このテーマに関して、いろいろなコメントをいただき、
ありがとうございます
…と、書き始めようとPCの前に座ると、きまって末っ子のエル坊(ヨーキー3歳)が「抱っこ!抱っこ!」
と言って、ぴょんぴょんととび跳ねてきます。今日こそは放っておくぞー(ママは集中すのだ!)と、知らん顔をしているとストーブの前で小さな体を丸めてシューンとします。その姿を見ると、「もぉっ!」となります。そして、エル坊は常に中丸おばさんの膝の上に…
ところで、中丸おばさんは、こうして小さなな生き物を抱いているととても不思議な気がしてくるんです。
この小さな体の中に基本的には自分と同じものが全部詰っているんですよね。
心だってちゃんとあって、思いやりとか優しさとか遠慮とか配慮とか…
そんな気持ちもちゃーんと持っている。
自分のことを自分だとちゃんと思っている。
すると、この格言を思い出します。
われ思う、ゆえにわれ在り
これ、デカルトが『方法序説』の中で述べた有名な言葉ですよね。
一切を疑うべしという方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。
ということらしいです。
これ、すごく深いですよね。
中丸おばさんは、時間のことを思うときこのデカルトの思いになるんです。
われ思う、ゆえに時間あり
そして、
われ思う、ゆえに宇宙あり
もちろん、
われ思う、ゆえに未来あり
壮大なテーマに挑んだ割には
こんな締めで申しわけない気もするのですが(笑)
これが今のところの中丸おばさんの真実なのです。
自分=時間、自分=宇宙、自分=未来
わたし
なのです。
付け足して書かせていただくと、
われ思う、ゆえにわたしの時間あり
そして、われ思う、ゆえにわたしの宇宙あり
もちろん、
われ思う、ゆえにわたしの未来あり
ということになるのだと思います。
そして、もう1つ大事なことを付けくわえさせていただきたいのですが、最近のスピリチュアル・ブームはちょっと冷静さが必要だなと感じています。
それは、中丸おばさんも子供の頃からちょっと未来のことが分かったりした(そう感じているということなのですが)ので思うことなのですが、、このあたりのことを特殊な能力だと思ったり、その力に憧れたりするのは、自問自答のいい材料だと思うのです。
却って、人間の本来のシャーマニックな感性から遠ざかるものであり、取り扱い注意な代物だと感じるからです。
中丸おばさんがとてもしっくりくる文章があるので、ここでお知らせいたしますね。
波動が高くなければ、光の存在から情報を受ける事など出来ない。光の存在は、自分は特別などと思わせる事などしないし、言ってはこない為、我欲は満足されないし、まず、波動が低かったら光の周波数とは合わず、光の存在からの情報を受ける為のチャネリングなど到底出来るものではない。
『アセンション・宇宙からのメッセージ』というホームページから引用させていだだいた言葉なのですが、神界からのメッセージとして掲載されています。
中丸おばさんは、この内容はとてもしっくりきます。
ただそれが、神界からとか○○星人からとかでなくても、普通に歩いているときに知らない誰かが言った言葉だとしても、この『しっくりくる』には、自分の核に触れる何かがあるからだと感じるんですよね。
~で、中丸おばさんも格言を捻ってみました
われ思うところのわれ在り
われ思うところの宇宙在り
われ思うところの時間在り
われ思うところの未来あり
自分が感じるもので、見えるもので、開かれて行く世界で、自分の思いを知ることができす。
そして、思いは変えることができる。
ゆえに、未来は自分の思いで作ることができる。
ということになると感じます。
未来を知ることはできるか?
この問いに対する回答は、これにしたく存じます

※もちろん中丸おばさんにとっての…です(*゚ー゚)ゞ
よろしければ(*^.^*)