今年も年の瀬 | 猫のジタンと暮らす

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こんにちわ

全然更新しない間にもう今年も終わってしまいそうです笑

今年もうちにやっておきたいことがあって、、実は11月末に母方の叔父さんがなくなりました。その叔父への思いをここに書いて僕自身の想いも成仏させたいんです。

個人的な想いなので興味のない人はここで回れ右していただいて結構です。m(_ _)m

 

 

 

 

 

 

僕は10歳まで母方のおばあちゃんちで育った。産まれてすぐ両親は離婚したらしい。生涯独身だった叔父さんはおばあちゃんと一緒に暮らしていた。

僕の母は仕事で家にいないことが多く僕は暇を持て余していた。叔父さんは仕事こそしていたが夜勤などがあり比較的家にいることが多かった印象がある。

(余談だが当時の母は若く友達と遊んだり、新たなパートナーとデートしに行ったりと忙しかったようだ。。。笑 おばあちゃんにはそれでよく怒られたらしい。)

 

叔父さんにちょっかいを出してはよく遊んでもらっていた。ゲームをよくやる人でお下がりでゲームボーイカラーをもらったのが始まりである。

初めてやったゲームはポケットモンスター金銀

小さい僕は訳もわからず叔父さんの名前のキャラのままでプレイしていた。

その後もポケモンシリーズはおじさんからもらうことが多かった。今でも大好きなゲームだ。

振り返ると叔父さんからいろんなことを真似た気がする。まずゲーム、そして指をポキポキ鳴らすこと笑、甘いお菓子が好きなこと。

ただ二つだけ真似ようとしなかったのはパチンコとタバコである。大人になってからだがお金を失うのが怖いので基本的にギャンブルはしないし、煙いとむせてしまうのでタバコは嫌いだ。

 

 

 

10歳の時、母が再婚しおばあちゃんちを離れることになった。叔父さんは何度頼んでも譲ってくれなかったPS2をくれた。

それからは少ないお小遣いなどでゲームを買い、どっぷりとハマっていった。

大型の休みのときはよく顔を出しに行っていたが僕は社会人になってからは段々と疎遠になっていった。

最近で言えば2年以上前だが結婚式とその後参加できなかったおばあちゃんに写真を見せに行ったときに会ったくらいだった。

そして今年11月、母からLINEで今日休み?と一言 休みだよ と返すとすぐ電話がかかってきた。

叔父さん死んじゃったよ!どうしよ。。。と涙声でパニックになっているようだった。

急いで行くから待っててと すぐに着替えておばあちゃんちに向かった。家からおばあちゃんちまで片道一時間かかるが普段通らない道を使い、なるべく早く向かった。

道中亡くなったことが信じられなかったが今までの思い出が頭を駆け巡り、泣きそうになった。

おばあちゃんちに着くとお父さんもいた。たまたま今日の仕事場が近かったらしい。

叔父さんの遺体は警察に引き取られ、おばあちゃんはデイサービスへ行っていて母はそっと顔を伏せていた。

 

ことの経緯を話すと、おばあちゃんは足を悪くしていてほとんど動けない。さらにここ数年で認知症が進んでいた。

遺体が発見された朝、叔父さんを見つけてくれたのはデイサービスの迎えにきてくれたヘルパーさんだった。

仕事に行ってしまう叔父さんはヘルパーさんのため玄関の鍵は開けとくらしいのだがこの日は閉まっていたらしい。

おばあちゃんのいる部屋の掃き出し窓は鍵が開いていたのでそこから入れたと言っていた。

窓を開けるとそこにはおばあちゃんがベッドの上に座っていたらしくヘルパーさんを待っているようだった。

玄関の鍵が開いていなかったのを不審に思ったヘルパーさんが家の奥にいくとトイレの扉が開いていて、人の足が見えたそうだ。

叔父さんが倒れてるのをみてすぐ警察や母に連絡をくれた。

推定死亡時刻は発見される日の前々日の夜中らしく約一日放置されてしまっていた。おばあちゃんも認知症のためおかしいとはどこかで思っていても忘れてしまう。

今後のこともふくめおばあちゃんに会いに行くことにした。

 

 

母は今までも月に何回かおばあちゃんに会いに行っているので僕のことは覚えていなくても母のことは覚えていると思っていた。

 

少し会話したあとに 私のことわかる?と母

誰だ? ショックだった。

僕以上に母はショックだっただろう。

 

認知症は日によってひどいときもあるらしく波があるのだ。

 

そんな状態のおばあちゃんに叔父さんの死を告げることなどできず、老人ホームの入居の手続きをした。

同居してた叔父さんが亡くなってしまい、誰もおばあちゃんの面倒を見る人がいなくなってしまったのだ。

おばあちゃんのことを考えると自分の息子が死んだことを知れないなんて辛すぎると思った。

でも面会の時にこんなことを言っていた。

〇〇(叔父さん)はいねーのか?まさか死んじまったんじゃあんめーな

好き嫌いしてたらだめだ なんでも食べて何が何でも生きないと

 

叔父さんのことなんとなくわかってるみたいだった。。

とても複雑な思いになった。

 

叔父さんが亡くなるだけなら思い出と共に晴れやかに送り出してあげれるがおばあちゃんのことを考えるとどうしてももやもやしてしまう。

 

 

 

 

今年は今までにないくらい変化の多い一年になった。叔父さんの死もそうだがそれ以外にもたくさんあった。そのことについては次回。

 

思いの丈をつらつらと書いてみました。気分が沈んでしまった人もいるかもしれないですね。。申し訳ない。

ただこれで僕自身の気持ちにけじめをつけられたかなって思います。

最後に、僕は叔父さんが大好きでした。今までありがとう。またね。

 

 

読んでいただきありがとうございました。