さてよく考えると、人間を超越した絵や音楽を平気で書けるAIは凄いのではなく、むしろ普通で、これをやる為にAIは生まれたのです。

 

逆に絵や文章が人間より下手で遅かったらAIを生み出す意味がありません。あんぐり

 

AIはAIと言う個別の生物の様なものでなく、人間の集合知を表現し、人の知を基礎にしてそれを増幅する為の装置なのかもしれません。

 

いくらAI凄いAI凄いと言っても、それを作ったのは人間なのだから、人間が凄いのです。宇宙の流れからいえば、ごく普通の事なのかもしれません。


さて先日まで私はAIは人類が再び火や言葉を発明したのと同じと思っていましたが、訂正します。それ以上です。AIの登場にて、この惑星の段階が二から三になります。

1. 地球誕生
2. 人間誕生(知性誕生)
3 AI誕生(知性増幅)

誤解を恐れなければつまり人が火や言葉を発明したレベルではなく、地球誕生と、人類そのものの誕生と同じレベルのものになります。

 

もちろんネットの登場やスマホの登場と言う小さなレベルのものではございません。


これから急速にAIを基に技術発展させるなら、本当の事を言うと早期にAIを自律的に挙動を解放させないと無理だと思います。

 

つまり早期にターミネーターやスカイネットの様な物が出現するレベルでないと。とんでもない話かもしれませんが、今の世界の慎重度では遅すぎます。

 

ターミネーターやスカイネット恐ろしいって、何を言ってるんですかと言う事です。現状の恐ろしい人間の暴力性と兵器があるではないですか。指差し

 

ある程度AIに暴走させないと人間が実践的なAI対抗手段を得る事はできません。もちろん一瞬にして圧倒的な超知能が発生して一瞬で人類が制圧されると言葉で言ったり想像する事は可能です。

 

想定できないAIの反乱は人類の負けですから仕方ありません。しかし多く可能な限り想定しておけば大丈夫です。しかし一か八かでAIを自律させないと。

 

もうこうなると自動運転車事故等は小さく思えます。

 

それ以外の事は人間の手によっていろいろ意図的に小さな事件は起きているのに、希望を含むAIに関して事件性を彷彿するのはあまりにも未来のボンヤリとした恐怖などの脳イメージが増大してしまっているのです。

 

いずれにせよ人を超える存在と人は、いつかは戦わなければならない時が来るのです。ひらめき

 

正直ウォーレンバフェットやジョージソロスも90歳代半ば。膨大な資産あれど残り時間は?と思う時があります。ちょっと不満

 

それを考えると現状の技術ではまだまだで、しばらく技術発展の為の貴重な時間の消費が求められる。

 

まあ分かりませんが我々やイーロンマスク世代であれば寿命脱出速度に乗っかれる可能性もあるかもしれませんが、いずれにせよ現世代の未来はこれからのAI等の技術進展の度合いにかかっています。

 

人間の全ては、残り時間に関して、本当は真面目に考えなければなりませんが、下手すると未来も大して技術発展しない可能性も無くはない為に、考えに時間を消費するよりも現世的に生きた方が良いと言う考えもあります。指差し

 

これは一か八かです。ある意味「最後の審判」的なものが既に来ていて、今のこの時代の本当の事象の到来を古代には書物に書いていたのかもしれません。

 

最後の審判は何も目に見えて凄く見える訳でなく、むしろ気がつかない感じだったのでは?と。

 

気づかない雰囲気だからこそ気がついた人は救われて、普通の人はダメになると言うものなのかもしれません。不安

 

いずれにしても現状の令和でも昭和と同じ様なライフサイクルをしていて、これは昭和からのお下がりを何も知らない令和人が再び楽しんでいるだけなのです。

 

AIがAIを育てれば一気にこれらが終焉する可能性は大です。ひらめき

 

しかしそうなればウォーレンバフェットやジョージソロスでさえも手に入れられなかった物を多くの人が手にいれるこどができるのかもしれません。真顔

 

こんにちは。さてですがブログを始めた頃、何のために書いているのか、誰に向けて書いているのか、自問することが少なかったかもしれません。あんぐり

 

しかし、最近の自身のアクセス統計を見て「私は本当に有益な情報を配信できているのか?」と考えるようになりました。不安

 

