今年の二月頃に近くの東京スカイツリーのライティングがリニューアルし、より明るくなったのですが、近年のコロナで真下まで行ってなかったので先日行ってみました!
私のスマホだと少しレンズが曇っていても以前は全体が綺麗に撮れたのですが、頂上の光が明るくて丸く光って写ってしまいました。
真下の東京ソラマチでは星のカービィをテーマにしたカフェや、近郊にもお洒落な飲食店が増えて来ましたので出かけるにはおすすめです。2020/10
こんにちは。突然ですが12月で当ブログ・アメブロを終了したいと想います。
一時期2018年に一旦ブログの更新をやめて
気がついたら2019年の一月に復活し、最近では本格復活した感じなのですが
生活の中で他に打ち込む事もあるので当ブログの存在を自身で忘れるレベルで
ブログ本格的に止めなければいけません。
前に終了したFacebookとTwitterも、そうですが
アカウントを所有していると気になってしまう性格だからです。
あとこれは、ブログで書くネタが無い等と言う方々からみれば珍しいのですが
10分で記事を書こうと思ったら、30分や1時間すぎている時もあり
その労力と自分が感じているリターンの無さを感じ、その度に頭を悩ましていたからです。
今年は一年間、とびとびですがブログを書け、プール始めたのでよかったです。
後は、今年は夏の海は発熱で行けなかったので
もし当ブログを削除する様な事がなければ
来年の夏に海とか行った時に少しブログ復活するかもしれません。
DLsiteと姉妹サイトのCi-enでは少しの更新とゲームの配信があれば更新し、
コピペで、こちらにも更新すると思います。
(こちらDLsite関連ブログは、ゲームも販売で配信していて一応、ユーザーさんに対しての責任もあるので)
ネットでは他の方々との、やりとり等をしませんでしたが
本ブログを見て頂いた方々に誠に感謝しております!
少しでも、何か感じて頂ければ光栄です!
今まで有難うございました! 江嶋ゆきひろ
日本人は、ダラダラとネットやテレビや他人を観察する等して生きるのではなく
全員全部が国際規模で二流民族(あるいは、もっと下位?)と言われているならば
それをハッキリ認め、もうバーチャルでの意味の無い負けず嫌いを止め
その事を起因にした自虐的な方向性で物を考え言うのではなく
100年先、1000年先に繋がる今日も大切な一日として
その劣等的な物を原点にし自認し、精神向上すれば良いのに
全くそれが成っていないと思われるのです。
ミケランジェロの「ダビデ像」を見てください。
「人間」と言う物を語る上で、さまざまな言葉が思い上がってくる訳ですが
宇宙人が地球に訪問したら地球人のデフォルトの姿として、この形が認定される事でしょう。
西洋にはダビデ像なる説得力のある卓越した精巧な彫刻がある訳ですが
こう言った物は、この時代に日本含めアジアでは作られて来なかった。
あるいは作られる精神的・物理的・政治的・民族的な土壌が何一つ無かったのです。
「全裸の彫刻など、けしからん」と言う周囲の心が、空気的に働いていたのかもしれません。
ダビデ像の様な物はあった事はあったかもしれませんが、
時代の中で表にはありませんし淘汰されてたのかもしれません。
作っていれば東洋彫刻の様に神を基点とした素晴らしさではなく、
人そのものを大事にする文化が深く浸透していたと思います。
東洋の彫刻で、この方向性での精巧な彫刻は無いのであり
日本の彫刻は神々しくもありますが見方によっては威圧感を感じます。
幼い子供が見たら泣き出す事もあるでしょう。
ダビデ像。この様な彫刻も無かった為
人間が真の心で何かに向かって進む、と言う良さが分かられてこなかったのです。
むしろ、もともとその気持ちが無かったから作られてこなかったとも言えるでしょう。
アブラハムの三宗教を原点にした人達の様に
人と人との交じり合いで何かを考え続け自己を追求し、時代を生き抜いた人類と、
東洋人の様に、一番はじめから神を瞑想して、
神や自然と同化しイってしまっている精神を持つ人達。
どちらが人間として相応しいのかは分かりません。
これを比べると日本では古来から神の力を使って人を圧する事で人を制してきました。
外部から内部に働く力を使用したのです。つまり「押さえつけ」です。
一方、主に西洋でこの時代にダビデ像なる物が誕生した所以は
人とは何たるか?を内側から考えて外部に表現しようと言う力にあったでしょう。
例えばダビデ像を実際に写真ではなく、現実に目の前に置かれてみたとしましょう。
何も否定できる部分はありません。
しかし、もしこの像に作品的に欠陥(壊れた部分の事でなく)があり、
少しバランスが崩れた物であればクオリティが下がり
裸の像じゃないか、や、ち○こが出ているじゃないか。等の
重箱の隅をつつくネット民族的な批判があがるでしょうが、
ほとんどの男性は、ここまでの体脂肪率や筋肉はないのであって
