なぜ未婚独身なのか?

実は先ほどもFacebookに文を書いていて、やはり私が今まで吸収した物に対して本当の意味で、本心でアウトプットできていないなと思いまして、やはり本当のことを書きますと余計なお世話になりますし、最近ちょっと、もっとクローズドなSNSを始めようかなと思っているんです。

それで私はこのFacebookで沢山をフレンドになってくれた方がいるんですけれども、そのフレンドの方の特性というのは様でありまして、結構女性の方とか主婦の方も多いんですね。

だから基本的に私は男性なので思想的にも全く逆なので、ここで書くことは受け入れられないのかなと思っています。

しかしそれは当然であり、別に悪いことではないと思っています。ごく自然なことです。

人間一人が存在した場合に、全く違う性格を持ち合わせる人間が存在しなければ、世の中は成り立ちません。例えば極端な話になりますが、自殺したい、と思った人がいれば、それを止める人がいなければ、みんなが自殺したい、と思い、人類は滅亡してしまいます。戦争を起こしたいと思ってる人がいれば、それを止める人がいます。

そこで私にも、妻がいれば、もしかしたら私の人生がもっと豊かで、うまく進むと思うこともあります。なぜならば私と全く性格の違う存在である妻がいることによって、(たとえ性格の合う妻だったとしても、性別も違いますし結婚生活の中で必ず意見は合わない部分はあるでしょう。私自身一人では自分の持っている性格や特性のメリットとデメリットというのが良くわからないので、そのメリットとデメリットが強く出てしまいます。しかしもしも妻がいたのならば、そういったことが別の性格によって相殺され抑えられてノーマルになると思うんです。

この歳で未婚独身で言うと、たまにバツイチ離婚暦ありなんじゃないかと思われる時もあるのですが、全くの婚歴なし、子供なしです。そしてこれから書くことは、別に私がモテないことを棚に上げて、美化するわけじゃないんですけれども笑

例えばリーガルハイと言う弁護士ドラマがあり、勝つことは何でもやる主人公の弁護士が、家族の存在を盾に相手の弁護士に少し脅して、訴えることを言うわけですが、その相手の弁護士は私には家族がいないので恐れることはないのだ。好きにすればいいとかいうのです。

私の感性なのかもしれませんが、それが何か、かっこいいと思ってしまったのです。

そして私は、銀座にたくさんのビルを所有する数百億円の総資産の持ち主の丸源ビルのオーナーの生き方に少し憧れている部分があります。80歳ぐらいのおじいちゃんなんですが、独身で子供もいません。そしてその人はもし子供がいたら自分のお金を使われてしまうので、いなくてもいいと言ってますし自分が死ねば財産は国に持っていかれて、このゲームは終わりで、これで全て終わりそれだけだ。みたいな潔い良いことを言ってるのです。それもまた、かっこいいと思ってしまったのです。

すなわち、それを思った時に、私にはこのような家族を持たないと言う強さを持っているという自負がございますのです。その代わり戦争が起きた時に、いち早く家族がいないということで狩り出されるでありましょう笑

かっこいいことを言うわけではありませんが、ある意味では、思ってみれば、私はそういった、人生捨て身の覚悟なのかもしれません。また夫婦げんかや離婚する時のエネルギーは、ものすごいものがあると聞きますが、私には全く、それが実感が感じられません。それもまた私の強さなのかもしれません。

私が10年前頃によく遊んでいた友達も、みんな結婚してから離婚したりすることが多かったですが、基本的に結婚し誓い合った者同士が、なぜすぐ別れてしまうのか、私には理解ができません。

そういった意味で、私は自惚れてるわけではございませんが、離婚をするような結婚は、そもそもしないという意味でも、気持ちのシッカリした人間だと思っております笑

だから私がよく投稿する機械的な文章では、そういった孤独な機械的人間江嶋ゆきひろが書いているから、普通のノーマルの感性の人には受け入れられないのだと感じています。

それゆえ、もしかしたら私は一生涯こうかもしれません。なぜならばまたウイスキーを作ったジャックダニエルが、一生涯独身だった。という話を聞いても影響を受けてしまうからです笑

