町中や(あるいはネット)そこらに居る様な「これやってはいけません系」の、まるで自称警備員かの様なオジさんオバさんの様な「指摘マン」は、相互監視社会における指摘能力に非常に優れています。独裁国家ではコスト少なく民を動かすのにこの手法が良く使われますが、こちら日本においてもその要素は少し存在するのです。

上から教えられたマニュアルを脳内で判断して「これはダメです」と声を発するのです。恐らく将来的にロボット社会になった時には、この人たちの代わりにペッパー君(Softbankのロボット)を進化させた様なロボットが街中を徘徊して人々に指摘する様になるはずです。

しかしこればかり耳にしてしまうと、人間ならではの創造的な動きやアイデアが生活から無くなり、価値観の乏しい人間になってしまいます。

人間特有の「マニュアル外の正しい動き」と言うのは、例えばこちらにトラックが予想外でぶつかって来そうな時に赤信号でも渡りきる事です。しかし指摘マンと言うのはマニュアルを文字通りになぞって指摘するだけなので「赤だから進んではダメです」と言うだけなのです。これは死を意味します。

あるいは踏み切りを渡る時に、内側に居てしまって遮断の棒が降りてきても、棒をくぐれば良いのですが、指摘マンですとマニュアル通りに「棒を超えてはいけない」、そしてそもそも「棒が降りた状況で内側にいる」のは「これはどういう状況なのだ?」となり、考えている内に電車に飲み込まれてしまうのです。これも死を意味します。

将来登場する町中巡回ロボットと同じ事をしている指摘マンに対して、そんなに気に留めてはいられないのです。

この宇宙では、とある対象物を観察するまで、その本質は明らかにはされません。箱の中に何かが入っている訳ではなく、箱の中身を空けた瞬間に確率的に何かが置かれるのです。これは量子力学的に証明されています。これを利用し実現しているのが量子コンピューターです。

つまり、あの「指摘マン」達は遠くから見ている限りは人間ではなく、人間に非常に良く似たロボットなのかもしれません。グラサン

植物とは異なり空間移動できる動物にとって、移動し逃げると言うのは生存上において大きな武器でありリスク回避なのです。(逆に植物は逃げる事ができない為に、黙って食べられない様に毒を持ってる場合も多いです。)

現代社会人は、それを忘れている。単にヤバイ他生物と同空間に居てしまった場合には、移動し逃げるだけで、それ以降に訪れていたかもしれないトラブルと時間浪費を全て回避し、経験しなくてもOKになる。

もちろん人間の社会には見えない繋がりと言う物があるから物理的に回避しても無理。と言う人もおられるでしょう。しかしその見えない繋がりとは本当に存在するのだろうか?

例えばネット社会で人がつながっていると言われるが、ほぼ物理的に繋がっている訳ではない。裁判沙汰になり自分が出てこない限り、空間上で相手と対峙する事はないのだ。だからネットの場合は単にパソコンやスマホの電源を切るだけで済む。

(もちろん自分の行った悪さを回避できると言う話ではありません。こちらの方は因果応報の話になるので別の機会に語ります。)

とにかく現代社会人は、全ての繋がりが本当に存在すると錯覚しており、断ち切れずにいます。しかし動物の世界は逃げるだけでOK。相手が弓や銃などの飛び道具でも持ってない限り、全てのリスクは回避できるのです。

相手も(下らない)相手なら、その相手を認識する事さえも無駄なのです。物理的な繋がりを絶たれても、社会的な繋がりを利用し相手が追ってくるのには相当の技術を必要とします。

相手がその技術を駆使してまで追ってくるなら、ある程度、認識してあげる価値はリスク回避上では在りますが、認識するレベルでもない相手は、そもそもそう言った技術を駆使する能力も無いでしょう。

目に見えない繋がりは本当に存在するのか?・・・無いとすれば、もう動物の世界と同様に物理的に逃げるだけでOKなのです。ニコニコ

愛や、お金や、幸福。

 

そして、これらの様な「答えの無い物を探し求める」のは、

唄の歌詞の様で非常に格好良いのですが、

実は、これこそが、これまでの人類の歩んできた道を軽視する姿勢なのです。

 

と言うのは人間のこれまでの歴史は分かる所で一万年以上です。

太古の数万年前に描かれた洞窟の壁画も確認されています。

その頃には既に人類は絵を書く技術を習得しているのです。

 

