私にもわかりませんが、世界の少数の誰かが理解しているとは思います。

 

壮大なイメージを思い描かないと捕らえられないこの資本実体に対して、そう簡単に影響を与える事は不可能なのです。

 

壮大なイメージを始めると言うのが出発点になるのは間違いないと思います。

 

したがってニュースで良くある報道は世の中から意味のある形で表出したものではなく、単に「お腹痛い」と言う感じで、腹痛の様に現れる人間の病気の症状なのです。

 

決して何か意味がある訳でないし、私やあなたにも関係の無い話なのです。口笛

 

今日は、現代の都市生活を忘れて、海を思いっきり楽しむ方法をご紹介します。イマジネーションを膨らませて、一緒に海の中で魚の様になりましょう!

 

そう、今回の冒険ではあなたはまるで魚になり、手もヒレに変わっていますよ。

 

まず、魚になるための準備をしましょう。心地よい海風に吹かれながら、海の中を泳ぐイメージを思い浮かべてください。

 

自分が魚の姿に変身するイメージを描き、想像力を膨らませてください。

 

そして、手がヒレになった感覚を思い浮かべましょう。指先が自由自在に水をなぞるようになり、泳ぐことができるイメージを持ってください。

 

さあ、準備が整ったら、海へと入りましょう!水に入った瞬間、あなたは魚の姿に変わり、水の中を自由自在に泳ぎ回ることができます。

 

そうイメージします。まるで自分が本当の魚のように感じることができるでしょう。

 

次をイメージしてください。海の中では、様々な色とりどりの魚たちがあなたを迎えてくれます。

 

美しいサンゴ礁や海藻の中を泳ぎながら、仲間の魚たちと一緒に遊ぶこともできます。

 

彼らと一緒に水中でダンスを踊ったり、追いかけっこをしたり、魚の生活を満喫しましょう。

 

海の中では、都会の喧騒やストレスから解放され、自然の中でのんびりと過ごすことができます。

 

水の中を泳ぐ感覚や、海でのあらゆる者達とのコミュニケーションは、心と体をリフレッシュさせてくれます。

 

忙しい日常生活から解放され、自分自身をリセットする絶好の機会です。

 

魚になったあなたは、海の中の美しい風景を存分に楽しむことができます。海水、キラキラと輝く太陽の光、そして美しい海底の景色が広がっています。

 

その美しさに感動しながら、海の生態系を探索したり、新たな発見をしたりしてみてください。

 

海を満喫するためには、安全に注意しながら行動することも大切です。水中での自由な泳ぎを楽しむ一方で、ライフセーバーや海の専門家の指示に従いましょう。

 

また、海の生態系や生物に対する配慮も忘れずに行いましょう。

 

さあ、現代都市生活を忘れて、海の中で魚になる冒険に出かけましょう!イマジネーションの力で、海の中で自由自在に泳ぐ感覚を味わってください。

 

きっと、新たな発見とリフレッシュした心を得ることができるはずです。

 

こんにちは、皆さん!


私たち人間は哺乳類であり、さらに進化を遂げた霊長類として知られていますが、


私たちの体内には未だに海の記憶が眠っているのをご存知でしょうか?

 

本日は、私たちの進化の歴史と海への思いについてお話ししたいと思います。

 

私たちの祖先は、大昔に陸上から海に進出した生物でした。


海中での生活を送りながら進化を遂げ、陸上へと進出していきましたが、


それでも私たちの体内には海の遺伝的な痕跡が残っています。

 

一つの証拠として挙げられるのが、私たちの体液である血液と海水の成分の類似性です。


血液中の成分の一部は海水と非常に近く、私たちの体は塩分を保持しやすくなっています。


この事実からも、私たちの体が海の記憶を保持していることがうかがえます。

 

また、胎児期の私たちが胎盤を通じて母体から酸素や栄養を受け取るというプロセスも、

海洋生物の仕組みに似ています。


胎盤は、胎児が海洋生物のように水中で酸素や栄養を摂取できるように進化した器官と考えられています。

 

さらに、人間の脳には「海馬」という部位があります。


この部位は、情報の記憶や整理、空間認識といった機能を担当していますが、


その名前自体が海のイメージに由来していることが興味深いですね。


海馬は私たちの脳の中で海の記憶を担っているのかもしれません。

 

このような事から、私たち哺乳類・霊長類の体内にはまだ海への思いが残っているのだと考えられます。


海は私たちの進化の歴史の一部であり、生命の源でもあります。


そのため、多くの人々が海を訪れると、心が落ち着き、リラックスできるのかもしれません。

 

海の広がりや波の音、塩風の匂いなど、海との触れ合いは私たちの心を癒し、

自然とのつながりを感じさせてくれます。


海の記憶が私たちの内側に眠っているからこそ、海への憧れや魅力があるのかもしれません。

 

私たちが忙しい現代の生活で、海との触れ合いを忘れがちになることもあります。


しかし、海の記憶が眠る私たちの内側には、まだまだ海への思いが残っています。

 

少しの時間を作って、海に足を運んでみてはいかがでしょうか?


海のパワーを感じながら、心身ともにリフレッシュし、自然とのつながりを取り戻しましょう。