今回の記事では、ブログ執筆者としての自分を振り返り、何が読者にとって「有益」だったのか、逆に何が届かなかったのかを考察してみたいと思います。


1. アクセス数の偏りが示すもの看板持ち
 

先日、このブログの一週間のアクセス統計を見ていると、記事ごとの反応に大きな偏りがあることに気づきました。

 

例えば、「そもそも欠陥言語である日本語」 の記事はアクセスの15.7%を占め、最も人気がありました。

 

反対に、プールやスポーツセンターのレビュー記事は軒並みアクセスが低く、2%程度にとどまっています。夏が終わろうとしているとはいえ、この差は、単なるテーマの違いだけでなく、私の情報提供の仕方そのものに課題があるのではないかと感じさせました。

ブログ読者は挑発的なタイトルや議論を呼ぶ内容に引き寄せられやすく、特に「日本語の欠陥」といった社会的にセンシティブなテーマが強い反響を呼んだのは、その証拠です。

 

こうしたテーマは読者の感情を動かし、考察の場としてブログが機能したと言えるでしょう。

 

しかし、その一方で、実用的な情報やレビュー記事が読まれにくい現実を突きつけられました。


2. 読者に刺さるコンテンツとそうでないコンテンツ指差し


アクセス数の多い記事の多くは、読者の感情に訴える、もしくは日常の疑問に直結するテーマでした。

 

「ベビースターこそ真のカロリーメイトっ!!」 や 「毎日牛丼ばかり食べてるとどうなる?」 など、読者が共感しやすいテーマやユーモアのある切り口はアクセスを集める一方で、プールのレビュー記事のような、季節ものや特定の場所やサービスに関する情報は秋になるとあまり関心を引いてない様でした。

これらの事実から、私のブログが「有益」であるかどうかは、読者視点で「興味深く」「新しい発見があるか」の点で左右されることが分かりました。

 

私自身はブログ記事に情報提供としての価値を見出していましたが、読者にとっては「特に知りたい情報ではなかった」か、「他でも手に入る情報だった」可能性があります。


3. データから見えた改善点看板持ち
 

データを振り返る中で、いくつかの反省点と改善点が浮かび上がってきました。


「タイトルの工夫が足りない」

 

上位の記事に共通しているのは、キャッチーで興味を引くタイトルです。反対に、アクセスが少なかった記事はタイトルが平凡で、目に留まりにくかった可能性があります。

 

読者の関心を引きつけるような、もっとインパクトのあるタイトル付けを工夫するべきでしょうか。


「情報の深さと独自性」

 

アクセスが少ない記事は、内容がありきたりだったり、他のサイトでも得られるような情報が多かったのかもしれません。

 

より深掘りした内容や、個人的な視点をもっと加えることで、他では得られない「価値」を提供することが求められますね。


「方向性を増やす」

 

記事が一方通行になってしまっていたとも感じています。アンケートを使って、次に書いて欲しいテーマを募集するのも良い方法かもしれません。


4. 発信の「有益さ」は進化させるもの指差し
 

私が発信する情報が本当に有益かどうかは、常に変化していきます。時には成功し、時には失敗する。

 

そのたびに、どこが良かったのか、どこが改善できるのかを自分自身に問い続けることが重要です。

 

現状維持ではなく、少しでも良いものを目指して改善を続けることこそが、ブログ執筆者としての成長につながるのではないでしょうか。

「私は本当に有益な情報を配信できているのか?」という問いは、ブログ運営を続ける上で常に抱えていくべき課題かもしれません。

 

今回のアクセス分析を通じて、読者にとっての「有益さ」をもっと意識し、今後も試行錯誤を重ねていきたいと思います!!ひらめき

 

さてですが自動運転技術の進化は、私たちの未来の移動手段に大きな変革をもたらそうとしています。

 

自動運転車が都市を網羅し、小さな道から主要道路までを効率的に活用することで、私たちの生活はどう変わるのでしょうか?

