人間は平常心を保つ事も非常に大切だと思います。平常心が危ない多くの人が脱線してしまえば世の中の為にもなりません。

その為には自分好みのベクトルのニュースや話題を知り平常心を保とうとするのも仕方ないなと思うのです。

平常心を保つニュースとは、自分が経済的困窮な時に金持ちが失敗するニュースや、恋愛が上手くいってない時の芸能人破局や離婚のニュースでしょうか?

先日、気がついたのですが、もし私がメディア業界内人であれば、ある意味ネガティブニュースは大衆に安らぎを与えているのだと言う大義名分を持つでしょう。

善悪はあったとしてもマスコミと言う物が、もう長い間、人類社会の中で機能して消滅していない事を考慮すると、マスコミの存在自体には真実性はあり。もう仕方が無いのです。

あらゆる産業には生活を守る為に働いている人たちがいるのでメディア・ニュース業界も自分の家族の生活を守る為に利益を追求するのです。

「長期的に見ても、もっと為になるニュースを国民の為にお伝えすれば良いのでは?」とも思いますが、そんな難しい調査ができる訳がありません。今それが「儲かるニュースだ」と短期的に思えれば公開するのです。何が長期的に人の為になり、自分達に利益をもたらすニュースなのかは分かりませんし短期利益第一です。

「目覚めない大衆に罰を与えている」と言う大義名分をも持っている可能性もありえます。

とにかく誰も彼も忙しく他人の事、自分以外の業界の大衆の事を気にしてられません。必要あれば紙媒体がテレビ媒体に攻撃を起こす事もあります。「明日も我が身」です。「これは受けるニュースだ」と思えればマスメディアマンとしての志で自分達に大きな利益をもたらすニュースを取り上げて世に放つのです!

命や生活だけは最低限保障されるものの、現代人ならではの価値観・幸福度追求戦は続いてゆくのです!

「戦時の様に死ななければ良いだろう」と言う、暗黙の了解事項があるので、それ以上の自由に生活できる部分での格差は物凄いものであり、勉強仕事に疲れて果てる事さえ想定内・許容範囲・あるいは当然であり、自分で自分の身を守るしか術はありません!

ネットでケツの小さい事を書いている人こそ、それら現代の被害者なのではないだろうかと?
 

しかし私は違うのです。心の大きな事を書き、それは私自身の大らかさを表しており、それを自分自身でも知っているから、何の後ろめたさも縮まる事もなく、私は自分で自分を鼓舞すると言う素晴らしい能力を持つ人材なのです!

自分自身が映った鏡を見て、決してバカな化粧はしないのです。(男ですが)

自分の言葉は、はっきりとしっかりとした物であり、前を向いた方向性の言葉を連ねる。褒められたいとかでなく、自分本来のハイ・テンションである。

そのエネルギーが自分自身にも返ってくる。自分自身の薬は自分で作るのです。

 

しかし、どうでしょう?前述した事柄の全く逆を行く人々もいます。
・・・・いや、もう私はそれらを見なくて良い。そして語らなくてもよい・・・

 

しかし、最後に、申し上げさせて頂く!


その「ロー・テンションな面構えは何なのか?」と。
もちろん私にはネットの人々の顔は見えませんが面構えが想像できてしまうのです。

もうそろそろ私はリアルの世界で形にしないとならないモノもあるので、こう書ける時間も少ないのです。

話せる人間が居なければ今、空に向かってあの太陽に「なぜ私はいるのだ」と問い叫び走るのです。走る事が原始から人間がやってきた事であり、体温も温まり、脳をハイ・テイションにするのです!画面にブツブツと物を書く様に我々の体は出来ていないのです。

あなたは太陽の子だ!

 

さあ今こそ!花火花火花火

曇り空、ランニングしている人たちがちらほらとしか見かけない早朝に、スカイツリーに行ったのでまだ開いてなかったのですが、現在「鬼滅の刃」とのコラボレーションをやっているそうです。
コロナの前は8時からやっていたのですが、今では10時からとなっています。

 

 

ニュースダイエットすると芸術面でも「最近流行っているけど見てみたら、聞いてみたら、やってみたら、面白くなかった」と言う様なコンテンツにも関心が行かなく、より世のコンテンツ注目度が平均化されます。

ニュースで載る様なのは、確かに質的にもおすすめだからニュースにされたと言うのもありますが、あくまでも何かを自分で探せていない大衆用のコンテンツです。

話題になっている物がつまらないのは当然で、それは企業が一押しした「何かを探している大衆向けの物」だからです。芸術的な要素の上に話題的な要素が取り囲まれているものなので他よりも一際目立っているが、そうでもない作品だったりします。

別にランキングに載っているからと言って自分にとって良い作品ではない。

皆が関心を持たなくなる事で、そう言った作品は少なくなりますが、結局は自分の分野を持っていなく、何かを探していない人用のコンテンツですので、そう言った物に関心が持たれると言うのは国民性を表しているから仕方が無いのです。

「最近アレ流行ってるけど知っている?」と言われて「知らない」と言うのが普通ですが、知らない物は知らないし、何かそう言うニュースになっている作品を知らないとおかしいと言うのは、それこそがおかしいのであり、またメディア操作の罠なのです。

食品だったらどこの誰かが作った物を食べると言うのは危ない感じもしますが、体験してみても直接害ではない物は見て見てもよいのです。

また自分の物を売りたい場合には、もちろんメディアやニュースを利用するのが良いでしょう。これらは日頃、何かを探す余裕の無い人々にメッセージできます。グラサン

【助けてくれ~。助けてくれ~。】

 

「失われた30年」の最大原因はまさか・・・? 

