最近、古代や中世の欧州を学んでいて、そこである物に対して非常に強い想いを感じました。

 

「大衆」です。

 

科学が無かった時代の歴史話は主に天と人の話がメインなのですが、人は支配者と大衆の二種類に分かれています。物語は支配者が天に変わって人を治める話がほとんどなのですが、大衆と言うのは一括りにして扱われ、神と君主の下に登場する訳ですが、物質的に「大衆」として登場するだけで、特にキャラクター性が決まっている訳ではなく顔が見えないのです。

 

これらの歴史の話を演劇で言えば「大衆」と言う名のステージ台があり(観客席ではなく)、その上に神と君主の2人だけがいる様な感じです。

 

もちろん大衆は、国を治める者よりも偉くとも何ともないのですが、しかしこの大衆の動きに君主は困らされ、大衆の動きによって君主は自らの進退や生死が関わってきます。

 

偉い存在であるのですが、菅首相の首相就任時に言った言葉「国民の為に働く」の様に、国民の為に逆に奴隷の様な働きをさせられるのです。

 

だからと言って大衆の中の誰か一人のキャラに対して、どうのこうの言える訳でもなく("大衆"なので誰か一人を指定できる訳ではない)、この大衆と言う匿名の、かつ自由自在に姿を変える、まるで真っ黒い粘性のスライムの様な物体に対して翻弄される人生が描かれます。

 

「人」は「人間」ですが、それが無数に集まると生き物と言うよりも、何か巨大な「大衆」と言う「物体」となるのです。

 

その大衆を思うままに動かした者が歴史的人物として評価されるのです。しかしこれは至難の業であり、あのイエスキリスト様でさえも意思を伝える為には命そのままではありませんでした。

 

当時の裁判官は無罪と認識してましたが、荒れ狂う大衆によって死刑とさせられたのです。

 

この大衆が犯した殺人さえも、大衆は匿名である為に、罪の所在を決定する事は不可能です。

 

これも大衆の恐ろしさ、そして強大な力なのです。

 

そして今やネット時代、人類史上において数多くの賢者達が攻略に頭悩ませてきた、その「大衆」と言う「巨大物質」は、今日も真っ黒に自由自在に姿を変え、人間そのもの自身を飲み込もうとしているのです。ドクロ

著名人が何言ったと言う類のニュースは

結局「」と思わざるを得ない。

 

毎回行き着く先には何も無く

数日後には別の話題で盛り上がっているからだ。

 

そんな物事を調査し記憶した所で、

行き着く場所があるとすれば

「ネットニュース雑学王選手権」

優勝する事くらいです。グラサン

実は法の下に構成された現代社会は人間に100%手を差し伸べられる物ではないのです。

 

だからこそ矛盾が生じ宗教や、いやゆる怪しいシステム、集団と言う物が登場する。

 

家族、企業などの営利団体、学校などは、これら現代社会に取り込まれ一部となっているが、それ自体を見てみると社会全体と一致しない独自の価値観を築き上げ、各々が暮らしている。

 

あなたが自分の価値観で誰かを誘い入れ、やがて集団として成り立った時、それは他者と社会からすると特異な性質を持つ集まりとなる。

 

時には為政者や社会を作り上げている側が社会に反した思想で動いている場合もある。

 

誰もが、どこにも、社会と一致した集まり・団体など作れないのである。

 

それは社会全体は誰にとっても最善な受け皿には成りきれないからなのである。真顔

心技体の記事でも

書いた様に、

最近一日三時間程

運動しているので

 

疲労の後に力が

みなぎってくる感じがするので、

文章での情報が

身に入ってきません。

 

大切なのは

自分の中の

パッションだ!

走る人走る人走る人走る人走る人