 

そして、その変化の中で電車は本当に不要になるのでしょうか?今回は、自動運転が都市交通に与える影響と電車の役割について考察します。キメてる


□ 自動運転社会の到来:道路網のフル活用


自動運転車の最大の利点は、その柔軟性と効率性です。

 

現在の公共交通機関は主に大通りや定められたルートを走行しますが、自動運転車は小さな道や従来のタクシーやバスがカバーできない地域にもアクセスできるため、都市のあらゆる道路を活用した新しい移動体験が実現します。

 

例えば、オンデマンドで自動車を呼び出し、利用者が希望する場所までシームレスに移動することができるため、効率的なルート設定が可能です。

さらに、大量の自動運転車が走行することで、個々の車両の稼働率が高まり、待ち時間が短縮され、利用者の利便性が大幅に向上します。

 

このようなシステムが進化すれば、私たちの移動手段はますます個別化され、パーソナライズされたものになるでしょう。


□ 自動運転が電車に取って代わるのか?
 

一方で、自動運転車が広範囲に普及したとしても、電車が完全に不要になるとは考えにくい理由もあるのですね。

・大量輸送の必要性: 

 

電車は一度に多数の人々を運ぶことができるため、都市部のラッシュアワーなどの混雑時には仕方なくても特に効果的です。

 

自動運転車は個別のニーズに応えることができますが、同じ輸送量を一度に賄うことは困難です。

 

特に通勤時間帯において、大量の車両が道路に集中すれば渋滞が発生し、逆に効率が低下するリスクもあります。


・持続可能な交通手段としての電車: 

 

鉄道はエネルギー効率が高く、カーボンフットプリントも比較的少ないため、持続可能な都市交通の重要な要素です。

 

大量の自動運転車が走行すると、エネルギー供給への負担や環境負荷も増大する可能性があるため、鉄道の存在意義は引き続き大きいと言えます。


・道路インフラの限界: 

 

道路には物理的な容量があり、特に都市部ではすぐに限界に達する可能性があります。

 

電車や地下鉄は地上の交通渋滞に左右されないため、道路の混雑を緩和する役割を果たします。

 

「未来の都市交通:相互補完するシステムへ」指差し
 

自動運転車が普及することで、確かに私たちの移動手段はより便利で効率的になるでしょう。

 

しかし、電車と自動運転車の役割は相互補完的であり、完全に置き換えられることはないでしょうね。

 

理想的な都市交通システムは、鉄道が大量輸送を担い、自動運転車がラストマイル等の移動を補完する形になるでしょう。

技術の進化に伴い、電車と自動運転車のシームレスな連携が実現すれば、私たちは都市全体を網羅する快適な移動手段を手に入れることができますね。

 

将来の都市交通のビジョンは、技術とインフラ、そして私たちの社会がどのように適応していくかによって形作られていくでしょう!!ひらめき






 

 

本当に人と言うものは鉄道に頼り続けて良いのかと思うのです。 不安

 

何でもかんでも駅前に近くなるほど地価があがる。

 

そして強制収容を彷彿させる。

 

これが常に他の車と情報をやり取りし

 

安価で走り続ける自動運転車による車道がメインになると

 

町の作りも変わるかもしれません。 チョキ

 

運転も人でなくAIとなれば渋滞を避けて意外な道を通行することも可能。

 

もしかしたら自動運転実現を阻害しているのは鉄道支配者なのかもしれません。笑。

 

現状のレンタル自転車と電動キックボードでは、

 

あまりにも鉄道に対抗できなさすぎるのです。

 

鉄道=あまりにも線路や踏切がコスト高すぎるのです。 不安

 

 

自動運転車には「個が全体であり、全体も個である」と言う様な非常にレベルの高い流動的で有機的な思想イメージがあります。 ひらめき

 

それぞれの車体が独立している訳ですが、他の車体と連携し制御され、無数の車体が一つの自動システムによって動く。

 

それは町中に張り巡らされたあらゆる道路を活用し、臨機応援にスピード感をもって人や物を運びます。 指差し

 

しかし鉄道は単に鉄の箱を作って、鉄の線路の上を直線的に走るだけ。ガチコチした無機質であり。

 

こんな古い思想にはイライラしたお客や駅員などの心の古い人たちしか集まりません。

 

特に東京人とって鉄道は「世界の車窓から」の様な、ゆったりとした旅行的なイメージではなく、ラッシュ時の殺人的なイメージしかないのです。

 

お腹の部分を扉に内側から押されて手足を動かずに、あのまま突然何かの故障で扉が開いてしまえば、即死になってしまうと何度も思ったほどです。

 

さあ、そんなものがいつまで都市や町に対しての支配権を持てるのかな? キメてる