 

無限に無料の記事を沢山読める。それが現代ネットの危なさ。

 

昔で言えば、まるで大量の週刊誌を読んでるだけの人生なのかもしれません。

 

ネット=無料、は定番ですが、本当にその事が人の進展に結びついているのかは不明です。

 

「無料」は価値と時間、そして人の大切さを失わせるかもしれません。

 

こんな複雑な道具は学者レベルの頭脳を持ってないと本来は使いこなせないのではないか?とも思えるのです。

私は自分の悪い所は公的には出さないのですが
思えばブログを始めて自分の善人の部分が非常に育成されて大きくなったと思います。
思えば世の中にある「これをしたらダメ」と言う意見に気分を害する事もありました。

しかしこれは私は自分の事を善人だと思っていたので、「なぜ善良な私がこんな事を言われなければならないのだ」と言う気持ちが生まれたからだと思います。

しかし良く冷静になってみれば、私は善人でも何でもないので、そう言ったキビキビした意見は馬鹿らしいので、そもそも言う事を聞かなくてよいのです。警察を呼んだり裁判しない小さな事に対して、人々は何ゆえに自分の脳の中だけのルールで他人を操作しようとするのでしょうか。

これを考えると有名人の方々が自ら誹謗中傷を受けたくないと言う気持ちも、やや贅沢な欲なのかもしれません。・・・と言うのは、それはネットに繋いでいる人々が全て善人である、と言う前提で物を考えているからなのです。善人である、と言う事を期待してしまっている。

普通に考えても悪人など、どこにでも居るのであって、まだネットで書かれているだけで(合法レベルであれば)マシと言う考え方も一方ではできます。悪人は悪人ですから。

これは当人が落ち度があろうが無かろうが、どこにでも確率的に攻撃的な人間はいるので、目立つ事で、そう言った人たちに見つかってしまえば・・・まだそれが仮想的で済んでいると言うだけ良いと言う事です。

例えば迷惑Youtuberも自分自身が迷惑人・悪人・アウトローであると言う前提・テーマで映像公開しているのですから悪人にマナーを教えても意味の無い事なのです。悪人の行動に喜んで、そう言ったコンテンツを見る他の悪人もいるから成り立つのです。

価値観が違うのです。ただ、私、そしてあなたが、どうやったってコイツはおかしいと思う事はあるでしょう。そう言った人間も、同じ様な人たちのいる分野で生活しているのですが、そういった様々な多様性の中で人が世の中にいると言うのは事実なので、そう言った理解できない現象と言うのは多くあるでしょう。またそれを前提に考えないとなりません。

また悪人がいなくなると、どうなるでしょうか?
悪人がいなくなると、それまで次に悪い人(準・悪人)が台頭してきます。準悪人は、それまで本当の悪人が居たから埋もれていただけなので、悪人がいなくなると潜在的な悪人が今度は出てくるだけなので、同じなのです。例えばテロリストのトップを倒してもナンバー2が今度はトップになって同じです。タリバンがいなくなると他の武装勢力が今度は出てくるのです。

町の不良がいなくなると、今度は少し頭の良い学校のワル少年が不良みたいに振舞ってくるのです。

結局は人には善悪の心があり、個人の中には一つの脳に善悪が詰まっているのですが、世界全体でみると善の役柄と悪の役柄の人がいて、一つの脳に収まっているかの様な感じで世界に善悪が広がっているのと同じなのです。

私も善人であると思われた方が、いろいろな意味で金銭的にも宣伝的にもメリットがあるので良いのですが、絶対に私の事をおかしいと思っている様な、私とは逆の人もいるはずです。

ただネットで悪口がいけないと言うのは、言われた方のその人が怒ってしまって、その人も同じ様な発言になり、その様な悪口的な発言が同様に継続し、下らないコンテンツになってしまうから、周りの第三者が見た時、情報の質も落ちるから禁止されているのだと思います。

リアルの世界だったら危ない人間と遭遇したら本当にやばくて応戦する事もないのですが(例えば駅前で、誰に向かって言ってるのか不明な大声を上げてる人に、わざわざ自分の事か?と聞きなおしませんよね。)ネットでは応戦してあげてるので、そう言った意味では、どんな性格の人、どんな地位の人でも良し悪し関係なくメッセージ性が強い訴えや発言をすれば相手してくれる確率も全然高いので、ネットと言うのはある意味では平等的な親切さがあると思います。(私は、やばい人は避けたいですが。笑)

また結局は、それはかまってちゃん、甘えの一種なので見るに耐えません。

「私は正しい」と思っている人も、冷静になって、これまでの事、全てを振り返ってみれば善人だ、と言う事は全く無いのです。善人でなければ、正す姿勢も持ちたくもないのだから、誰が何を言ってても関係ないのです。グラサン

お読み頂きありがとうございました。