そしていきなり話は飛び、アインシュタインが相対性理論と言う答え導きだしました。

ライト兄弟は、どの様な形の物を作って、どう動かせば飛べるのか?の答えを発見しました。

それ以上、多くの人間が数々の答えを導き出しましたが、前述した様な人生の事柄と言うのは

未だに人の歴史上で「答え」と言った物が無いのです。

 

多くの人々が「問い」に対する「答え」として一致した物を導き出していないのです。

つまりこれらの「人生の事柄」は、教科書の問題の様に「答え」がある訳でもなく、

むしろ「答え」が無いと言う事は、つまり・・・これは「問題」ではないのです。

 

「問題」では無い事を、現代社会人は問題だと思って「答え」を探そうとしているのです。

すなわち過去の数億人にも渡る多くの人々が考え、これまで決して答えが出なかった物を

自分たった一人だけが偶然に、そして奇跡的に「見える」と思っている。

 

これはこれまでの人類の歩んできた道を軽視し、人類の恩恵を素直に預かろうとしていない姿勢です。

 

これは自動洗濯機があるのに、まな板で洗濯したり

スマートフォンがあるのに糸電話で会話しようと思っているのと同様なのです。

あるいは熱力学的に永久機関の実現は不可能だと証明されてるのに、

まだ信じられず作ろうとしているのと同様でもあります。

 

そう、これらは「問題」ではなく「感覚」なのです。

 

つまり答えがあるとか、そう言う類の物・・・そう言う性質の物ではありません。

もちろん脳科学的には「幸せ」は存在し、追求する事は不可能ではなく、

ただし、その方面では脳内物質などの話になってくるので、

それですと危ない薬を飲むとかに話になるので、これは論外です。

 

「愚者は(己の)経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」と言った話があるならば、

今こそ、これらは歴史上では発見できなった。つまり「問題」ではなかった・・・

そもそも「共有できる様な答えがある」と言った性質のものではない

・・・と言う事を知るべきなのです。

 

周囲の不幸な人たちが作り上げた世界観に流されず、

自分自身だけが真剣になる事が、これらの無駄な答えを探す事の時間浪費を

唯一、防ぐ方法なのです。グラサン

ニール・ドナルド ウォルシュの著作によると
人間は、いつでもその気になれば、直ぐに世界中の戦争紛争を今日中に止められると
神様が述べているらしいのですが、

私自身も一応これまで何十年も生きてきて、
残念ながら子供の頃に想像していた世界平和が来る事は
私が生きている時代には訪れなさそうです。

独裁国家の飢餓などに注目してください。

これらは一体なんなのかと?
・・・そして、そう思うと平和ボケと罵倒されてしまうのかと?

著作「ニュースダイエット」や
ウォーレンバフェットの言葉「能力の輪」を考えると
多くの人々は手の届かない事に関心を持って生きているのだと思います。

自分の手の届かないもの、それに対しては
ある意味ではネット民の様な「ワロタ」でも、ある意味では良いのではないかと。
そう思える様にもなってしまうのです。

下らないと思えるコンテンツも平和の象徴。
これらは、かつて戦時中、
南の島で亡くなった日本人達の最後の想いだったのかもしれません。

世界全体の事を広く浅く見渡して真剣になるよりも、
もっと自分の中のジャンルの、
身近な人々が作り上げたコンテンツや発言を馬鹿にせずに、
そっちの方に真剣になってもらいたいのです。

あなたが真剣になって取り入れる事は、もっと身近にあるのです。
そう難しい、遠い世界の事柄ではありません。グラサン
 

たまにビジネス・マインド系の教えで「人間は本来DNAを残す為に・・・」等と原始的な事を述べている物があるのですが、

 

(例えば「あなたが不安を感じるのはDNAを残したい為」など、いちいち日常的な事柄をDNAに関連つけたりする)(もちろんその内容で自らの不安を払拭できれば良いとは思いますが)

 

その考えを基にするならば、それでは私達は、まるでチンパンジーなのかと・・・。それだったら人間社会で養子や難民と言うのは受けいられません。

人間というのは高度な社会を形成し、動物とは違い、DNAで運命付けられる様な事象を超越する生き物ですから、生きていく社会の中でDNAよりも考え方や意思を周りの人々に残していくのが重要で、他人の子供も自分の子供であると言うのが社会です。

 

それを教えたのが仏陀やキリストなどでもあり、くれぐれも「自分のDNAが第一だ」と言う考えに基づいたマインドを軸に持たれない事をおすすめします。グラサン