私の見るところがどうしても、こういう所になってしまうので、私は、おそらくこのままもこうなのでしょう。

そして女性と隣り合わせになってスイーツなんかを食べている時の、なんとも言えないあの平和なフワフワ感。私は昔、このフワフワ感を忘れられなくなるほど感じたことがあります。あの、フワフワしているときに衝撃的なインパクトが、いつ訪れるのか、と恐怖してしまうのです。

ある意味では、私は平和を純粋に認めることができない人間なのかもしれません。平和という文字が書かれた紙が机上に、もしもあるならば、それを裏返した時に戦いという文字が現れると私は予感するのです。

つまり、災いがあり平和がある、そして、平和があるから災いがある。幸か不幸か、私は現状に対して、その次に起こることであろう事象を想像してしまうのです。

これもまた幸か不幸か。私は想像力が、あまりにも異様に発達しているのかもしれません。それはまたゲーム制作と言う創作活動にも生かされており、40歳の頃にインターネット上で発表したゲームが、中学生が作った作品だと思われるほど想像力が豊かなのです。これは、ある意味では40歳にして中学生のような無邪気さと、善悪のつかなさを作品の中で演じられる、あるいは演じることができるという役者的能力なのかもしれません。もしも私が結婚していて妻がいたのならば、妻はこのゲームのリリースを止めたかもしれません。

そういった意味で、この江嶋ゆきひろという人物に対して注目する。これすなわち、あなた自身の時間を江嶋ゆきひろに投資するというのは、極めてギャンブル性の高い博打であるかもしれません。もしも安全安心を求めるのならばこの投資はしてはいけないかもしれません。江嶋ゆきひろの価値観や思想を受け入れては、決してならぬならぬのです。

そういった意味で私自身さえもが、どうなるのか予測できないこの江嶋ゆきひろという銘柄。この宇宙に存在する全ての素粒子の行方原子の位置と運動量が分かるラプラスの悪魔のみぞ知ると言ったところでございましょうか。

以上、お読みいただき誠にありがとうございました。江嶋ゆきひろ

 

 

「人々は両極端を見て空想するだけで、真ん中を見ない」

 

こんにちは。よく「暴落」っていう言葉を聞くのですが、私はこの暴落っていう言い方が、場合にもよりますが、そもそも気味が悪いと思っていまして、なんで普通の価格下落を暴落っていうのかな、と思いまして。

 

例えばもしもドル/円の場合、チャートを横にすれば左か右かに移動してるだけであって、上がるも下がるもないんですね。

 

あらゆるニュースとか新聞で、文章を魅せる為に暴落っていう言葉を見るんですけども、私がライターだったら暴落って言う言葉は滅多に使わないですね。情報取得力が無くて安っぽくみえるからです。

 

例えばビットコインで今年9月に中国がビットコインを規制したから、下落したんですけれども、今の220万からすると暴落でもなんでもなくて、ただの調整なんですね、その価格下落というのは。

 

今年の5月から8月まで30万円を上値抵抗線として、その下を横ばいになってたんですけども、その抵抗性をすぐに抜けて55万円まで上がって行ったんですけども、そこで中国のニュースが入って30万円まで下落しましたけども、すぐに上がって40万円を超えましたので、暴落というよりも極端な動きではありますが、単なる上がりすぎたゆえの価格調整であると思うんですね。

 

でもこのニュースを知って「ビットコインは暴落するんだ」って言うイメージだけが世の中に残るから、それで怖がっちゃう人が多いっていう感じですかね。

 

しかしチャートを見れば、それまでだいたい価格30万円のイメージがあって、突然上がったから調整して同じ価格である30万円に戻ってきただけって言う見方ができるわけですね。

 

もちろんこの分析は後づけになりますけど、しかしながら30万円まで下がって、その翌日には下がった分が、そのまま上がってますので、全体的に完全に悲観的になったというより、30万円に下落したのをチャンスだと思って買いに入った人が沢山いるということなので、全然ビットコイン購買意欲はあるわけですね。

