「”偽の合意効果”(総意誤認効果)」

 

さて「自分の頭の中で起こっていることが、他人の頭の中でも同じように起こっている」と思い込む心理的な現象や特徴は、いくつかの概念で説明できます。


特に心理学や認知科学の視点からは、以下の言葉が当てはまることが多いです。


1. 偽の合意効果 (False Consensus Effect) 指差し


自分が持っている信念、価値観、行動などが「一般的で、他の多くの人も同じように考えているはずだ」と過大評価してしまう心理的な偏り(認知バイアス)です。「自分がこう思うんだから、普通はみんなもそう思うだろう」と無意識に決めつけてしまう状態を指します。
 

2. 自己中心性 (Egocentrism) 看板持ち


自分自身の視点と他人の視点を区別することが難しく、他人も自分と同じように物事を見たり、感じたりしていると思い込んでしまう性質です。発達心理学者のピアジェが提唱した概念で、子供に顕著に見られますが、大人になってもこの傾向が強い場合があります。
 

3. 透明性の錯覚 (Illusion of Transparency) ちょっと不満


自分の感情や思考が、実際よりも他人に見透かされている、あるいは伝わっていると思い込んでしまう錯覚です。自分の頭の中の「当たり前」が外に漏れ出していると感じるため、説明しなくても相手が理解しているはずだと誤解する原因になります。 


4. 投影 (Projection) キメてる


自分が抱いている感情や考えを、相手も持っているものとして相手に映し出してしまう心理的メカニズムです。例えば、自分が相手を嫌っているとき、「相手が自分を嫌っている(みんなもあの人を嫌っているはずだ)」と思い込むようなケースです。 


5. 素朴なリアリズム (Naïve Realism) 知らんぷり


「自分は物事を客観的・ありのままに見ている」と信じ込み、もし他人が自分と違う意見を持っているなら、それは相手が情報不足か、偏見を持っているからだと判断してしまう心理状態です。


これらの特徴を持つ人は、自分の主観を「客観的な事実」や「世界の標準」だと捉えてしまう傾向があるため、コミュニケーションにおいて「言わなくてもわかるはずだ」という期待から、衝突や誤解が生じやすくなります。キョロキョロ

 

 

 

米国コネチカット州のHartfordで発生した警察による発砲事件について、新たに警察のボディカメラ映像が公開された。

55歳の男性スティーブン・ジョーンズは精神的危機(メンタルヘルスの問題)の状態にあり、家族が911に通報した。

警察によると、ジョーンズは自傷行為をしており、ナイフを持った状態だった。

最初の警官が到着後、ジョーンズにナイフを落とすよう何度も命令したが、彼は従わなかった。

ジョーンズは家の前から道路に出て警官に近づき、警察はテーザー銃(スタンガン)を複数回使用したが効果はなかった。

その後さらに警官が到着し、合計3人の警官が半円状に囲みながら落ち着くよう説得を続けた。

事件開始から約5分後、4人目の警官ジョセフ・マグナノが到着。到着から約30秒以内に状況が急激に悪化した。

ジョーンズがナイフを持ったままマグナノ警官の方向へ歩いたため、警官は警告の後に9発発砲した。

ジョーンズは生存しており、現在集中治療室(ICU)で治療を受けたが死亡。一方、発砲した警官は行政休職となっている。

市当局は事件の透明性を確保するとし、独立した監察官が発砲が正当だったかどうかを調査中で、結論には数か月かかる見込み。 ショボーン

 

近年、AI生成技術の進歩によって、非常に高品質な動画が誰でも作れる時代になった。


中には著名人や政治家を模した、いわゆる「フェイク動画」も多く出回っている。
確かに、技術的な到達点として「AIはここまでできるのか」と興味深く、最初は目新しさもある。つまらないとは思わない。

しかし一方で、ふと立ち止まって考えてしまう。
古今東西の大衆は、これからもそうしたものを時間と労力をかけて作り続け、それで日々を過ごしていくのだろうか、と。

もし仮に、死後の世界があり、そこでは自分の人生を背後視点から客観的に振り返ることができる――そんな場所があったとしたらどうだろう。


その時に「自分はこんなことをして生きていたのか」と思う対象が、AIで作った著名人の偽動画を製造していたことだったとしたら、正直なところ、あまり向き合いたくはない。

