自分自身は、熟練させた「正しい」と思う道を進む訳ですが、他者は他者なりに、未熟かつ正しくない方法でも上手く行ってしまう事はあります。

 

正しくないから「おかしい」「失敗する」と思っても、そうでもなく、実は世の中はある程度、利潤の平等化や評価の分散がなされます。

 

もし、あなたが見つけた最善の方法や正しさが真実であり、それが唯一あなただけが使用できる武器だったら、世の中あまりではないですか。

 

逆の立場になる場合もある訳ですから。

 

初心者や未成熟な者が、本筋ではない他の付加価値を付けて、その道で上手く行くと言う事も、この世の中では許されているのでしょう。つまり自分が弱者になった場合にも、それが許されるのです。🙂🙂

私は40半ばなのですが、ビジネスをやっている系の20代の方は分かるのですが、正直「普通系20代」と言う言葉があるとすれば、この方達が真に何を考えているのかは私には勿論不明です。

自身の二十年前を想像すれば気持ちは多少分かるのですが、時代的にはライフスタイルや環境が違うので、そこで生まれ出来てくる性格、好き好みや傾向も分かりません。

20歳下になると私達より人口が2/3になり、さらに20下になると人口が半分になります。

そう言う訳で日本人としては量産型の私達よりも貴重である訳ですが、ネットを見ていると、とても私達の量産型世代の壁を越える力があるとは思えなく、もしかしたら超優秀な方が少数出現し世代間を超越して行くのだと思います。

私も超える超えないとかの話は好きではないのですが、分かりやすい部分で言えば人口が少なければ、それだけ政治的にも票が少なくなるので、多い世代の声が届きやすくなります。これから40代は、今よりも口うるさくはないが、古い日本人になるので懸念される所です。

もともと安全でも健康面で脅かされれば、動ける頃と変わってしまい自動的に厄介な性格になってしまうかもしれません。

私は変な事はしないのですが、私と同世代は人口も多く変な事を新世代の方にやる人もいると聞くので、その人口の多さを始め、注意した方が良いと思います。

将来の日本の若者は出稼ぎで中国のコンビニで働く事になるかもしれないと言う話もあり、これからは海外の人や人工知能とも、優秀さや有用性を比較されたりするので、まさに本当に大変でサバイバル状態だと思われます。🙂🙂

【"正しさ"と"生存"】

 

世の中を見回してみると絶対的な正しさを信じる者は、時として他の絶対的な正しさから迫害を受ける事があります。

 

禁教令の時の日本のキリシタン達は、何一つ悪くなく本当に善意から正しいと思う事を信じていただけで苦しめられ、また映画ブラトーンで描かれた様にベトナム戦争では、良かれと思って共産ベトナム側だった村がアメリカ軍に迫害されたりしました。

 

プロレスでは、それまで蝶野選手率いるNWOに否定的だった辻アナウンサーがNWOに加入した所、今度は正規軍の方に襲われてしまいました。(笑)

 

これを見ると正しさは一つではなく、良かれと思って目の前の正しさを尊重し信じた所、ある日に突然にして他の正しさがやってきて、どっちにするか?と問われてしまい、全ての正しさは、それぞれ絶対的であるから一方からは褒められ一方からは迫害されるのです。

 

これらを考えると、この世の中は人間が作っているものだから、100%信じると身の為にならず、ある時、ある意味では裏切りの精神も求められるのかもしれません。

 

例えば日本人は日本的ですが、日本的でない物も正しい物の一つであり、自分にとって、いつかそれがやってくる日も来るかもしれないのです。

 

そう言った時、正しさを信じるまま息絶えるのか、それとも命の為に路線変更するのかは難しい問題です。

 

ただ口を持ってしゃべり、自分の意思をこの世界に残し伝える為には命がないと、どうにもなりません。

 

私達はそういって生き残ってきた部族、民族たちの末裔なのかもしれません。

 

何事も真面目になり没頭しすぎるのも良くはないのです。

 

自分が100%正しいと思っている人は、それ以上、新しい物が頭に入らない様に、頭脳の二割程度は新しい物を入れる余白が必要かと思われるのです。😶😶

 

科学的すぎるのも良くないのです。

 

現代社会はプロの情報も断片的に入ってくるので、健康面では半ば医者の様な面目で語る方々も多い訳ですが、医学と言う科学的な物で全てが解決できてしまう様な風潮も、どうかと思われるのです。

 

と言うのは、人間が持つ科学力は、まだこの世を何も解決できていない様だからです。例えばポジティブな人間とネガティブな人間との違いを科学で解明できたのでしょうか。

 

できそうだとすると本人達の脳内物質の放出具合がどうだと言う話になり、薬を投与しようとか注射とかになる。

 

それであまり解決できた話は聞かないので、つまり人類が武器にする科学は、まだ未熟であり解決力がない。

 

精神の話は科学では追いつけないので、そう言った話は怪しいだとか宗教だとか言って疑い、話を聞かずに心をガードしてしまうのである。

 

これからも精神や魂の話は科学では追いつけないので「そう言った話は科学的ではないから信じられない」と言う事になり、またその人は苦しむのです。

 

怪しいだとか宗教じみていると思っている者に対し、やっている側、信じている者が、どう科学的に証明できるのでしょうか?

 

つまり証明できませんし、そう言う性質の物ではない。なぜならば、精神や魂の話、これは科学ではないからなのです。🙂🙂