見下す要素は無い訳で、従って批判の的には成りにくい。
それほど100%なのです。
卓越した物の前では、精神的にその様な感情がわき上がる事は無いのです。
つまり彫刻として完璧であって、もちろんホモサピエンスが作った彫刻の代表作です。
一方、日本の有名彫刻は神を模った畏怖を感じさせる抽象的な物も多く、
それが人の心を形作ってきました。
そして例えば近年、国内で騒がれていた、国の偉い人や第二次大戦の時代を
揶揄する類の気持ちから起こる芸術作品に本来は何の意味もないのです。
原動力として他者を基点にしているからです。
「真の人間力」とは何かや誰かのフンドシを借りて同じ土俵に出てきて否定したり、
あるいは誰かから否定されたり脅かされたりして不安や恐怖を感じ、
しぼんでしまう心から生まれる物ではなく
自分の心の内側から湧き上がる
「感動」や「勇ましさ」や「希望」「活き活き」等する部分から生まれる物なのです。
もしも近年のネットの日本人達が悲しくも前者の方であるならば
この様な文化的背景や精神的背景を持つ「日本人」と言う精神構造を持ち合わせる者が
同じ日本人に対して、何か上から物を言える身分ではないのです。
従って日本人が形作るネットは何一つ参考にする必要はないと断言できるのです。
「よく考えてみれば、どうでも良い事」はいらない、と
断言する事が非常に大切です。
じゅあどうすれば良い?と言う問いに対しては
「ネット日本人」の言葉は当然、聞かなく見なくて良いとして
少ながらず「代表的な日本人」と言われている人達の発言も
話し半分で聞いておいた方が良いでしょう。
今こそ、この国では誰一人として成し得なかった「集団的思想からの脱出」をし
新しいオリジナルの日本人的思想を個々で別々に持つのです。
そうすれば過去に起こした、集団的思想から突き進んだ失敗の歴史を
再び経験する事も無くなるでしょう。
自分自身が「日本人」と言う事に対し、いろいろな物を含め、どういう人間なのか?
それを嘘偽り無く自認し、他人に謙虚さを求めるのではなく、自分が謙虚になり、
一旦は諦めて、これから100年~1000年先に進む中での一日一日だと感じて生きるのです。
100年~1000年後(もちろん、この世にいない)の結果が大切なのでは無く、
一日一日を生きる事そのものが精神構造改革上で必要なのです。
国を批判する人達も、またそして、
それら批判者の批判発言を止めさせようとしカウンター批判する人も
その行動の基点は、いずれにしても他者にあるので、どちらも悪いのです。
これらは人間の真の「力」ではありません。
こんな国と時代だからこそ「自分はどうするのか?」を
「自分」の「顔」と「身体」をしっかり両目で見つめて、考えて進む力が真の「人間力」なのです。
お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ
(ちなみに筆者は純日本人です。)
現代ではネットによって、遠く離れた見知らぬ方々からも一言コメント等で褒められる様になり、また情報配信者も、承認を求めて日記などを書く様になりました。
しかしながらコメントで褒められる事を目的にする場合には、その依存性に注意です。
例えば日々、つまらない事が起こった時に、憂さ晴らしとして他人に褒められる為にネットに接続してしまうからです。
もちろんネットは社会から無くならないので困る事はありませんが、その反復行動は依存性から起きる行動であり「本当に、それはあなたの人生の中心ですか?」と問いかけたいのです。
例えばコーヒーもアルコールも社会から無くなる事はなく、いつでも手に入れられますが、本来は「飲む事」が目的ではなく「眠気を無くして精力的」に活動したり「楽しい気分」で食事したりするのが目的ではないでしょうか?
つまり、その目的が果たせるのなら、本来はコーヒーやアルコールもネットも要らない訳です。
そしてネットで褒められる為には、それが確かなマーケティングの上でのマネタイズに繋がっていないと現実世界での自分の経済力に繋がりません。
そしてパレートの法則(80:20の法則)で言うと、ほとんどの人は価値の高い情報を持ってなく、またこれら高い価値観に遭遇すると拒絶反応を示しますので、せっかく自分が本を読んだり経験した価値の高い事を伝え様としても、80%の人には理解できず筒抜けとなり、書く側はネットで褒められる為に知らず知らずに価値の低い方向性に合わせて行く様になるのです。
多くの人はネットを切欠に何かのアクションを起こすよりも、読み物として読み通し、思った事があればコメントを書くだけの人が多いのです。
なのでネットで情報配信するには共感の少なさを恐れずに、確実に自分の得た高い価値を理解してくれる数少ない人々や、お金を持っていて払って下さる人々に向けてメッセージする姿勢が必要です。
お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ




