【"正しさ"と"生存"】
世の中を見回してみると絶対的な正しさを信じる者は、時として他の絶対的な正しさから迫害を受ける事があります。
禁教令の時の日本のキリシタン達は、何一つ悪くなく本当に善意から正しいと思う事を信じていただけで苦しめられ、また映画ブラトーンで描かれた様にベトナム戦争では、良かれと思って共産ベトナム側だった村がアメリカ軍に迫害されたりしました。
プロレスでは、それまで蝶野選手率いるNWOに否定的だった辻アナウンサーがNWOに加入した所、今度は正規軍の方に襲われてしまいました。(笑)
これを見ると正しさは一つではなく、良かれと思って目の前の正しさを尊重し信じた所、ある日に突然にして他の正しさがやってきて、どっちにするか?と問われてしまい、全ての正しさは、それぞれ絶対的であるから一方からは褒められ一方からは迫害されるのです。
これらを考えると、この世の中は人間が作っているものだから、100%信じると身の為にならず、ある時、ある意味では裏切りの精神も求められるのかもしれません。
例えば日本人は日本的ですが、日本的でない物も正しい物の一つであり、自分にとって、いつかそれがやってくる日も来るかもしれないのです。
そう言った時、正しさを信じるまま息絶えるのか、それとも命の為に路線変更するのかは難しい問題です。
ただ口を持ってしゃべり、自分の意思をこの世界に残し伝える為には命がないと、どうにもなりません。
私達はそういって生き残ってきた部族、民族たちの末裔なのかもしれません。
何事も真面目になり没頭しすぎるのも良くはないのです。
自分が100%正しいと思っている人は、それ以上、新しい物が頭に入らない様に、頭脳の二割程度は新しい物を入れる余白が必要かと思われるのです。
