近年、AI生成技術の進歩によって、非常に高品質な動画が誰でも作れる時代になった。
中には著名人や政治家を模した、いわゆる「フェイク動画」も多く出回っている。
確かに、技術的な到達点として「AIはここまでできるのか」と興味深く、最初は目新しさもある。つまらないとは思わない。
しかし一方で、ふと立ち止まって考えてしまう。
古今東西の大衆は、これからもそうしたものを時間と労力をかけて作り続け、それで日々を過ごしていくのだろうか、と。
もし仮に、死後の世界があり、そこでは自分の人生を背後視点から客観的に振り返ることができる――そんな場所があったとしたらどうだろう。
その時に「自分はこんなことをして生きていたのか」と思う対象が、AIで作った著名人の偽動画を製造していたことだったとしたら、正直なところ、あまり向き合いたくはない。
もちろん、私自身もゲームをするし、パソコンにも向かう。
それらは生活の一部としての娯楽であり、息抜きであり、現実と適切な距離を取るための行為だ。
特に、著名人や政治家を模したAI生成動画は、笑いで済まされる領域をすでに越えているケースもありえる。
本人が言ってもいないこと、やってもいない行動を、あたかも事実であるかのように再現する。それは単なるパロディなのか。
侮辱罪や名誉毀損に該当しないのかという疑問が浮かぶ。
技術自体は罪はなく中立だと思われる。
だが、その使い道は常に人間の倫理と想像力に委ねられている。
「作れるから作る」「面白いから消費する」という短絡的な循環の中で、私たちは何を失い、何を残していくのか。
未来のどこかで、自分の人生を振り返る瞬間が来たとき、
そこに映る自分の姿を、せめて「理解できるもの」「納得できるもの」にしておきたい。
そのためにも、技術の進歩にただ流されるのではなく、一度立ち止まって問い直す必要があるのだと思う!