 

それで、これは今年の9月の話だったんですけども、今もう220万円なので一時的に55万円から30万円まで下がったっていうのは、今からしてみれば大きな値動きじゃないわけですね。

 

それで、その値動きは50%くらい下落したっていうことなんですけども、今度同じレベルのショックが起きたとしたら、今220万円が50%減って110万円に下落するっていうことですから・・・

 

しかし昨日200万円まで少し下落した後、すぐ買いが入りましたので、まだまだ調整局面を見て下落した時に買おうとする人はたくさんいます。これから下落しても、する度に購買意欲があって、これからたくさん買いが入ると思いますね。だから余程の事が無い限り、ここまで上がったら110万円まで落ちることはないと思います。

 

むしろ、もしそこまで下落したとしたら220万円まで価格をつけたって言う実績があって、それが現状110万円で買えると思ったら、安売りバーゲンセール状態ですから、逆に激烈的な買いのチャンスですね。

 

でもチャートのこととか分からないと「暴落」っていうイメージだけがビットコインについているので、やはりそこんところが怖がっちゃうと思いますね。

 

ですので結局世の中というのは「両極端しか見てない」のであって、例えば宝くじが、なんで売れるのかと言うと、毎年毎年季節ごとに「何億円当たる」って国が誇大広告をしてるわけじゃないですか。

 

だから確実に儲かるがゆえに国民が勝手に宝くじを作って売ってはいけないのです。

 

宝くじが売れないわけないですよ。毎年毎年同じ時期に「何億円当たる」って、当たりもしないのに言ってるわけですから、大きく儲けたのか?大きく損したのか?そのどちらかではないとニュースにならないんですね。そして関心の的にならない。

 

別に自分が投資を始めても、国民的大ニュースになるレベルで、大きく儲ける訳じゃないし大きく損するわけじゃないし、中心部の、その真ん中あたりで少しだけ儲かったり、少しだけ損する方の確率が高いわけですね。

 

でも何か投資を始める時に、第一印象的・表面的には、宝の山を当てたか?大きく失敗したか?の話の、どっちかしかイメージされないわけです。

 

逆に、実は大きく儲けるのは難しいですけども、大きく失敗するのも難しいわけですね。

 

もし情報伝達ができない昔の社会であれば、そういった両極端の人たちが存在しても私たちはその存在すら知らないのであって、しかし今のこの現代社会は、情報が一瞬にして世界に行き渡るので、この極端な両極端のケースしかイメージに残らないわけです。

 

だから、ここは結構、誰が仕掛けたかも分からない心のトリックに、自分が無意識にハマっちゃってるって言うのは。今のこの情報社会にはありますよね。ニュースを書いてる人が一番大切にしてるのは文を読ませることです。

 

だから何か始める時は、常人であれば、大きく成功することや大きく失敗することは、ほとんどないということですね。

 

お金を即効で捨てるレベルの、天才か馬鹿かの才能の持ち主でなければ、いきなり大悲劇は起こりません。

 

大体は平均的なものを中心部として、ちょっと成功したり、ちょっと失敗することの方が確率的には高いわけですから全然恐れる必要はありません。

 

例えば過剰な程、初心者用投資本に注意しろ的な事が書いてあるのは、本当に何も勉強せずに大金つぎ込む人は一定の確率で世の中に存在してて、そう言った人から出版会社にクレームが来るからです。以上お読みいただき誠にありがとうございました。江嶋ゆきひろ

 

こんにちは「今年は自分自身、罰としてクリスマスと年末年始のお祭りなしです」

 

タイトルの通りですが、今年は腰椎分離症と診断を受けた後に腰椎分離症ではなかったなど、いずれにしても腰痛に悩まされたわけですが、厳しいことを言えば、それも自分自身の体の管理ができていなかったということで、誰の責任でもなく私が悪いのだと思っております。

 

そして私は今年は激バカだったのでして、今年の初め頃より仮想通貨のことは少し知って調べていたのですが、実際に手をつけるのは遅かったのです。

 

