「日本ロボット開発の気力の薄さ。」
申し訳ないのですが日本はロボット先進国かどうか不明なのですがガンダム等のアニメの影響もあって、その精神がロボット産業の方にも受け継がれている様な事を言われます。
世界各国でロボット開発が行われてますが、他国と比較すると日本には真剣さが足りないと思わざるを得ないのです。
まず戦争が良いと言っている訳ではありませんので、以下はご注意を。
例えばイスラエル・アメリカなどのロボットは既に実務に投入できそうな感じの完成度があり、これによって、あらゆる労働が解消されれば国力に繋がります。
日本の場合は何か「こう言った物ができました。こういった動きができます」と言うだけに終始して喜んでるだけみたいなのです。エンタメ系のロボットとしては活用できそうなのですが実務的なエネルギッシュが感じられなく、国力が上がりそうではないのです。
日本では銃器やミリタリーは過激なイメージがあるのでスポンサーも、つきにくいのでしょう。国民性からして実務的なロボットは望まれていません。
あらゆる産業は戦争に応用できますし、戦争で発明された者が産業に転用されます。
しかし日本人は平和を愛する為に、そういった転用ができないのです。
矛盾しているのですが平和と言うのは敵国の武力と均衡していたり、あるいは上回っている状態で、こちらから攻撃しない時のみに安定して成されている状態の事です。
つまり平和を目指す為には、命がけで相手の技術を上回らなければならないのに日本ではロボットを作って喜んでいるだけの様なのです。
この「命がけ」と言うのはバブルの頃の死ぬ気で仕事するサラリーマンのレベルとかではなく、実際に銃口やミサイルが自分に向けられている状態の本当「命がけ」の事です。
本当の事を言えば人間と言うのはこの状態の時に最高の物を生み出す可能性が多いのです。
しかし我々日本人は戦中戦後の親の教育を受けているので、とにかく平和と言う事になっていて必要な物まで平和のイメージからかけ離れるからダメだと言う事になります。それが戦争でもなんでもない、日常のシステム上のトラブルとか避けるため、とにかく何でもダメだダメだとなるのです。
思えば非核三原則のノーベル賞も、アメリカ・ソ連が核を持っているのに、日本だけ持たない宣言してノーベル賞とか意味不明な訳です。核落された民族が核持ち出したら大事になると世界各国は恐れていて、そこに日本自身から非核を宣言したから世界は安心しノーベル賞になっただけなのですが、他は持ってる訳です。
別に私は、世界に先駆けて本当の世界平和を目指す姿勢を見せる日本と言う国は非常に素晴らしいと思っています。しかし前述した様に平和を目指すと言う事は、平和にしたくない国よりもテクノロジーが優れていて押さえつける事で成される訳で、結局は平和の為の軍事テクノロジーを自ら進めていかないといけないから、それ自体は平和的な行動では無い訳です。
しかし日本民は平和平和と詩的に言うだけで、あらゆる行動を制限する訳ですね。例えばロボットを作っているんだったら「これは実際に銃を装着する事が可能で、いざと言う時には悪人から私達を守ります」と、しっかりと堂々と、はっきり言えば良いのに、なにかそう言う事は言ってはいけないみたいになるんです。
例えば武器を持つ強盗に入られて、強盗をゆるめに捕まえる事なんてできない訳で、全力で阻止しないとこちらの命がまずいわけです。そう言った訳で日本では有事世界における想像力が乏しいですし、正当防衛の意味合い等、議論を避ける傾向があるのです。
こちらが積極的になると、相手方もそれに同調して武力発展させてきてトラブルになると言う恐れが心にあるからなのですが、前述の様に、他のどの国も核持ってて日本だけ非核でノーベル賞で喜んでいると言うのは本当に大丈夫なのかと思う訳です。
通常、きちんとロボットを作ったら「あ、これ戦う事できるでしょう?」と誰もが想像する訳ですから、それ用の枠組みとアナウンスの仕方を、もうそろそろしっかりと構築して世の中に出さないとならないんじゃないかと、私は自分で勝手に思っている訳です。ありがとうございました。
近年やはりアラブの春や、そして日本でもネットによって国民の団結力が強くなったり、渋谷ハロウィンの準暴動化など、近年の人民はあまりにも力を持ちすぎてしまった様にも思えました。
人民の唯一の武器・利点は「物理破壊力」と「数」ですから暴動が起これば為政者がテクノロジーを駆使しても鎮圧するのは困難です。そこにウイルス&ワクチンでの人民統制と言う計画が実行されました。
これは庶民的な感覚で言えば本当に上手くやったなと思いました。過去、私はウイルス蔓延社会をゲームや小説などのフィクションで感じ取ってましたが、それさえも庶民の感覚で言えば馬鹿にされていた事でしょう。
いつの時代でも庶民が全くの考えも及びもしない計画が常にいくつもあり、実行されていくのですから、人民にとっては未来は常に予想不可能です。
例えば今、異星人の話をしたとして、やはり馬鹿にされるだけであって、ただしかし、国家が言えば存在は有りで、黙っていれば存在は無いだけです。日常のカフェで会話する様に「相手に言うか言わないか」の違いであり、いくらでも隠しきれます。
なにか可笑しな顔をしてても、言葉として言わなければ浮気もバレない様に、政府がいろいろな事を隠してても、言わなければ良いだけです。と言う事は、既に国際機関は異星人とコンタクト済みだ、と言ってもおかしい話でもなく、誰も真実は明かされるまで分からないのです。![]()
近年の統治の進め方として、全国民を「ネット人間」にしようと言う企てが見て取れるのは既に知られてますが、これまでの無駄に分散された国民のエネルギーを何かに集約して支配する為には、ネット人間になるくらいなら軽く収まる程度なのでしょう。
昔は戦争もありましたし、やはり屋外は事件事故も多いので国民を家に閉じ込めておけば、これから家に閉じ込めた国民のエネルギーをどう活用するか?が議論されます。
今はその途中なので政府の動きがボンヤリしてますが、日本としては今は家に閉じ込めておくのが精一杯で、今後のアメリカや国際機関からの指示を待っている状態だと思います。
高齢者でもなければ家を出たければ自分だけ出れば良いだけですし、世の中のマクロの出来事は自分単位で考えれば何も問題も不便も無いのです。
むしろ国民全体で何かの試練に耐えている的な充実感があり、コロナ前のブラック労働問題が全て解決しそうです。
もちろん一時的に収益も減るのですが国家システムは命の補償はしてくれますし、仕事に疲れて電車に飛び込むよりはマシでしょう。と思う今日この頃なのでございます。![]()
人はコロナでも繁華街に出る程で、自然溢れる公園や川辺はそれ程でもないです。
もちろんセキュリティの問題もあるが人が自宅から出るとなるとやはり街になります。考えるべきは繁華街に出る事が労働者の為の薬の様な物になっていると言う点です。
心、足りないゆえに何かを得ようとする気持ちから現れる行動でもある。
国家はこれを知ってか知らないか、"街に出るのは駄目だ"とか言う。それよりも休みに街に出ないとならない現代労働者の心の正体を知る事が必要です。
これには都市が作られた古代からの社会と人間の性質を一から考え直さなければならない程の大きく難しい問題なのです。
しかし国家は簡単に"街に出るな"と言う。
労働者の力で支えられてる国家が、労働者に癒しの薬を与えないと言うのは、まるで自分で生んだ卵を食べてしまう水槽の中の魚の様な物なのです。![]()