もちろん、私自身もゲームをするし、パソコンにも向かう。
それらは生活の一部としての娯楽であり、息抜きであり、現実と適切な距離を取るための行為だ。

特に、著名人や政治家を模したAI生成動画は、笑いで済まされる領域をすでに越えているケースもありえる。


本人が言ってもいないこと、やってもいない行動を、あたかも事実であるかのように再現する。それは単なるパロディなのか。
侮辱罪や名誉毀損に該当しないのかという疑問が浮かぶ。

技術自体は罪はなく中立だと思われる。
だが、その使い道は常に人間の倫理と想像力に委ねられている。


「作れるから作る」「面白いから消費する」という短絡的な循環の中で、私たちは何を失い、何を残していくのか。

未来のどこかで、自分の人生を振り返る瞬間が来たとき、
そこに映る自分の姿を、せめて「理解できるもの」「納得できるもの」にしておきたい。
 

そのためにも、技術の進歩にただ流されるのではなく、一度立ち止まって問い直す必要があるのだと思う!

 

高市早苗氏は、恐らく「可愛い系」に分類される人物だと思う。
ただ、これを「アイドル的か」と問われると、正直「うーん?」という感じもある。
もっとも、80~90年代という時代背景を考えれば、メイクやファッションの影響も大きく、単純比較は難しい。

一方、蓮舫氏はどうか。
彼女は美人すぎたがゆえに、別の運命を与えられなかったようにも見える。
その結果、強烈でドギツいイメージが定着してしまった。
モデル出身ということもあり、服装や見せ方の完成度は非常に高い。
しかし、あまりに完璧すぎると、市民の感情がそこに追いつかない。
「隙がない」というのは、政治の世界では必ずしも武器にならないのだ。

もしこれが完全な実力主義国家であれば、話は違ったかもしれない。
だが日本はそうではない。
皇族という、すでに“最上位”が決まっている国であり、
どこか精霊的・象徴的な力が政治にも作用する国である。
努力や実力だけで、権力が与えられるわけではない。

その視点で見ると、高市首相誕生という未来像は、
精霊に押し勧められた存在だったのではないか、と思えてくる。

若い頃のバイクに乗る姿。
趣味としてのヘビーメタル、しかもドラマー。
こうしたエピソードは、市民の心をがっちり掴む。
理屈ではなく「物語」として強い。

小池百合子知事も、方向性としては高市氏に近い。
一方、蓮舫氏の「強さ」は、男と同じラインで競う強さかもしれない。
それ自体は立派だが、日本社会においては
キャラクターとしての恵まれ方が違ったのかもしれない。

そう考えると、高市氏にはどこか「魔性」とも言える力がある。
本人の意思を超えて、人々が意味を読み取ってしまう存在感だ。

ただし一点。

もし高市氏のセリフ「働いてまいります」という言葉が本心そのままだとしたら――
AI時代にはアウトだろう。
これから求められるのは、
「頑張る姿勢」ではなく「構造をどう変えるか」だからだっ!!アップアップアップニコニコ

私たちの時間とエネルギーは有限である。どれほど優れた能力を持っていたとしても、すべてのことに手を広げることはできない!

だからこそ多くの投資家や実業家たちは、共通して一つの原則を語ってきた。

 

「価値を生まないことには手を出すな!」

 

この言葉は、単に怠惰を肯定するものではない。むしろ逆である。人生や事業を形作るうえで、何に集中すべきかを厳格に選び取る姿勢を示している!

 

価値を生まない行動は、表面上は“忙しさ”をもたらすが、実際には自分の成長や成果にはほとんど寄与しない。優れた成果を生む人物ほど、この「見えない浪費」を強く嫌う。

 

価値を生まないことを捨てるというのは、何かを失うように感じるかもしれない!

 

しかし実際には、そこにこそ自由が生まれる。余計なタスクや雑音が消えていくにつれ、本当に向き合うべきことが浮かび上がる。重要な問題に深く集中でき、新しいアイデアが生まれ、決断の質も高まる。

 

つまりこの原則は、「しないことによって、より大きなことを成す」という逆説の智慧でもある!

 

私たちの一日は24時間しかない。そこに何を詰め込むかは、誰もが日々選択している。もし人生や仕事の方向性に迷いを感じたなら、この原則に立ち返ってみるとよい。


「これは本当に価値を生んでいるか?!」


その問いかけが、行動の取捨選択を明確にするだろう。

 

価値あることだけに集中する。その選択が積み重なった先に、未来の成果は静かに形を取り始める!!!