今週の水曜日ビットコイン200万円の時に少し買い増したのですが、今また220万円になってまして価格が上がっています。

 

それで今ちょっと少し買いやすいように下落しないかなと思いまして、月曜日にまた銀行に行ってお金を振り込んでビットコインを買います。

 

FX のトレーダーとして、これまでビットコインのチャートをチェックしていたんですけども、全く動きが為替とか先物取引みたいな動きでなくて、あがりっぱなしだったので、理由がわからなかったんですね。

 

山や谷を作れば 少しは見やすかったのですが、なにせテクニカルで動いているというより完全にファンダメンタルで動いているものなので、分析できずに理由がわかりませんでした。私には関係ないものだと思ってたのです。

 

分析できたとしても証拠金取引では、買いと売りの幅が広すぎて、為替以外に興味がある時以外、やるものではないですし、それよりも私は、そんなに頭が良くなく実力もないので、FX だけで手一杯だと思っていたのです。FX 以外に他のことはやらないと決めている部分があったからです。(ゲームは作ってますが)

いずれにしても早い段階から買っておけばよかったと思ってます。

 

 

 

 

以下は個人的に書くものなので参考程度にしていただきたいと思います。

 

ビットコインは今、取引高は円とドルで2/3ぐらいを占めているので、 取引高のほとんど円とドルということが安全と言うわけではありませんが仮想通貨の中では安全だと思います。

 

どういうことかというとビットコインが円とドルと交換されているということは、ビットコインに何かあっても損をする人は円とドルでやっていた人だから、みんな一緒ということです。(結構、意味不明で強引なものですけども)

 

日によっては円だけで取引50%っていう時もあるらしいですから、ビットコインが何かあっても、ほとんどは日本人だけの問題であるので、そういった昭和の一億総中流的な一体感があるので、このグローバル社会において心境的にも少し安心な感じでします。

 

これを見てる人はパソコンができるので何かあっても売り逃げと情報取得は早いと思うので、逃げるのは、町のおばちゃんやおじちゃん(あくまでイメージ)よりも早いので大丈夫だと思います。

だから、どこかわからない国が変なことを仕掛けてビットコインの価値が急落するということはないということです。

 

あとやはりビットコインを持ってるって言うのは「世界金融をまとめている」という感じでいいですよね。アフリカとかの方で国や銀行に信用がない場合ビットコイン使うと思うんですけども、そう言った通貨を日本人がたくさん持っているということは金融防衛になり得ると。

 

円も国際的に一番の安全通貨なので、それがビットコインに交換されるということで、どういうこと・関係性が起きるのか分かりませんけれども、今の時点で円とビットコインがどっちが国際的に安全性があるのか分かりませんが、北朝鮮みたいな国な変なハッキングをしてビットコインがどうにかなるとかいうことはないです。

 

ただビットコインの未知のバグっていうのがあるのかなとか思ってまして、そこのところはビットコインの技術的なものなので全く分からないんですけども、まぁそこのところは日本最大の取引所ビットフライヤーとかも主要株主は大手バンクとかですし、もしそもそも、わけのわからない通貨であれば、世の中そんな通貨を宣伝するはずがないんですね。
だからとりあえずは安心かと。

 

仮想通貨や暗号通貨という言葉をこれまで知らなかった方も、極端に言ってしまえば生活資金ではない余剰の貯金の1/3ぐらいをビットコインに変えてもいいくらいだと思ってます。今上がりまくっているので少し調整して下落するとは思うんですが、大きな流れで言えば上昇を続けます。

 

この今のビットコイン220万円っていうのは、あらゆるアナリストが過去に予想していた価格よりも早く到達している感じで、今後もアナリストの予想が、いい意味で外れて価格が上がりまくるという可能性もありますね。以上お読みいただき誠にありがとうございました。江嶋ゆきひろ

こんにちは。「Facebookと任天堂が不思議な件について」

昨日寝る前にですね、それぞれの仮想通貨の時価総額が、どれぐらいなのかを調べたがてらに企業の時価総額ランキングを見てみたんですけども、世界ランキングで Facebook が、そして国内企業では任天堂がランキング上位に入っているんですよ。これ不思議だな、と思ってですね。

両方の企業とも、別に世の中になくっても良い事業やってるんですよね。もちろん、ないと困る人がたくさんいるんですが、世界ランキングトップの Apple、Microsoft、アルファベット(Google 関連企業)がなくなれば、携帯端末やコンピューターが世の中になくなる、そして国内企業トヨタがなくなれば車がなくなる、ということなので、これは人類の文明を脅かすことになるんですが、別に好きとか嫌いとかじゃなくてフェイスブックと任天堂が存在しなくても本来は良い訳です。

類似した事業をやっている企業はどうなのか?と言うとランキングに入っていないわけですね。Nintendoであればゲーム機のライバルはソニーとマイクロソフトですが、それはランキングに入ってます。

でも任天堂は、そもそも、おもちゃ企業なので他のライバルの、おもちゃ企業がランキングに入っていないんですね。

この Facebook と任天堂の時価総額の高さに、何か、本来世の中には必要ではないビジネスを継続するためのヒントがあるのではないかと思っています。

任天堂は、かつてですね、ゲーム機以外の沢山の事業に挑戦したんですが全部失敗したらしくてですね、結局ゲーム屋は当たるか外れるかのゲーム屋でしかない、と悟ってゲーム以外の事業に乗らないことを決心したらしいんですが、そのスタイルというのが他のインフラを担う企業と180度違うわけです。

 

 


Facebook も SNS (ある意味、チャットの、お遊びツール)を提供してるだけなのに、他の SNS 企業よりもずば抜けて時価総額が高いわけですね。これは一体何なのかな、と思いましてですね、結局ブランド力からだと思うんですね。

だから世の中には必ずしも必要ではないエンターテインメント事業やってる人は、少しヒントになるのではないかと思います。

例えば、電車でたくさんの人がスマートフォンゲームをやっていて、しょうがないな、と思っていても、こういった光景が 事実として存在するわけですから、事業に繋がらないわけがない訳ですね

縄文時代や弥生時代でも、人はきちんと存在していて子孫を残してきたわけですから、その頃の文明と比べれば現代社会のほとんどは本来は必要ないということになるので、それを考えると現代社会の営みの「何が本来は必要」で「何が本来は必要ないのか」というのは結局わからないということになります。

それを考えると、やはり私が先日書いた日記のように「虚構」というものを、しっかり作るための計画をして、いかにそれを大きくしていくか、というのは、ますますこれから第4次産業に向かっていく世の中で必要だとも思われます。以上お読みいただき誠にありがとうございました。江嶋ゆきひろ

「進化は目的を持たない」

こんにちは。先日からよく私が話題にし書いてる本「サピエンス全史」の上巻の方で書かれてることで、すごいことが書いてあったのでそれを書きたいと思います。ある意味、宇宙的・原始的・クレイジーですが、凄いです。

 

 

 


しかしこれは、ちょっと伝えるのが難しいと思うんですが、なるべく短い文で伝えたいと思います。


「進化は目的を持たない」ということです。だから「今ある形に、自然も不自然もない」っていうことなんですけども、


例えば元々、人間の感覚器官って、その用途の為に作られた訳じゃなくて、偶然の進化の結果、そういう使われ方になったっていうことらしいんです。


例えば人間の口は、もともと原生生物が外部から栄養を取り入れるために作られたものですけども、今、私たちはそれを使って。しゃべったり。キスをしたり。あるいは「ランボー」であれば、手榴弾の安全ピンを口で外したり、さまざまな使い方をしてるわけです。


そして虫に羽がついていますが、もともとこれは飛ぶためにあったわけじゃなくて、体表面積の関係で体温を調節するために体から出現したらしいのですね。しかし進化の過程で、たまたま、その体から生えた出っ張りを使って飛ぶ個体がいたことによって、それがやがて飛ぶための羽として使われるようになったということです。


これだけだと、この感覚はちょっと伝えずらいのですが、つまりこの本の著者は「世の中にあるもので自然も不自然もない」って書いてるんです。同性愛者でさえも不自然ではないって書いてるわけですね。


それで、例えば動物の体を調べると、「この動物が、こういう形になってるのは、こう言う理由と、こう言う用途の為に、こういう形になってるんです」っていうのが、良く辞典とかに載っててあるんですが、動物によっては、なんの為にその形になってるのか、わからないっていうのが、ありますよね。


人も元々、猿の頃、シッポがあった名残で尾骨というのがありますが、尾骨自体は何かの役に立っているわけではないですね。(まあ現実的に、除去したらバランスは崩れると思いますが)つまり我々の体も、今の時点で完成されているわけではなく、進化の流れの中の現在進行形の、一つの一瞬の形でしかないわけです。


だから世の中に、今あるものでさえも、違う使い方があるとすれば、そういう使い方をしてもいい、みたいな事が書いてあったんですが、つまり常識というのは世間的に、「こういうものは、こうやって使うんだ」とか「こういうものは、こうあるべきだ」「これは、この為に作られて存在します」っていう風に言うのですが、本来この世の中に存在しているの物で「このために作られた」というものは無いっていうことなんですね。たまたま、そういう使われた方をしてた期間が長かっただけであって。
 

(もちろん人工物の場合は、人がその用途の為に意図して作ったので、その用途の為に生まれました。)


そして宗教や教育では、世に存在する物は「もともと、こう言う理由があって創られていて、我々は、それに従わなければいけない」と言う考え方です。


もちろん科学的・物理の法則に合わない使い方や考え方をすれば使いにくく、やがてその方法は廃れていきますが、物自体は、そもそも何かの為に使われる為に、そう言う形になっているわけではないと言うことです。なぜなら「進化は目的を持たない」からです。


人間の腕も、もともと体から出現した時は、物を持つために作られたわけでなく、たまたま何かの拍子で偶然に出現してきただけで、もし触覚の様な用途で使われていれば、そう言う器官として発達しただろうと言うことです。つまり、もともとは何かの為にあったわけではないのです。


つまり、そういう形をしていたり、そういう性質のものではあるけれども、たまたま、そういう使われ方をしている期間が長かっただけであって、それは、もともと、そういう用途のために作られたわけではないということなんです。


私は、この文章を読んだ時にですね、目に見える物だけでなく概念的な物も含めて、いろいろな事にこの考え方を当てはめれば、「世の中、なんでもあり」だと思ったわけです。


今。自分がやっていて、これは結構タブーなんじゃないか?という恐れがなくなるわけですね。


あらゆるものは自分の使いたいように使って、やりたいようにやれば、それがまた新たな(使い方の)進化の始まりであって、例えば足の指で雑巾を掴んで、それで床掃除したっていいわけですね。


教育的には下品ですが、足の指で雑巾を掴んではいけないと、科学的・物理法則的に否定されてるわけではありません。


もちろん足の指より、手の指の方が、そういった行動するために適しているとは思うんですが、それは、たまたま手の指の方が長かっただけであって、手は、必ずしも、もともと物をつかむために作られたわけではないというわけですね


つまり「進化というのは目的を持たない」のであって、たまたまそういう形になったから、そういう使い方が適しているというだけの話であるんですね


まぁ今回は、わかりやすく(それでも非常に分かりにくく笑)この話を書くために体の話になったのですが、これはいろいろな部分で使える概念だと思うんですよ。


世の中にあるシステムは必ずしも何か一つの用途のためにあるわけじゃなくて、自分で勝手に違う使い方をしてもいいということですね。


使い方に自然も不自然もないということです。これはもちろんこの本での、(ビルゲイツやフェイスブック社長など多くの著名人が評価してる本ですが)ある意味、宇宙的・原始的・クレイジーなテイストでの思想ですが、凄いです。以上、お読みいただき誠にありがとうございました。江嶋ゆきひろ